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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

松尾光治氏  

2025-02-26 17:18:48 | 文化

>ダイヤモンド・オンライン   >なぜ日本人は韓国人より英語を話せないのか? 専門家が教える「あっけないほど単純な理由」   >松尾光治によるストーリー・   >3時間・   

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>韓国人と日本人、英語力に差が付いたワケ   

>「なぜ韓国人は日本人よりも英語が話せるんだ?」「韓国の若い世代は英語にとても慣れているよね」   

> ニューヨーク在住の筆者の周りでは最近、日本と韓国の両方を旅してきたアメリカ人が増えているのだが、よくそんな質問をされる。   

>「韓国人のほうが英語を話せる」というのは、両国を知っている外国人にとっては常識になっているようだ。   

> 20年前までは「勤勉で勉強熱心なのに英語の話せない国民」の双璧を成していた韓国と日本。   

>いつの間にか大きく水をあけられてしまった。    

>なぜ、こんなことになってしまったのか。   

>残念で仕方がない。   

> 韓国は1997年に小学校3年生から英語を必修化した。   

>このスパルタ早期教育のおかげだろうか?それとも、国土が狭いからビジネスのグローバル化を日本より先に進めざるを得なかったから?日本人に比べると自己主張が強く、英語においても発音や文法の間違いを恐れないから?   

> 答えは、どれもイエスだろう。   

>ただし、これらとは異なる「あっけないほど単純な理由」もある。   

>極めて冷静に、理にかなった方法で、国と企業が率先して英会話力を伸ばしたのだ。   

> この方法は、日本でもすぐにまねできる。   

>別に国や企業任せにしなくたって、個人でも可能だ。   

>TOEIC Speaking & Writingの早期導入と浸透   

> 韓国人の英会話力が爆上がりした理由は、日本で「TOEIC」を指すTOEIC Listening & ReadingL&R)だけでなく、TOEIC Speaking & WritingS&W)が浸透しているからだ。   

> 日本と同様、韓国も学歴が重視される社会だ。   

>その競争の熾烈さは日本の比でない。   

>就職や大学受験で重要視される英語関連テストでは、高スコアを獲得するために努力を惜しまない。   

>そして、英語競争は就職後も続く。   

>中堅社員であっても英語力を上げ続けなければ出世に響く。   

> 日本と並ぶTOEIC大国の韓国だが、TOEIC L&Rでは実践的なアウトプット力が身に付かないことにも早くから気づいていた。   

>そこで、TOEIC S&Wを普及させたのだ。   

> 公表数字でも、韓国と日本の差は明らか。   

TOEIC S&Wが韓国に導入されたのが2007年で、即座に採用した企業は150社以上、12年には1300社以上の企業に広がっている。   

>それに比べて日本は、15年時点で採用企業がようやく250社、学校が130校となっている。   

> 韓国でのTOEIC S&W受験者数は約30万人(15年)に対して、日本での受験者数は26300人と一桁違う。   

>韓国の人口が日本の約半分であることを考えると、普及度のギャップは歴然としている。   

> 日本におけるTOEIC S&W受験者数は、TOEIC L&R受験者数の50分の1に過ぎない(22年)。   

>韓国がアウトプットスキルも重視することに舵を切ったのと対照的に、日本ではTOEIC L&Rに極端に偏っていて、インプット中心の歪んだ英語テスト志向が、今日まで続いているのである。    

>TOEIC L&Rのスコアを提出不要としたサムスン   

> そもそも韓国では、就職時に求められる英語テストのスコアが日本よりも圧倒的に高い。   

>「TOEIC adds to stress for young job seekers」(TOEICは若い求職者のストレスを増大させる、2014326日付The Korea Herald)という記事では、「(TOEIC L&Rが)900点以下だと、他に突出した点がなければ有利とは言えない。   

>安全圏に入るには950点取らないと」といった声が紹介されている。   

> 実際、サムスンではTOEIC730点が応募の最低基準だったが、応募者の平均レベルは900点超えだったという。   

>さらに、サムスンは2010年にTOEIC L&Rスコアの提出義務をあっさり廃止してしまい、TOEIC Speakingテスト、またはOPIcOral Proficiency Interview:全米外国語教育協会による世界標準の会話能力テスト)の成績のみ、提出を義務づけた。   

> ビジネスで必要とされる英会話力があるならば、TOEIC L&Rで測るような知識レベルも高いはず、と踏んだのだろう。   

>テストを目標にしてスピーキングを伸ばす   

> 筆者からすると、テスト向けの勉強でスピーキング力を伸ばそうというのは、英語学習の理想的な形ではない。   

>とはいえ、英語を学ぶこと自体が大好きな人でない限り、テストのような分かりやすい目標がないと学習のモチベーションが上がらない。   

>目標がないまま漫然とオンライン英会話や英会話アプリでスピーキングの練習をしていても、仕事で使える英語は身に付かない。   

> TOEIC S&Wのようなビジネスパーソンを対象としたスピーキングテストのスコア向上を目指して努力し、実際に話す力も伸ばすという韓国の図式は、日本でもまねできる。   

> 良くできたスピーキングテストは、徐々にアウトプットの負荷を高める出題設定になっている。   

>また、リスニングやリーディングのテストとは違って、唯一の正解がない問題への対策が重要だ。   

>トレーニングを積むと、自分の言葉で話す力が自然に底上げされる。   

>これを利用しない手はない。   

>TOEIC L&Rで培った資産を活用しよう   

>「そうはいっても、TOEIC L&R対策だけで忙しいのにそんな余裕はないよ…」という人も多いだろう。    

>一つの目安だが、TOEIC L&R800点を超えるあたりまではひたすらL&Rに集中することをお勧めする。   

800点以下、つまり語彙力(単語と表現)、文法・構文力が不足しているレベルでは、アウトプットをしようにも手持ちの素材が貧弱だ。   

> 他方で、S&W練習をすることは L&Rのスコアにも好影響がある。   

>外国語の習得はインプットとアウトプットが絡み合い、らせん状に成長していくことで本当の実力が身に付く。   

TOEIC L&Rのスコアを伸ばしても、アウトプット練習をしないと、学んだ知識が記憶から薄れていくだけだ。   

>これでは費やした時間や努力がもったいなさすぎる。   

>スピーキングテスト激増「前夜」か   

>「TOEIC L&R900点でも英語が話せない」という日本人はざらにいる。   

>これが問題視され、日本でもスピーキングテストが激増することを願いたい。   

>今は、前夜のように筆者には思える。   

> 韓国には20年近く遅れをとってしまったが、社内公用語を英語にするなど徹底的な改革を行うケースもあるし、スピーキングテストを導入する企業も着実に増えつつある。   

> 最後に、エントリー的なスピーキングテストを二つ紹介しよう。   

>まずは、「Progos」。   

>スマホで受けられる無料のテストで、数分以内に語学能力の国際指標CEFRに基づいたレベル判定と、診断結果が返ってくる。   

> もう一つは、有料ではあるが「Versant」もオンラインで手軽に受けられる。   

>これもCEFRに基づいており、世界中で採用されているテストだ。   

>やはり数分で判定と診断結果が返ってくる。   

> スピーキング力の確認は都度、行うと良い。   

>自分の弱い部分を認識し、そこにフォーカスすることで効率的にトレーニングできる。   

>自分では意識していなかった長所を診断で指摘されて、モチベーションが上がることも期待できる。   

> とにかく最初の一歩を踏み出さないことには始まらない。   

 

そうですね。英会話学校で修行したらスピーキング力の問題は解決するのでしょうか。   

 

>スピーキングテストを実際の会話力に効果的に直結させるためのポイントは、また別の機会にお伝えしよう。   

 

日本テレビの単独インタビューで「このままでは日本人は滅びる」と日本の将来に危機感をあらわにしていた、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長。[2024年 10月] 10日の会見でも「日本人同士のなれ合いみたいなことは廃止すべき」と改めて警鐘を鳴らしました。 

日本人は‘なあなあ主義’ で話をする。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。 ‘以心伝心・阿吽の呼吸’といったところか。     

 

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)(引用終り)  

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。、、、、、日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)     

 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)     

 

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)     

 

 

 

 

 

 

 



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