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ソン・ホチョル氏  

2025-01-27 07:00:13 | 文化

>朝鮮日報   >日本のラピダスよりも恐ろしいものとは【朝鮮日報コラム】   >8時間・   

> 「ラピダスは結局失敗に終わるのではないでしょうか。   

>業界では『ラピダスは詐欺』といった言葉も出回っています」。   

1年前、私的な席で出会ったある日本人記者は「国家安保に重要な半導体部門で日本は後れを取った」とし「2ナノメートル(nm1nm10億分の1メートル)半導体の技術確保までは険しい道のり」と話した。   

>そこで「そんな状況に置かれているラピダスに日本政府が膨大な税金を注ぎ込むのだとすれば、批判する記事を書かなければならないのではないか」と聞いたところ、彼は言葉なく話題を変えた。

 

批判精神 (critical thinking) はいつどこでも必要ですね。   

 

> 1218日、北海道千歳市の氷点下10度の凍土に建設中のラピダスの2ナノ工場を訪れた。   

34メートルの高い遮断幕に沿って建設現場を見て回り、正門の外から内側の様子を写真に撮ろうとしたところ、近づいてきた警備員に止められた。   

>「軍事施設でもないのに、仮に私有地だとしても、外から撮影する写真まで取り締まる権利はないのではないか」と言うと、警備員は「私は指示に従うだけ」と答えた。   

> まるで軍事施設のような工場を建てるラピダスは、トヨタやNTT、ソニーなど日本の最高技術を誇る企業が2年ほど前に共同で立ち上げた会社だ。   

>出資額はわずか73億円だが、日本政府は補助金として9200億円を投入した。   

>日本人から1人当たり8000円ずつ集めたことになる。   

>再びラピダスに金が必要になると、日本政府は最近1000億円を追加で支援するとともに「今年法律を改正してでもラピダスに債務、および利子支給を保証する」と明らかにした。   

>中国の官製半導体企業を批判しているが、ラピダスはこれに劣らない。

 

そうですね。   

 

> 実際、日本のマスコミや半導体の専門家たちも、ラピダスの失敗の可能性について明確に理解している。   

 

それでは太平洋戦争開戦の時と同じ状況ですね。   

 

>何といっても金、技術、そして人材が足りない。   

2027年度をめどに2ナノ量産設備を完成させるためには、資金として5兆円が必要だが、日本政府の補助金以外には大金が入ってくるめどがない。   

>米国IBM2ナノ技術を導入したものの、研究室水準の技術に過ぎない。   

>大量生産ラインで検証された技術ではないのだ。   

>日本には2ナノどころか、10ナノ、20ナノの生産ラインを運営したことのある人材もほぼ存在しないのが現実だ。   

 

それでは準備不十分ですね。   

 

> だが、日本の新聞やテレビで「特恵論争」や「税金の浪費」といった鋭い批判は見当たらない。

 

日本人には批判精神というものがないですからね。   

 

>背筋が寒くなる理由は、ラピダスではなく、日本の切実さのためだ。   

 

理由は日本人のメンタリィティですね。理詰めの議論が出来ないのが致命傷ですね。   

 

>日本の半導体戦略の舞台裏である半導体戦略推進議員連盟の甘利明会長は2年前、本紙とのインタビューで「40ナノしか作れない日本にとって、2ナノへの挑戦は『夢のまた夢』」とし「日本には最後のチャンス」と話した。   

 

結果は硫黄島か、沖縄戦か。   

<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り  

 

>成功の可能性が高くて挑戦するのではなく、日本の未来の国家安保にとって必ず必要だから手に入れるというわけだ。   

 

必要性は分かるが、可能性は分らない。   

日本人には可能性に対する追求の努力に欠けているのですね。理詰めの議論が出来ないのでしょうね。    

 

>一度方向性が決まれば、最後まで推し進める日本は半導体を諦めないだろう。   

 

太平洋戦争の時と同じですね。玉砕戦法ですね。原爆投下の悲惨な状態で終わりになるのか。      

 

> 補助金どころか、週52時間勤務制の例外も認めるよう求めた「半導体特別法」も白紙化に追い込んだ韓国の政治家たちはそうではないようだが、諦めない日本に対して感じるこの不安は、何も記者だけが感じているものとは思えない。   

 

そうですね。不安は諦めない日本にありますね。日本は1945年以来何も学んでこなかったようですね。   

 

>東京=成好哲(ソン・ホチョル)支局長   

 

ヒットラーは勝算を見込んで (理性判断) 戦争に突入した。

日本人は勝算を見込むことなく (盲目の判断) 戦争に突入した。

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。 

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。 

指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実 (考え・哲学) を搭載する構文は日本人の口からは出て来ない。つまり自己の考えの内容は文法上表せないのである。これが英米人の子供と違う所である。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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