(略)
>日本語で書かれたものは研究の宝庫
>苅谷:私は海外に渡ってから、日本語で書かれたものが研究の宝庫であるということに気づきました。>日本語が読めるアドバンテージをどのようにグローバルに還元していくかということは、つまり、先ほど述べた日本の近代化の経験をどのようにしてグローバルに伝えていくかということです。
そうですね。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
>日本の大学の関係者の方とお話しするときも、もっと日本語の力を信頼して、日本語で書かれたものの価値を認識し、そのうえで、なぜ、それを外国語で表現しなくてはならないのかということを理解することが重要だと話しています。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」
>順番を間違えて、なんでも授業を英語でやればいいというようになってしまえば、授業を英語にしたところで、それほど高いレベルにまでは到達しません。
そうですね。たとえ日本人が流暢な英語をしゃべることができても英米に行けばただの人ですね。
>これまで相当高いレベルにあるゴールの話をしていて、日本の教育全体に関する話にはなっていませんが、少なくとも日本の教育が果たすべき具体的な目標であり、実際にグローバルに貢献可能なこととしては、「内部の参照点」をきちんと見つけ、そこから得られた経験を多声的に理解できる人間を作り出していくことだと思います。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
>例えば先の例のように、100年前のパンデミックについて報告書を書いた人たちのことを追体験的に考えることによって、今のわれわれに何ができるかということについて考えられることがたくさんあると思います。 >そのためには、さまざまな知識が必要で、日本語が読めなくてはいけませんし、歴史的な背景に対する理解や、何らかの科学的な知識、国際関係に関する知識も必要です。
そうですね。何処の国を理解するためにもその国の言語の文章が読めなくてはなりませんね。そうでなければ過去の遺産は埋もれたままになります。
>いわゆる高校までに習う知識というのはそういう形で役立てようと思えば、そこに到達できるための知識はとてもよく詰まっていますから、やはり、学校で教える知識がなぜ重要なのかということも含めたゴールセッティングが欠かせないのだと思います。
詰め込み教育があるうえに、思考停止が共存する現実がわが国の中等教育に問題をもたらしているようですね。卒業生はみな受け売りの専門家になっているようです。
イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。
評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)
>須賀:苅谷さんの話を伺って、私たちも何か重要なポイントを見失っていたのではないかと気づかされました。ありがとうございました。
そうですね。無哲学・能天気の我々日本人は ‘手段の目的化’ を起こしやすいですからね。アメリカに勝つために自爆攻撃に力を入れるようなことになるのです。
>(制作協力:黒鳥社)
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