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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

平和ボケ 3/6  

2021-02-22 23:29:22 | 文化

 

>表向きには外務省が置かれ諸外国との国交が持たれており国連では非常任理事国としての位置もある。>しかし実際はいかなる交渉も決定も常にアメリカの顔色を伺いながら、あるいは指示を仰いでの上で、これを外交と呼ぶことができようか。  

 

無哲学・能天気の日本人は礼儀正しい人間であって、思考停止と忖度 (推察) に徹しているのでしょうね。  

 

>日本には外交の能力ではなく外交の権限がない。 >皆無と言っていい。 

 

日本人には権限も能力も無いのでしょう。  

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

 

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)   

 

>敗戦後に占領下に置かれた日本はその後独立を認められたものの未だに首を鎖に繋がれたままなのである。  

 

わが国は受動的であり、常に被害者意識の持ち主ですね。

 

>そういう国はアジア・中東・アフリカに少なからず存在するが、日本はだてに金を持たされているだけ始末が悪いのである。 

 

持たされている金では自己の尊敬が得られない。それが日本人の不満ですね。ですから自主独立が必要ですね。    

 

>戦争を一方的に放棄するだけならば子供でもできる。 

 

そうですね。子供の遊びと同じですね。日本人の幼児症は治りませんね。      

 

>国家が戦争をしない、巻き込まれないためには政府による万死一生の外交努力が必要でありかつ国民は政府に協力すると同時に政府を厳しく監視せねばならない。 

 

そうですね。政治には国民参加の民主主義が必要ですね。  

 

>しかし日本人はそのすべてを放棄し国防も外交もすべてアメリカに委託している。 

 

思考停止をしている人間は、他者への責任の丸投げをせざるを得ませんね。日本語の文法上の性質により自己の意思を表現することは非常に煩わしいことだからです。    

 

>敗戦国の立場とはそういうものだが、かの敗戦から七十年も経って未だにそれに甘んじていられるのはもはや日本人がそれを望んでの事と言うしかない。>つまり楽なのだ。 

 

そうですね。文法の性質に逆らうのはしんどいですからね。

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

>アメリカに追随してさえいれば貿易が赤字になることも他国に侵害されることもとりあえず無い。 >なにより複雑な外交と金のかかる軍事を丸投げしておけば軍事行為で手を汚さずに金儲けに専念できる。 

 

そうですね。日本人はお得意の処世術に専心できますね。日本人にはこの世 (現実) しかない。日本人は何処にも行かない。革新的なことにはすべてに違和感があります。     

 

>戦後こうして金持ちになった日本だが、楽をしている間に非常事態を嗅ぎ分ける嗅覚も対応する能力も完全に失ってしまった。  

 

そうですね。無哲学・能天気のなせる業ですね。意思の無いのがその根源ですね。      

 

>ここ数年頻発する海外での日本人拉致・殺害事件をみれば日本政府の外交が全く機能していないことがよくわかる。>「テロリストとの譲歩は有り得ない」などと毅然と語る欧米だがそれは当然嘘八百である。 

 

そうですね。それはあるべき姿の内容ですね。現実と理想のあいだの葛藤が我々の人生ですね。それがない人は幼児症でしょうね。   

 

 

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平和ボケ 2/6  

2021-02-22 23:13:05 | 文化

 

>ボケが来るほど平和であるならこの上なにを望むのか、そうも言えよう。>しかしそのような状況は果たして人類にとって不可能である。>たとえば戦後の日本は本当に平和であったのだろうか、否。 >日本は人類史上最悪の戦争である冷戦下においてアメリカという名の防空壕に隠れ目と耳と口をふさいでいたに過ぎない。  

 

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実 (考え) は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。日本語には、非現実 (考え) の内容を綴る為の時制のある構文がない。

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。どうしても必要な判断は丸投げして他人に任せる。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。     

 

>否、もとより「平和」などという軽薄な言葉はこのような狸寝入りに似つかわしい。>戦後日本は朝鮮戦争の軍需工業により復興を遂げた。   

 

そうですね。わが国は技術立国を経て経済大国になりましたね。   

 

>朝鮮半島を焼け野原にした兵器は日本人の手によって作られたのである。 >その後日本がアメリカの庇護の下でぬくぬくと経済成長を果たす傍らで冷戦体制の底辺に置かれた弱小国は欧米に蹂躙され続けてきた。>その資金源こそ経済大国と祀り上げられた日本である。>日本は間接的であれ第三国にとっての加害者であり続けたのである。   

 

日本人には意思がない。だから、その行動は受動的であって、能動がない。精神的に被害者意識があって、加害者意識がない。これは罪の意識がないということである。だから、深刻な罪の意識に苛まれて心の救済を求める事態には至らない。そして、贖罪の為の宗教 (キリスト教) は、わが国では勢力を持つことはない。日本人に免罪符は必要ない。罪の話に集中しない宗教である仏教・神道に人々は集まっている。大人の身体をしていながら罪の意識を持たない人間を見るのは恨めしい。うらめしやーと化けて出るのは日本人だけであろう。

日本人の宗教には、儀式 (作法) ばかりがあって、教義 (考え) というものがない。だから、作法ばかりにこだわって、これを励行する。子供の時には宮参り。結婚式はキリスト教。葬式は仏式でやる。全ての行為は、気分・雰囲気で決めらてれる。思考を停止している世の中では、作法を墨守するしか自己を顕示する方法がない。   

 

>我々が平和と名づけて拝するものはどう贔屓目に見てもこの程度である。 

 

日本人には世界観がない。だから、来るべき世界の内容を想定することがきない。そして、現実の世界は自分さえ良ければになる。処世術に徹する人生になる。    

 

>日本は先進国の一員とされながらも外交能力の評価は非常に低い。

 

そうですね。カレル・ヴァン・ウォルフレン 氏 (Karel van Wolferen) は、<日本・権力構造> (The Enigma of Japanese Power) <世界にあって世界に属さず>の中で日本の交渉能力について下記の段落のように述べています。

 

アメリカ政府はとくに、中曽根を含む日本の歴代首相との交渉を通し、日本の場合には、政府の公式首長であれ他の誰であれ、実効性のある交渉は不可能だと気づかされた。他の多くの国も今世紀を通して分かったのは、日本の交渉者とは実質的な交渉はできないということだった。日本の交渉者が交渉不能なのは、交渉者のどんな言葉に対しても本国で反対される可能性がつねに存在するためだ。この難しさが、日本に対する戦前の欧米諸国の態度を大方決めたのだった。ある日本外交史の専門家が要約するように-戦前の日本ほど、国際的信頼を得たいという強迫観念にかられながら、世界中から信頼されなかった国はない。交渉の失敗を考えることすらこわがっていたにもかかわらず、日本の指導者も交渉者も交渉は最小限にとどめたし、考えもこり固まっていたので、非難されることは必然的だった。・・・・交渉という交渉で、指導者も外交官もあやまちをくり返すまいと意識して努力したにもかかわらず、結果は何度も何度も同じ落とし穴に落ち込んでしまうのだった。(引用終り)    

 

 

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平和ボケ 1/6  

2021-02-22 22:46:30 | 文化

 

>虚構の上に軍隊は成らず いわんや戦争放棄をや

>2015/07/31 21:53 よりわけ: 世界 かぎ: 近代思想セキュラリズム軍事戦争      [secularism: 世俗主義]     

> 戦争法案――べらぼうなイカサマ法であることには違いない。>こんな法案を通すような議会であれば無いほうがましである。 >しかし情けないことに国民側からこの法案に対して為される批判はあまりに子供じみている。 >ただヘイワ、ヘイワと騒ぎ立て戦争に行きたくないと駄々をこねているに過ぎないではないか、その空恐ろしさを感じているのは筆者だけではないと望む。

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。だから、現実肯定主義となるのは致し方ない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。 だから、ご唱和の世界が実現する。      

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで各社に個性がない。それで、個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので未来社会の建設に貢献する度合いが限られる。  

 

>筆者の記憶では二十五年ほど前、「平和ボケ」なる言葉が活字になって世間にお目見えした。 >この言葉は戦争のない日本で安穏と生きることにある種の「罪悪感」を植え付けた意味で重要な役を演じたと言ってよい。

 

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。高踏派は孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない蚊帳の外。 

 

>その結果として四半世紀後の今、軍国化を唱える右翼くずれどもが票を集めたことを思えば「平和ボケ」とは当時の現状批判として国内から湧き上がった言葉ではなく、国外の勢力が冷戦後の日本の外交位置を想定した上で敢えて我々の潜在意識を操作するため耳に吹き込んだ策略だったのかもしれない。

 

我々は何事もお変わりのないことがなによりなことで・・・・・ですね。日本人には世界観がない。だから来るべき世界の内容を想定できる人物がいない。時代を先取りすることが難しい。後追いの専門家ばかりで既成事実の追認になり政治音痴になっている。   

 

>戦争は非道そのものであり起こしてはならないものである。 >戦争のない世を望むのは日本に限ったことではない。 

 

そうですね。   

勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。 (ヘルマン・ゲーリング)。    

 

 

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