>現代ビジネス >じつは、日本人の「消滅危機」がいよいよ現実になってきた >河合雅司 (作家・ジャーナリスト) によるストーリー・ >5時間・
>この国の人口はどこまで減っていくのだろうか。
>今年1年間の出生数が70万人割れになるかもしれず、大きな話題となっている。
>そんな衝撃的な現実を前にしてもなお、多くの人が「人口減少日本で何が起こるのか」を本当の意味では理解していない。
>ベストセラー『未来の年表 業界大変化』は、製造・金融・自動車・物流・医療などの各業界で起きることを可視化し、人口減少を克服するための方策を明確に示した1冊だ。
>※本記事は河合雅司『未来の年表 業界大変化』から抜粋・編集したものです。
>瀬戸際の日本企業に求められること
>『未来の年表 業界大変化』第1部では、瀬戸際にある日本で各業界や職種にどんな「未来」が待ち受けているかを可視化した。
>紙幅の限界もありすべてを取り上げられなかったが、各職種や業務内容に照らし合わせていただければ、それぞれの「未来」がおおよそ見えてこよう。
>「人口減少」というのは即効性のある対応策がないだけに、言葉を聞くだけで気持ちが沈むという人も多いだろう。
>それは従来の社会常識、過去の成功体験にとらわれているからだ。
そうですね。
>日本人が消滅せんとする、我が国始まって以来の危機なのである。
>昨日までと同じことをしていてうまくいくはずがない。
>現状維持バイアスを取り除き、社会の変化に応じて発想を変えたならば違った未来が見えてくる。
>その先にこそ、人口減少に打ち克つ方策があるのだ。
>誤解がないよう予め申し上げるが、「人口減少に打ち克つ」というのは、どこかの政治家が選挙公約で掲げるような「人口減少に歯止めをかける」という意味ではない。
>過去の出生数減の影響で、出産可能な年齢の女性はすでに減ってしまっており、今後もどんどん少なくなっていく。
>日本の人口減少は数百年先まで止まらないだろう。
>この不都合な事実を直視するしかない。
そうですね。
>すなわち、ここで言う「人口減少に打ち克つ」とは、人口が減ることを前提として、それでも日本社会が豊かであり続けられるようにするための方策を見つけ出すことだ。
>社会やビジネスの仕組みのほうを、人口減少に耐え得るよう変えようというのである。
>日本は、諸外国と比べて外需依存度の低い国である。
>一般社団法人日本貿易会の「日本貿易の現状2022」によれば、2020年の貿易依存度(GDPに対する輸出入額の割合)のうち輸出財は12.7%である。
>コロナ禍前の2011~2019年を見ても12~14%台で推移してきた。
>ちなみに、2020年のドイツは35.9%、イタリアは26.3%、カナダは23.8%だ。
>もちろん、日本企業の技術力が低くて海外では製品やサービスが売れないために低いわけではない。
>むしろ高い技術力を誇っている。
>日本は「加工貿易国」ではあるが、多くの企業は、あえて海外で利益を上げなくともやってこられたということだ。
>日本は世界11番目の人口大国であり、国内需要だけで十分経営が成り立ってきたのである。
>しかも、日本は外国人が極端に少ない“同質的な社会”である。
>2020年の国勢調査によれば日本人人口1億2339万8962人に対して、274万7137人と2.2%ほどに過ぎない。
>国内マーケットは日本語というバリアによって守られ、外国企業の攻勢にさらされることが少なかったということである。
明治の開国に次ぐ第二の開国が必要ですね。
>このように恵まれた環境に安住してきた日本企業の多くが、人口減少によって安定経営の源であった“虎の子のマーケット”を手放すのである。
>天地がひっくり返るような一大事に直面しているのだ。
現実の世界は千変万化していますからね。
>しかも『未来の年表 業界大変化』が繰り返してきた通り、それは単に実人口が減るだけでは済まない。
>高齢化に伴って1人あたりの消費量が減るというダブルでの縮小である。
>経営者の大半は人口減少の影響を想定しているだろうが、多くの人がイメージするより変化は速く、かつ大きくなりそうだ。
>営利企業の場合、業種を問わずいずれ外需の取り込みを図らなくてはならなくなるだろう。
>だが、闇雲に挑んで行っても、生き馬の目を抜く外国企業との競争の前に淘汰されるのがオチだ。
>何事も準備が肝要である。
>一方、縮小するからといっても国内マーケットはしばらく1億人規模を維持する。
>早々と見切りをつけるわけにはいかない。
>何より国民の安定的な暮らしの維持を優先されなければならない。
>いま日本企業に求められているのは、(1)国内マーケットの変化に合わせてビジネスモデルを変える、(2)海外マーケットに本格的に進出するための準備を整える──という二正面作戦である。
>国内マーケットの縮小と同時進行で勤労世代は激減していくので、この先、国内だけで勝負するにしても、人口が増えていた時代の経営モデルのままでは立ち行かなくなる。
>無駄な抵抗を続けて時間をいたずらに消費するようなことはせず、思い切って変わったほうが展望を開きやすい。
そうですね。
企業家だけでなく、政治家が率先してわが国に未来社会の内容を明らかにして指導的機能を発揮すべきですね。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。
「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)
日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。
'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)
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