>その教育を通して体得させられているものは「合理性」のみである。
合理は手段にはなるが、人生の目的にはなりませんね。
>聞こえはよさそうだがこれはただただ資本主義経済に貢献する手足となるための理念でしかない。
そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。人生に関して無目的であっては、時代に流されるばかりですね。ああ、むなしい。
>ようは「金がすべて」という理屈で調教されているのである。 >すると「金のためなら」どんな非合理も理不尽も受け入れられるよう洗脳されてしまう。
金は手段にはなるが、目的にはならない。日本人には人生の目的がない。それは、日本人が無哲学だからである。それで、日本人には ‘手段の目的化’ は避けられない。すると、守銭奴と言われることになる。
>すると海外の弱小国あるいは国内の弱者の暮らしを、そして慕うべき朋友の暮らしをどれだけ侵害していても、逆に侵害を受けていてもそれを雄弁に肯定できるようになる。>いらぬ戦争へと引きずり込まれてしまうのはこうした下地があってこそである。
金万能の信仰ですね。
>絶縁すべきはメディアである。>牙を隠して笑顔で歩み寄り、主義主張のみならず善悪の判断までも塗り替えてしまうことができる。
思考停止の結果ですね。自主的な判断ができないので洗脳されるしかない。
>世界の街角で民衆が「春」と叫ぶ暴徒と化した。 >それを煽り戦争を起こしたのも、世界に事実無根の画像を配信し「春」を美化したのもテレビとソーシャルメディアであった。 >いずれのメディアもその持ち主のために存在するのであって民衆のためではないことを知らねばならない。
そうですね。民衆の為にメディアを立ち上げる持ち主はいない。金のある者には哲学がなく、哲学のある者には金がない。大衆にはその両方がない。
>今までどおりアメリカに追従することで保身を図るというのであればそれも国としての道であろう。 >ただしそれは属国としての道である。
属国・属州は昔からありますね。
>日本は独立国として、外交と防衛を自らの意志と手で行うべきである。
そうですね。残念ながら日本人には意思 (will) がない。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
>アメリカが疲弊し国力を失った今がその檻を破る好機である。
我が国は泰平の眠りを覚ます時ですね。国民にその自覚はあるのでしょうか。相変わらずの能天気でしょうね。
>国策のアメリカ追従を断ち切るには、「内的な自立」をおいて他はない。
そうですね。自主・独立の気風が必要ですね。
>それは生活の手段や嗜好にはじまり史観、社会観、倫理観そのほかあらゆる観念をアメリカから押し付けられ、それを「よいもの」と信じ込まされている状況を破壊し日本人としての本来の生き方を取り戻すことである。
そうですね。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 思考停止では他人の受け売り専門の人にしかなれませんね。
イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。
評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)
>国の根本である国民一人ひとりがその自立を果たせば政治などは自ずと変わる。
そうですね。衆愚政治は民主政治に変わりますね。
>新憲法、再軍備を語るのであればその根底を為すもの、つまり日本を束ねる共同体意識を見出さなければならない。
それは政治哲学ですね。我々日本人は無哲学・能天気ではいられませんね。
政治に関する考えは政治哲学になる。 歴史に関する考えは歴史哲学になる。 宗教に関する考えは宗教哲学になる。 科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。
>それには先史から今に至るまでに世界に興亡した国々がいかなる道を歩んだかをよく学ぶべきである。
さすれば歴史哲学が得られますね。
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