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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

R.L.パリー氏 4/4  

2021-02-06 00:27:23 | 文化

 

>もちろん、行動を起こした人もいますから、すべての日本人に当てはまると言いたいわけではありませんが。

 

日本人には意思がない。意思の無いところには方法 (仕方) も無い。 仕方がないから諦めている。  

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏 (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<日本語文庫新版への序文>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の政治を語るうえで欠かせない表現の一つである「仕方がない」という言葉を放逐することに、本書がいささかなりとも役立てばと願っている。本書は、本当の意味での政治参加をさせまいとして日本に広く作用する力について詳述している。この力こそは、個々人の、市民になろうとする決意と、有効に機能する民主主義を守ろうという意志を弱めるものである。日本に作用するこの力は、独裁政権があってそこからくり出されてくるのではない。それは日本の社会環境のあらゆる場所から発現する。、、、、、この力こそが、多くの日本人が身をおく境遇に対して唯一、適当な対応は「仕方がない」とうけいれることだと思わせるのである。(引用終わり)   

 

(略)

>――被災地の人々はどのように喪失と向き合い、どう変化していきましたか。

>悲嘆は非常に個人的なもので、人によって感じ方も向き合い方も異なります。>ですから、私の仕事はそうした異なる方法を書き記すことなのだと思います。>私は幸運にも取材に応じてくれる人を何人か見つけましたが、おそらく深く傷つき絶望している人の多くは記者に話したくもないでしょう。 >実際、取材を断られたことも何度もありました。

 

取材者が被害者に悪夢を思い出させるのは残酷な仕事ですね。   

 

>ただ、大変な喪失と痛みを抱えながらも、小学校で何が起きたかを世界に広く知ってもらいたいと考えている人を見つけ、話を聞くことができたのです。

 

それは建設的な前向きの人ですね。そのような人を見つけてあなたは幸運でしたね。     

 

>今、東北地方の復興は目覚ましく、がれきは取り除かれ、街はきれいに整備されました。 >物的な損害はおおむね修復され、津波に襲われたと言われなければわからない所も多いです。>まるで傷痕を残さず治った切り傷のように。 

 

日本人には、儀式 (作法) ばかりがあって、教義 (考え) というものがない。だから、作法ばかりにこだわって、これを励行する。子供の時には宮参り。結婚式はキリスト教。葬式は仏式でやる。全ての行為は、気分・雰囲気で決められている。思考を停止している世の中では、上辺 (体裁) を墨守するしか自己を顕示する方法がない。ですから、日本人の努力には空しさが常に付きまとっています。 

 

>ですが、私が思うに、人々の心の深い悲しみは強烈に残ったままで、長い時間、消えないでしょう。 >物質的な「正常さ」への回帰がむしろ、心の苦しみを受け入れがたくしています。

 

そうですね。昔からわが国は恨めしい世の中です。    

 

>被災の状況を知らない人は、被災者を気にかける理由もないからです。>おそらく人々は静かに、見えないところで苦しんでいるのではないでしょうか。 

 

そうですね。日本人はただ上辺を合わせるだけですね。内面を合わせることはしないですね。考えに注意を払い、他の人々と心を通じ合いましょう。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

 

 

(略)

>Richard Lloyd Parry  1969年、英国生まれ。

>英タイムズ紙アジア編集長兼東京支局長。

>95年に英インディペンデント紙特派員として来日。

>20年以上、東京に暮らす。

>著書に英国人女性の失踪殺害事件を追った『黒い迷宮』(早川書房)、東日本大震災の津波で84人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の遺族らを描いた『津波の霊たち』(同)

>2019年に日本記者クラブ賞を受賞。

>渡辺志帆  

 

 

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R.L.パリー氏 2/4  

2021-02-06 00:09:42 | 文化

 

>私のみならず、被災地に駆けつけた外国人ジャーナリストは皆、同じように感銘を受けたと思います。  

 

日本人は・奥ゆかしい(深い考えがあるようにみえる)。だが、実は奥 (考え) がない。だから、浅薄である。日本人は、無哲学・能天気である。

各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. それにも関わらず、政治家にも政治哲学がない人が多い。彼らには我々の未来社会の有様を大衆に言って聞かせる術がない。だから、序列人間は人間の序列を作って大切にする。上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自己の存在を確認している。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列人間が自分たちの序列に対する貢献度を評価するからである。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。 

 

>これが日本社会が持つ長所の表れなのだと。>政府から命じられるのではなく、地域社会が自ら動いていたのです。  

 

我が国においては、政府は頼むに足らずですね。

 

>これが英国や欧州だったらと想像すると、おそらく人々は争い、怒り、動揺するでしょう。>そして「政府は何をしている」と行政に不満をぶつけるでしょう。  

 

英国や欧州の人は政治に期待を掛けていますね。社会に対する責任の所在を常に意識していますね。だから、行政に不満をぶつけることができます。      

 

>東北の人々は、はなから政府には期待をしていませんでした。 >政府不在の中、自分たち自身で秩序を保ったのです。  

 

日本人は政治音痴ですからね。我々の政治指導者に西洋流の責任 (responsibility: 応答可能性) があるものとは考えられていません。それは、日本人には意思がないからです。意思の無いところには方法 (仕方) がない。     

 

(略)

>――日本人は政府に多くを期待していないとも言えますね。

>災害以外の状況下で、政府への期待値が低いことは一般的に言って、「悪いこと」になり得ます。

 

そうですね。日本人は世界観を持っていない。だから、国民は ‘来るべき世界’ の内容に期待を掛けることもありません。それが、国民が政治指導者の意思に期待を寄せることのない政治音痴の始まりです。  

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。       

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、各人はどんぐりの背比べで個性がない。それで、個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

 

>原発事故がいい例です。 >あれは人災であり、完全に回避可能でした。  

 

そうですね。とかく、この世は無責任ですね。人間の知性を利用していませんね。わが国には人手不足はあっても、頭脳不足の話はありませんね。秀才が多すぎるのでしょう。         

 

>設計のまずさ、計画のまずさ、津波など自然災害の脅威に対する原発の脆弱(ぜいじゃく)性への意図的な無知が引き起こした結果なのです。 

 

そうですね。日本人は昔から多くの自然災害を経験していますからね。その知識は豊富なはずですが、災害を克服しようとする真摯な意思がみられない。    

 

 

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R.L.パリー氏 3/4  

2021-02-06 00:02:24 | 文化

 

>ドイツなど欧州のいくつかの国で原発は終止符を打たれました。 >けれど、事故が起きた日本では、地震と津波に脆弱な国土でありながら、今も原発を使い続けています。 

 

粘り強いのが我が国民の特技だそうですからね。日本人には意思がないから意思決定ができない。意思決定の必要な時には、事の次第・自然の成り行きによる決着を待ちます。これは、他のアニマルも同じです。  

フランク・ギブニー (Frank Gibney)  氏の著書 <人は城、人は石垣> には、日本人の意思決定に関して次のようなことが書かれています。

 ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。  ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日) (引用終り)

 

>あくまで日本人が決めることですが、世論調査を見れば、多くの人が原発政策に賛成していません。>それなのに、それをデモや抗議活動、野党支持という形で表明しません。>被災地で見た「我慢」の別の一面です。   

 

そうですね。日本人には、自己の意思表示は想定外になっています。だからおとなしい。

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている’。 (ウスビ・サコ)   

 

>人々は政治や政治家に有害な「我慢」をして、まるで政治という天災の、非力な被災者のように、なすすべもなく耐えています。

 

意思のある人間により引き起こされる災害は人災である。意思の無い人間によるものは天災である。日本人には人災と天災の区別は難しい。

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

 

>しかしそれは政治のあるべき姿ではありません。

 

そうですね。日本人には意思がない。だから、受動ばかりで能動がない。これでは事が始まりませんね。  

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)     

 

>日本のような民主主義国家においては、人々こそ、自分たちの政治家に直接の責任を負うのです。 

 

そうですね。主権在民ですね。我が国には衆愚政治はあっても民主政治は無い。 国民は「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。

 

>ですから、日本人の自然災害下でのレジリエンスはかけがえのない立派なものですが、同時に消極性と、日本の政治に責任を負うことへの怠慢にもつながっていると感じます。 

 

そうですね。日本人には意思がない。受動ばかりで能動がない。消極性があって積極性がない。責任がなくて怠慢 (無責任) がある。

 

 

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