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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

取り残された日本企業  

2024-12-03 00:52:13 | 文化

>現代ビジネス   >世界から取り残された日本企業、一体どう変わればいいのか   >河合雅司(作家・ジャーナリスト)によるストーリー・   >17時間・   

>この国の人口はどこまで減っていくのだろうか。   

>今年1年間の出生数が70万人割れになるかもしれず、大きな話題となっている。   

>そんな衝撃的な現実を前にしてもなお、多くの人が「人口減少日本で何が起こるのか」を本当の意味では理解していない。   

 

人々は、成ってみなければ分からないと考えているのでしょう。   

 

>ベストセラー『未来の年表 業界大変化』は、製造・金融・自動車・物流・医療などの各業界で起きることを可視化し、人口減少を克服するための方策を明確に示した1冊だ。   

>※本記事は河合雅司『未来の年表 業界大変化』から抜粋・編集したものです。   

>無形資産投資へと転換すべき理由   

>ブランド力を磨き、企業価値を高めるには、将来の競争優位性や差別化の維持に効果のある知的財産を十二分に活用する必要がある。   

 

そうですね。  

 

>それには、顧客ネットワークや研究開発による自社創造性のレベルアップ、外部からのノウハウの取り込みなどへの投資を積極的に行うことだ。   

>「ものづくり」を得意とする日本企業の多くはこれまでハード技術を向上させるための有形資産投資に積極姿勢を示してきたが、無形資産投資へと転換すべきときである。    

>「有形資産」「無形資産」と聞いてもピンとこないという人も多いかもしれないが、有形資産とは機械設備や工場などの構築物といった実物的な生産設備のことである。   

>これに対して、無形資産(知的資産)はブランド、人材や技術・ノウハウ、研究開発など目に見えない資産を指す。    

>特許権、商標権、意匠権、著作権といった知的財産権だけでなく、データ、顧客ネットワーク、信頼力、サプライチェーンなども含まれる。   

>さらに広くとらえるならば、これらを生み出す組織力やプロセスなども対象となる。   

>こうした各企業の固有の無形資産を有効に組み合わせることで収益につなげる経営モデルを「知的資産経営」と呼ぶ。   

>「中小企業白書・小規模企業白書」(2022年版)の概要によれば、無形資産投資のほうが全要素生産性(資本投入や労働投入では説明できない経済成長を生み出す要素)の上昇率が大きい。   

>有形資産投資と比べて生産性向上に大きく寄与しているということだ。   

>イノベーションをもたらすなどの経済的特性も指摘されており、付加価値の向上を促す手段の一つとしても注目を集めている。   

>日本企業と欧米企業の利益率の開きについては先に簡単に触れたが、もう少し詳述するならば、米国は1990年代において無形資産投資が有形資産投資を逆転して企業価値を高めてきたのに対し、日本は2000年代以降も有形資産投資のほうが上回り、いまだ重視する傾向は変わらない。   

 

それは残念なことですね。   

 

>有形資産投資は、「ものづくり日本」にとってポピュラーな投資方法であるためだ。   

 

日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。   

 

>機械を高度化させて製品の完成度を向上させることに心血を注いできた日本は、先進諸国の中でも革新的資産投資の割合が非常に高い国とされる。

>いま求められる「企業価値創造」の視点   

>だが、有形資産投資で付加価値を創造することには限界がある。   

>製造によって得られる付加価値は完成した製品の価値と投入したコストとの差で計られるが、これは新興国のように為替レートが低く、労働コストが低い国が圧倒的に有利だ。   

>米国は有形資産投資による付加価値創造に頼っていたのでは、為替レートや労働コストが自国より低い新興国に勝てないと考えて、無形資産投資による付加価値創造路線へとシフトしたのである。   

>米国などがデジタル基盤の整備に力を入れる中で、日本は開発途上国より技術力で上回る「ものづくり」へとのめり込んでいった。   

>「高品質のモノを作れば売れるはずだ」という信仰に近い思いだが、1990年代以降に急成長したのは新興国のマーケットであった。   

>そこでは、消費者の所得は高くなく、「クオリティーの割には安い」という日本製品はオーバースペックとなったのである。   

>熱帯の国にハイテクのセンサーで温度調節をするクーラーはいらなかったということだ。   

>一部の勝ち組企業もあったが、マーケットを取り込み切れず、新興国型のビジネスモデルからの脱却のチャンスも逃した。   

>この結果、日本は現在に続く経済的衰退と国民の低賃金化を招くこととなった。   

>同じ時期、米国はデジタル技術に「情報の非対称性」をつくり出し、GAFAに代表されるデジタルプラットフォームやデータビジネスを成功させたわけで、1990年代半ばにおける日米経営者の判断の差はあまりに大きい。   

 

そうですね。日本人はまだ子供ですね。   

 

>この間に、世界の人々が望むものは高度な技術そのものではなくなったと言ってよい。   

1つの製品の性能がどんどん上がっていくことよりも、高度な技術によってこれまで無かった利便性や楽しさがもたらされることに注目が集まるようになったのである。   

>工場を建設し、最新鋭の機械を導入して製品自体の性能や品質を向上させるだけでは、高付加価値化の実現は難しい。   

>無形資産による集約的産業は生産性が高いとの研究結果もあり、経済成長の中心は有形資産から無形資産に移りつつある。   

 

そうですね。   

 

>知的財産に代表される無形資産は、製品やサービスの差別化をもたらし、価格決定力を維持・強化させる。   

>あるいは破壊的イノベーションを起こすことにもなる。   

>国内マーケットの縮小に立ち向かうためにブランド力の強化を迫られる日本企業にとっては、なおさら無形資産への投資が急がれる。   

>一方、市場の縮小に対応するには、ブランド力の強化とともに資本の効率性を高めることも重要だ。   

>利益を上げるのに、元手をいくら投じたのかが即座に分からないといったケースが少なくないが、「厚利少売」を追求していくにはこうした点への意識をしっかり持つことである。   

>最近、「ROIC」(Return On Invested Capital)という指標が注目されるようになってきている。   

>株主からの出資(株主資本)や金融機関からの借入(有利子負債)による資金調達に対して、どれだけ効率的に利益を上げることができたかを測定するのに便利な指標だ。   

>集めた金額が少ないのに、多くの利益を上げられれば数値は高くなる。   

>すなわち、ROICとは事業に投下した資金からどれだけの利益(リターン)を生み出したかを示している。   

>勤労世代が減り、戦略的に縮んでいくべき時代にあっては経営資源を集中させていかなければならない。   

>これまでの多くの日本企業に見られるような、経営の結果として企業価値が創造されるという考え方ではなく、企業価値を創造するためにどういった経営をすべきかという「企業価値創造」の視点が求められる。

 

大人には現実(事実)と非現実(考え・哲学)がある。   

子供には現実しかない。  

非現実の内容を文にして示すには文法に時制(tense)というものが必要である。   

英米の子供は大人になると時制の使い方を覚えて非現実の内容を示すことができるようになる。   

時制は英文法にはあるが、日本文法にはない。   

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。 

指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。’   (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実 (考え・哲学) を搭載する構文は日本人の口からは出て来ない。これが英米人の子供と違う所である。     

 

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供に哲学を獲得するための教育である。子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。かれらの文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。未来時制を使って自己の意思を表すこともできるようになる。すると加害者意識も経験することになる。それが高じて罪の意識も理解できるようになる。深い反省にも陥るので原因の究明が行われる。うやむやにならない。魂の救済を必要とする人も出て来る。贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。こうしたことで浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本語は現実の内容だけを話す言語である。日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘ばかりでは学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育のお陰である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。   

当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりを気にしている。世界に対する注意力不足で井の中の蛙になっている。国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。     

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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