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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

NEWSポストセブンの意見  

2024-04-14 10:54:55 | 文化

>NEWSポストセブン   >アカデミー賞7部門受賞「オッペンハイマー」がようやく日本公開 鑑賞する前に知っておきたい“原爆の父”の苦悩  NEWSポストセブンの意見‣   1日   

> 原子爆弾を作った物理学者の人生を描いた映画『オッペンハイマー』が公開された。   

>アメリカで“英雄”と称えられた男が、被爆地の惨状を知るにつれ深く苦悩していく姿に、唯一の戦争被爆国である日本で賛否が渦巻いている。   

>「核兵器も含め、あらゆる兵器を使用する準備ができている」   

>>昨年10月にロシアが核配備を完了させて実戦的な運用状態にあると報じられるなかで、「核の脅威」をかつてないほどに高める危険な発言だった。 

 

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相    

 

> 目下、「核兵器」に対し、世界中から強い関心が集まっている。   

>そして、その視線は日本にも向けられた。   

>核兵器による凄惨な被害の実相を伝える広島平和記念資料館の2023年度の入館者数は、1981617人で過去最多を更新。   

>外国人が全体の3割超を占めた。   

> そうした状況下で、昨年7月に世界各国で公開された映画『オッペンハイマー』が注目を集めないはずがない。   

>なぜなら、原子爆弾を開発した物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーの人生を描くというセンセーショナルな内容だったからだ。   

>全世界興行収入は10億ドル(約1500億円)超えを記録し、310日(日本時間11日)には米アカデミー賞で、作品賞や監督賞など7部門を受賞した。   

> その一方、公開直後には騒動にも巻き込まれた。『オッペンハイマー』と同日に公開されたバービー人形の実写版映画『バービー』の主人公が、オッペンハイマーの肩に乗り、その背景に原爆投下後の燃え上がる街を連想させる炎を合成したいたずら画像がSNS上に出回った。   

>それに対して『バービー』の公式アカウントが、あろうことか、「記憶に残る夏になるね」とハートマークやキスする顔の絵文字を添えてコメントしたのだ。   

>「『バービー』製作サイドの見識のなさはいわずもがな、特に批判の声が噴出したのが、唯一の戦争被爆国である日本でした。   

>原爆が日本にとっていかにセンシティブなテーマかということを、世界中で改めて強く認識されることになりました」   

>(映画ジャーナリスト)   

> 騒動が起きた当時、『オッペンハイマー』の日本での公開は未定だった。   

>映画評論家の松崎健夫さんが言う。   

>「理由は公に発表されていませんが、『オッペンハイマー』は原爆が題材ということで、日本人の国民感情を考慮して、慎重に公開の時期や宣伝の展開を検討したと考えられます」   

> 封切りされたのは、海外から遅れること約8か月後の329日。   

>日本でも公開初日からの3日間で約23万人が劇場に足を運び、興行収入は約38000万円を超えた。   

>各国で話題を呼んでいる同作だが、日本では十人十色の反応が巻き起こっているようだ。   

>手を血に染めてしまった   

> 物語の舞台は、第二次世界大戦中のアメリカ。   

>上智大学総合グローバル学部教授で、アメリカ研究を専門とする前嶋和弘さんが、劇中に描かれた時代背景を解説する。   

>「第二次世界大戦は、連合国(アメリカ・フランス・イギリス・ソ連など)と枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)の戦いでした。   

>ヒトラー率いるナチス・ドイツは原爆の開発を進めており、それを恐れたアメリカのルーズベルト大統領は原爆開発プロジェクトに着手しました。   

>それが『マンハッタン計画』で、科学部門のリーダーとして開発チームを主導したのが、のちに“原爆の父”と呼ばれるオッペンハイマーでした」   

> オッペンハイマーらが作り上げた原爆は、広島と長崎に投下され、広島で約14万人、長崎で約74000人の死者を出した。   

>だが本作では、原爆投下後の広島と長崎の惨状や、被爆者の姿が一切描かれていない。   

>そのため“原爆の犠牲者を置き去りにしている”との意見も多い。   

 

そうですね。わが国では犠牲者が一番大切ですからね。わが国には犠牲者がいて加害者がいない。奇妙な考え方をする国ではなかろうか。          

 

>「この映画は原爆を作ったオッペンハイマーの人生を描いたものであり、彼が何を考えて原爆を作り、その後にどんな生活を送ったのかがテーマです。   

>オッペンハイマーの視点で描かれているため、彼が実際に目撃していない原爆投下後の広島や長崎の惨状は描写されていない」(前嶋さん)   

> とはいえ、オッペンハイマーは自分が作り出してしまったものの残虐性を誰よりも理解していた。   

>「原爆の投下後、オッペンハイマーは膨大な犠牲者が出たことを知り、深く苦悩したのです。   

>開発に携わった人々が集まるセレモニーのシーンでは、原爆投下の映像を見て関係者が沸くなかで、映像を直視できないオッペンハイマーが描かれています」(松崎さん)   

> 被爆地の惨状を知るにつれ、オッペンハイマーは罪の意識に苛まれるようになった。   

 

印欧語族の文法には時制というものがある。未来時制には意思を表す内容もある。意思を表す人間には加害者意識がある。罪の意識もある。魂の救済を必要とする人々もいる。人々は罪を犯すことを恐れている。罪が無ければ天国に行ける。   

日本語文法には時制というものがない。だから、日本人には意思が無い。意思の無い人間には罪の意識もない。魂の救済を必要とする人々に応える宗教もない。日本人は罪を知らない子供のようなものだ。      

 

>原爆を「もっとも恐ろしい兵器」「われわれが育った世界の基準から見ても悪」と語り、原爆投下時のトルーマン大統領に面会した際には「手を血に染めてしまった」と悔やむシーンも描かれた。  

 

‘あいつ [J. ロバート オッペンハイマー] の手が血塗られているだって? 冗談じゃない。あいつには私の手についている血の半分もついていないさ。泣き言を言うなんて、けしからん。’ (ハリー・トルーマン大統領)    

 

> 今回の映画では触れられていないが、オッペンハイマーは1960年に知的交流委員会の招待で来日したことがある。   

>記者会見で「マンハッタン計画に参加したひとりとして、私は日本に原爆が落とされたことを深く悲しんではいるが、技術的成功について責任者の地位にあったことは後悔していない」と述べた。   

>来日時、広島や長崎へは立ち寄らずに帰国しており、被爆地の光景を見たくなかったからではないかとされている。   

> オッペンハイマーは、核兵器により「世界が壊れること」を誰よりも危惧していた。   

>少なくともこの映画が彼の人生を礼賛するものでないことは、事前に知っておくべきポイントだろう。   

>そうした「原爆の父」の苦悩を知ったうえで鑑賞すると、この作品の味わいもまた変わってくる。   

 

欧米人には罪の意識がある。だから、自己の行為の反省もする。被害者に謝罪し許しを請う。だから、彼らは信頼される。これは日本人とドイツ人の違いにもなる。      

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。   

 

>松崎さんは、「『オッペンハイマー』はアメリカの映画界に一石を投じた作品だ」と評価する。   

>「第二次世界大戦を題材としたこれまでのハリウッド映画は“原爆投下によって戦争が早く終わった”というアメリカの行為を正当化する視点で作られていて、日本人からすると複雑な気持ちになることが多々ありました。   

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日。 

残念ながらわが国の原爆開発はアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕は避けることができた。めでたし めでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。 ‘命 (ヌチ) どぅ宝’(何をおいても命こそが大切である。)ではなかったのか。  

‘封建国家で最も安価な資源は人命だが、我々にとっては、最もかけがえのないのは国民だ’(ウクライナ軍のワレリー・ザルジニー総司令官)   

 

>ですが『オッペンハイマー』はそういう視点のほかに、原爆を作った側の苦悩や葛藤も描かれていた。   

>これは初めてのことです。   

> 近年では原爆に対する若い世代の受け止め方が変化しており、彼らの琴線に触れたのもヒットの要因なのではないでしょうか」   

> 2015年のアメリカの世論調査では、65才以上の70%が「原爆使用は正当だった」と答えたのに対し、1829才では47%に留まった。    

>若者世代ほど、原爆を使用した過去に疑問を持っているのだ。   

> 1947年から、アメリカの原子力科学者会報は、核戦争などによる人類の滅亡を午前0時とし、残された時間を「終末時計」で示してきた。   

>創設年に「残り7分」だった時計は、米ソ冷戦が終結した1991年に「残り17分」まで巻き戻されたが、今年1月に発表された残り時間はわずか「90秒」だった。   

>※女性セブン2024425日号   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


現代新書編集部の意見  

2024-04-14 00:09:54 | 文化

>現代ビジネス   >「日本の現状を誰かのせいにする」人ばかりの社会で「変えるべきたったひとつのこと」   >現代新書編集部の意見・   >1日  

>なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか? 

>張り紙が増えると事故も増える理由とは?    

>飲み残しを放置する夫は経営が下手?   

10万部突破のベストセラー『世界は経営でできている』では、東京大学史上初の経営学博士が「人生がうまくいかない理由」を、日常・人生にころがる「経営の失敗」に見ていく。   

>世界から経営が失われている   

>経営とは、企業や社長のものなのだろうか。   

>『世界は経営でできている』で気鋭の経営学者は、経営を「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」だという。   

>そして、そのような経営はすっかりみられなくなった。   

>〈世界から経営が失われている。   

>本来の経営は失われ、その代わりに、他者を出し抜き、騙し、利用し、搾取する、刹那的で、利己主義の、俗悪な何かが世に蔓延っている。   

>本来の経営の地位を奪ったそれは恐るべき感染力で世間に広まった。   

>プラトンの時代からドラッカーの登場まで、人類史における本来の経営は「価値創造という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げるさまざまな対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」だったはずだ。〉   

>(『世界は経営でできている』より)

>〈しかし現代では、経営ときいて「価値創造を通じて対立を解消しながら人間の共同体を作り上げる知恵と実践」を思い浮かべる人は少数派になった。   

>人生のさまざまな場面において、経営の欠如は、目的と手段の転倒、手段の過大化、手段による目的の阻害……など数多くの陥穽をもたらす。〉   

>(『世界は経営でできている』より)

>経営概念、世界の見方・考え方を変えない限り、人生に不条理と不合理がもたらされ続けているのだ。   

>「価値は有限でしかありえない」のか?   

>〈日本には「価値は有限でしかありえない」という誤った観念が普及した。   

>(中略)   

>価値は有限だとする思い込みが流行するとともに、「価値を誰かから上手に奪い取る技術」を売り歩く人々が跋扈した。   

>いかにして価値を掠め取ったかを自慢するだけの書物が街に溢れた。   

>多くの人は経営の概念を誤解し経営を敵視するようになった。   

>そうするうちに本来の経営の概念は狡知の概念と入れ替わってしまった。   

>もし価値が一定で有限ならば、誰かが価値あるものを得ているのは別の誰かから奪っている以外にありえない。   

>善人に対しても「我々に気づかせないほど巧妙に、我々の価値を奪っているのでは」という疑念がよぎることになる。   

>こうした誤った推論により、日本の現状を誰かのせいにする言説が流行した。   

>若者が悪い、高齢者が悪い、男性が悪い、女性が悪い、労働者が悪い、資本家が悪い、政治家が悪い、国民が悪い……。   

 

我が国には悪者が揃っていますね。それは間違いではなかろうか。      

 

>現代では誰もが対立を煽る言葉に右往左往している。   

>自己責任論という名の、責任回避の詐術に全ての人が疲弊させられてきた。   

 

そうですね。日本語の自己責任は他人責任の言い換えにすぎませんね。  

 

>誰もが別の誰かのせいにし、自ら責任を取る人はどこにもいないかのようだ。〉   

 

そうですね。日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任もない。兎角この世は無責任。日本人の責任者捜しは難しい。        

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)

【英対する開戦の詔勅】

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ

まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。

開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。

 

一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。意思の無い者に、意思決定ができるのか。      

 

>(『世界は経営でできている』より)   

>価値を有限だと思い、何かを誰かと奪い合うのは、個人と社会にとって大きな損失である。   

 

そうですね。ゼロサムゲーム (a zero-sum game) はやめましょう。      

 

>そのことを理解して、初めて日本や世界が豊かになる方法を考えることができるのかもしれない。   

 

そうですね。我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。   

 

(略)

 

 

 

 

 

 


歴史的転換点

2024-04-13 12:17:58 | 文化

>中央日報   >岸田首相、“戦争可能な正常国家”公式化「歴史的転換点に直面」   >9時間・   

>岸田文雄首相が日本の安全保障政策(defense policy)の大転換を公式化した。   

>岸田首相は日本の首相として9年ぶりの米国国賓訪問を控えて7日(現地時間)に公開された米国CNN放送とのインタビューでこれを「歴史的な転換点(historic turning point)」と命名した。

>1947年戦後米国主導で平和憲法が作られた後、77年ぶりに日本が国家安全保障のために戦争することができる「一流国家」になったという宣言を米国でするものとみられる。   

>岸田首相はこの日のインタビューで「日本はロシアのウクライナ侵攻や継続している中東情勢、東アジア情勢を目の当たりしている今、我々は歴史的な転換点を迎えている」とし「これこそ日本が防衛力を抜本的に強化する決定を下し、これらの問題に関連した日本の安全保障政策を大きく転換した理由」と明らかにした。   

>具体的に「我が国の周辺においては、弾道ミサイルや核の開発を進めている国、また不透明な軍事力の増強を進めている国がある。   

>そして実際に南シナ海、東シナ海においては、力による現状変更が現実に行われている」とし、北朝鮮・中国発の安保脅威が安全保障政策転換の理由に挙げた。   

>続いて「米国がこの点を理解し、地域の平和と安定の向上に共同で取り組むことができれば望ましい」とし「今回の訪米を通じて日米協力をさらに進化させる姿勢を世界に示すことが重要だ」と述べた。   

>岸田首相は訪米中の11日に予定された米上下院合同演説を通じて「国際社会が歴史的な転換点を迎えた中で、未来に対して確実に視線を置いた演説をしたい」と述べた。   

>岸田首相のこの日の発言は、2013年安倍晋三元首相が平和憲法第9条を無力化する集団的自衛権行使を規定した3大安全保障文書を決定して以来11年ぶりでもある。    

>その後2022年改正を通じて日本は「専守防衛(攻撃を受けた場合に限り、必要最小限度の防衛力行使)」原則から脱して「敵基地攻撃能力」まで具体化するなど正常国家化の道を段階的に踏んできた。   

>また、2027年までに防衛予算をGDP(国内総生産)の2%水準まで引き上げる予定で、最近では米国の先端武器を日本で共同生産・輸出することも決めた。   

>これに関連し、日本国家安全保障局の秋葉剛男局長はこの日、ワシントン・ポスト(WP)への寄稿文で「日本は武器輸出を控えてきたが、安全保障問題が深刻化し、この政策は適切ではなくなってきたことが分かった」とし「日本は戦闘機を含めて多様な国防装備の移転を可能にする道を開いた」と明らかにした。   

>さらに11日にワシントンDCで開かれる初めての米国・日本・フィリピンの3国首脳会談では、南シナ海などで3国共同訓練および巡回査察のために日本自衛隊のフィリピン循環配置を協議する予定だ。   

>ロシアは米日同盟強化の動きに直ちに反応した。   

>クレムリン宮のペスコフ報道官は8日、米日関係について「米日はすでに事実上軍事同盟関係」としながら「これはいつもロシアと日本の平和条約問題を解決しようとする試みに対する障害物だった」と批判した。   

>第2次世界大戦で敵国として戦ったロ日はまだ敵対行為を終息する平和条約を締結していない。   

 

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相     

 

 

 

 


じゅそうけん氏  

2024-04-13 04:07:43 | 文化

>プレジデントオンライン   >「三菱商事採用大学ランキング」を見れば一目瞭然、、、学歴社会・日本で成功に必要な「出身大学の最低ライン」   >じゅそうけんの意見・   >11時間   

>学歴について、どれくらい重視して考えるべきか。   

>学歴研究家のじゅそうけんさんは「日本はバリバリの学歴社会である。   

>多くの大企業は『マーチ以上』に設定された暗黙のルールをとりあえず設けている。   

>野球の大谷翔平選手や将棋の藤井聡太竜王・名人など、常軌を逸した才能の持ち主でなければ、無難にできるだけ難関の大学に行っておくべきだ」という――。   

 

>※本稿は、じゅそうけん『中学受験はやめなさい 高校受験のすすめ』(実業之日本社)の一部を再編集したものです。   

>職業や所得、社会的権威が学歴によって決まる社会   

>中学受験にしろ、高校受験にしろ、成功すれば良い学歴が手に入ります。   

>そもそも論として、「学歴」とはなんなのでしょうか。   

>一般的に学歴とは個人の学業上の経歴を指すもので、主に小学校、中学校、高校、大学、専門学校、短期大学、高等専門学校、大学院の経歴を示す場合が多いです。   

>最後に卒業した学校歴は「最終学歴」と呼ばれます。   

>また「学歴」をもとに職業や所得、社会的権威が決まる社会のことを「学歴社会」と呼びます。   

>現代では就職の際、その人の最終学歴が応募の条件になっているなど、学歴によって職業選択のパスポートを得られることは常識ですが、近代以前の社会では身分、家柄、財産、縁故といった要素が大きな割合を占めていたと言われています。   

 

学歴の導入は身分制度を打破する手段として民衆に喜ばれましたね。   

 

>日本においては明治時代以降、近代的な官僚制度が誕生し、官僚たちに学歴や学力試験が要求されたことから、学歴社会の基礎が築かれたというのが定説です。   

1872年には学制が発布され、大学区、中学区、小学区に1校ずつ学校が設置されました。

1877年には当時日本で唯一の大学であった東京大学が、20年後の1897年には京都大学が設立されました。   

>大学は北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の7校の他に、台湾にあった台北大学、韓国にあった京城大学を合わせても9校しかありませんでした。   

>大正時代に入ると大学令により日本最初の私立大学が認められ、福沢諭吉が設立した慶應義塾や、大隈重信が設立した早稲田が正式に私立大学として発足しました。   

>日本はバリバリの学歴社会   

>小学校・中学校・高校に目を向けてみると、学制が発布された明治時代の当初は「下等小学校」と呼ばれる4年制の学校と、それに続く「高等小学校」と呼ばれる4年制の学校がありました。   

>下等小学校は「尋常小学校」と改称され、1886年には義務教育化しました。   

1907年には修業年数が6年間に延長され、現在の小学校と同じ年数となっています。   

>現在の高校(高等学校)にあたるのは5年制の「旧制中学校」であり、特にその後半部分です。   

>大学に進む場合の進路は、小学校が6年、旧制中学校が5年、旧制高等学校が3年、帝国大学が3年だったので、「6533」制といえます。   

>第二次世界大戦後には男女共学化などの改変がなされ、義務教育は小学校+中学校までの9年間に延長され、小学校が6年、中学校が3年、高等学校が3年、大学が4年という、現在の「6334」制となっています。   

>それまでの旧制中学校、高等女学校、実業学校などが「高校」(新制高校・高等学校)として一本化された現在の学制は、「複線型」に対して「単線型」と呼ばれることもあります。   

>そんな背景がある日本の「学歴社会」ですが、私は現在でも、というか現在の方が日本はバリバリの学歴社会であると感じています。   

>特に出身大学は重視される場面が多いと感じます。   

>その理由としては大きく2つあり、1つ目は進学率、就職、所得といった目に見えるデータに表れている点、2つ目は評価、アイデンティティ、エンタメといった数値化しにくい部分にも表れている点です。   

>大谷翔平、藤井聡太でなければ無難に大学へ行っておく   

>まず日本が学歴社会である証拠として、こんなデータを挙げてみます。   

>文部科学省の「学校基本調査」によると、大学進学率は1991年には25.5%でしたが、2023年には57.7%と、ここ30年で2倍以上に高まっています。   

>国民の半数以上が「とりあえず」大学に進学する時代であり、この傾向は今後も続くでしょう。   

>また厚生労働省の賃金構造基本統計調査をもとに算出したデータによると、学歴・男女別の年収は図表1の通りです。   

>男女ともに大卒・大学院卒の年収が最も高くなっており、学歴と年収には相関がある学歴社会といえるでしょう。   

>インフルエンサーの中には、「大学なんて行く必要ない」「今の時代学歴なんてなくても成功できる」などと言っている人もいますが、そう言っている人に限って難関大学を出ていたりします。   

 

我が国は難関出身者が幅を利かせる世の中ですからね。新しい身分制度ということができますね。       

 

>野球の大谷翔平選手や将棋の藤井聡太竜王・名人など、常軌を逸した才能の持ち主でなければ、無難に(できるだけ難関の)大学に行っておいた方が良いというのが私の持論です。    

 

それは情けない現状ですね。改革が必要ですね。      

 

>さらに同じ「大卒」の中でも、就職の際は「学歴フィルター」によって、もっと細かく選別がされています。   

>私が勤めていたM銀行でも、法人営業を担う総合職はほぼ全員がGMARCH以上でした。   

>参考までにダイヤモンド・オンライン調べの、「三菱商事 採用大学ランキング」を載せておきます(図表2)。   

>このような「マーチ以上」に設定された暗黙のルールは多くの大企業がとりあえず設けていると考えられます。   

>同じ寡黙な人でも「冷静で思慮深い」が「暗くて陰険」になる    

>次に数値化しにくい分野でも、日本が学歴社会であると感じる点は多々あります。   

>最もわかりやすく生活に溶け込んでいるのは、「印象」面でしょう。建前として「学歴が全てではない」「学歴は関係ない」という宣言をする人も、心のどこかで相手を学歴で判断してしまっている側面があると思います。

>例えば同じ「寡黙な」人がいたとして、その人が高学歴であれば「冷静で思慮深い」という良い印象を抱くでしょうし、反対に低学歴であれば「暗くて陰険」といった悪い印象を抱くかもしれません。   

>結局、ほとんどの人は自らの物差しで相手の実力を判断することなんかできず、「学歴」「職歴」といったわかりやすいフィルターを通して他人のことをわかった気になっているのが現実なのです。   

 

学歴は上と見るか・下と見るかの判断を必要とする序列社会においては重宝な手段ということができますね。   

 

>また他人との交流ではなく、自身の内面や自己決定といった面でも、学歴は重要な役割を果たしていると感じます。   

>例えば幼少期から勉強が得意で、受験でも良い結果を残した人は、なるべく知能を生かすような仕事に就きたいと考えるでしょう。   

>高学歴な人が自発的であるにせよ何らかの事情があるにせよ、高学歴者が少ない仕事に就いた場合、「○○大学を出たのに」といったコンプレックスになる場合も多いと思います。   

X(旧Twitter)では、高学歴なのに大企業でうまくやっていけずフリーターになってしまったり、ニートになってしまったりした人たちが悲痛な叫びを上げています。   

>「東大を出たのに」という魔力   

>個人的には別に東大卒だろうとフリーターやニートをやっても全然問題ないと思いますが、これらの出来事が著しく彼らの自己肯定感を下げてしまっているところを見ると、日本社会で生きるにはどうしても意識せざるを得ない「学歴」の魔力を感じます。   

>このように日本社会では今でも学歴が重要な役割を占めており、進学率や所得といった明確なデータに表れています。   

>また私は以前、仮面浪人・再受験専門の学習塾を経営していたのですが、日々「学歴コンプレックス」を抱えた人々からの相談を受けていました。   

>このような経験からも、目に見えなくてもその人のアイデンティティを形成する重要な要素としての「学歴」を実感しています。   

---------- じゅそうけん 学歴研究家 受験総合研究所、略して「じゅそうけん」の名前で活動する学歴研究家。   

>本名は伊藤滉一郎。   

>じゅそうけん合同会社代表。   

>「じゅそうけんオンライン塾」を運営する傍ら、X(旧Twitter)をはじめとするSNSコンサルティングサービスも展開する。   

>早稲田大学を卒業後、大手金融機関に就職。   

>その後、人生をかけて学歴と向き合うことを決意し退職。   

>高学歴1000人以上への受験に関するインタビューや独自のリサーチで得た情報を、X(旧Twitter)やYouTubeWebメディアなどで発信している。   

>著書に『中学受験 子どもの人生を本気で考えた受験校選び戦略』(KADOKAWA)、『中学受験はやめなさい 高校受験のすすめ』(実業之日本社)がある。   

----------   

 

[階称] 日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

[序列人間] 日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

 

 

 

 


高学歴・高収入  

2024-04-12 17:50:27 | 文化

>努力家で高学歴・高収入の親ほど、子どもにも同じルートを歩んでほしいと思う気持ちは強い。   

>将来幸せになってほしい、安全で健康に過ごせるよう衣食住や教育環境を整えてあげたいと思うのが親心だろう。   

>しかし、高学歴がゆえに教育虐待に陥り、親子関係が悪化してしまうケースもあるのだ。   

 

そうですね。   

 

>高学歴親が子に与える影響は具体的にどのようなものか。   

>危機管理コンサルタントの平塚俊樹氏は言う。   

>「高学歴の親ほど、子どもがやることに対して口出しする傾向が高いです。   

 

それは自分が正しい道を知っていると信じているからですね。   

 

>自分が育った環境・経験が正しいと思い、発達中の子どもが歯がゆく先回り、あれこれ指示を出してしまうんです。   

>お受験に有利な習い事や子どもの進路先、しまいには交際相手などにも口出しをしてしまう可能性も。   

>彼女らは、私と同じような人生を歩むのが幸せだと信じて疑わないのです。   

 

人の人生は様々です、けれどもですね。   

 

>親の完璧主義は子育ての悲劇になりかねません。   

>親子関係が悪化しないために、子どもの能力を尊重し自主性を育める環境の整備が大切です」   

 

そうですね。   

 

>高学歴=幸せなのか。   

>今回は、東海地方で暮らす主婦へ、高学歴・高収入ゆえの教育の悩み、葛藤について話を伺った。   

>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   

>加藤真由美さん(52歳・仮名)は夫婦ともに歯科医で、東海地方の総合病院で勤務している。   

>真由美さんの父親も歯科医で、小さい頃から自分も父と同じ職に就くと志していたようだ。   

>世帯年収は1,800万円。   

>地方で夫婦ともに歯科医、15階建てのマンション最上階に住む彼女らは”勝ち組”と言えるだろう。   

>真由美さんの家族構成は、夫、真由美さん、娘(27歳)、長男(23歳)の4人。   

>長男は大人しい性格で昔からゲームが大好き。   

>コツコツ努力できる性格で大学在学中から税理士を目指し、現在も猛勉強中らしい。   

>一方、真由美さんが悩んでいたのは娘(A子)の将来だった。   

A子はとにかくポジティブな性格で友達が多く、家に籠もってゲームをすることが好きな長男とは正反対。   

>小学生の頃は毎日、友人たちがマンションに迎えてくれて一緒に登校。   

>休日は必ず朝に電話が鳴り、遊びの誘いがあるほど人気者だった。   

>「娘はもう27歳になりましたが、進学の件では揉めましたね......。   

>家出されたこともありましたし。   

>もう9年前の話ですが、子育てのなかであのときが一番キツい時期だったなと思います」   

>奈美さんは当時のことを、懐かしみながら語った。   

>「私たちのように歯科医を目指せとまでは言わないけど、優秀な大学に入っていい仕事に就いてほしい、将来苦労してほしくないと強く感じていました。   

>娘にとって最高の環境を整えてあげたく、小学4年生から塾へ通い中高一貫校の私立へ通わせました」   

>努力が実り、A子は第一志望の中学へ入学。   

>どんな環境でも楽しめる陽気な彼女は私立中でも友人をたくさんつくり、毎日楽しそうに登校していた。   

>テスト期間中は友人らとフリー自習室やスタバで勉強し、放課後はカラオケに行ったりプリクラを撮って遊んだりと、充実した生活を送っていた様子。   

>成績上位とまではいかなかったが、席次は常に50番以内をキープ。   

>学年250人中の50番はある程度上位の大学を狙える範囲内だった。   

>最高の学習環境を整えたいと思い、夏休み3週間の短期留学プログラムへの参加、約60万円かかるオーストラリアの修学旅行にも行かせた。   

>公立校とは異なりさまざまな体験ができる環境に身を置き、有名私大へ通えるよう全力でサポートしてきたようだ。   

>「娘には『将来なにしてもいいのよ、やりたい事をやりなさい』とは言っていたけど、本音を言うと私たちのような歯科医か、医療に従事する仕事もしくはグローバルで活躍できる人材になってほしいと思ってました。   

>そのため、幼少期から教育にかける費用は惜しまなかったです。   

>しかし娘は自由奔放な性格。   

>仲がいい私立の友人たちは優秀とはいえない子ばかりで......」   

 

そうでしょうね。類は友を呼ぶでしょう。   

 

>今まで勉強しろと口に出さない夫婦だったが、高校2年生に進級した際の内申は4.0、全国模試の結果は第一志望にしていた東京の私大がD判定。   

>満足とはいえない結果を見て、進路の口出しをするようになった。   

>「娘が高2の頃、長男は中1で同じ学校へ通っていました。   

>長男はコツコツ努力型なので席次は10位以内。   

>娘に対し『弟は成績上位なのに、あんたも真剣に考えなさい!』『いま頑張らないと将来苦労するんだからね!』と頭ごなしに怒り、勉強しろと強く言いました。   

>カラオケやプリクラ、メイクやヘアセットに一生懸命で『そんなの大学行ったらいくらでもできるでしょ!くだらない!』と娘の好きなことを否定していたんです......。   

>反抗期も重なり、口を開くとうざい!私の勝手でしょ!好きで私立行ったんじゃない!別に東京の大学行かなくてもいいし、誰も希望してない!なんて言われちゃって。   

>家にいるのが居心地悪かったのか、ついに家出をしたんです......」   

>家出した先は、同じ私立高校に通う友人M美の自宅だった。   

>2人は中学から仲がよく、定期的にお互いの家に行ったり来たりする仲。   

>親同士も顔見知りで、連絡先は知っていたようだ。   

M美の母から着信が入る。   

>「A子ちゃん、家に帰りたくないってM美に言ってるみたいで......。   

>主人は出張ですし、もしよければうちに泊まらせてOKですよ。   

M美も楽しそうなので」   

>優しい言葉をかけてもらい、M美の家族へ甘えることに。   

>家出したA子の話を夫にすると「あの子の人生なんだから、大学は好きなとこ行かせたら?   

 

そうですね。子供の人生は子供自身に決めさせるのがよいですね。   

 

>歯科医だけが正解じゃないでしょ?」と言われ、真由美さんほど子どもの将来を真剣に考えていない様子だ。   

>「私からすると、楽して生きていけるほど世の中甘くない。   

>女性は出産・育児というハンデを背負うと社会で活躍しづらい。   

>何歳になっても一人で稼げる能力と技術を身につければ困ることはないと、娘のためを思ってきたのに......これまで頑張ってきたのは何だったんだろうと空虚な状態が続きました」   

 

何よりも自由が大切ですね。自分で決めた人生に悔いはない。       

 

>娘が家出したあと、本人が進みたい道を応援してあげたいと思う真由美さんだったが、その一方で「自分のような人生を歩んでほしい」と強く願う感情が消えないのは確かだった。   

 

我が子を自分の後継者にしようとする親は多いですね。家元制度のようなものか。家業中心の考え方から個人中心の考え方に切り替えると、人間の幸福感は増大しますね。いずれにしても子供の未来を奪うのはよくないことです。子供の幸・不幸に関係しますね。        

トットちゃん (黒柳徹子氏) は自分の好きなことだけをやってきた。そうすれば、仕事は面白いし、神経は集中するので能率は上がるし、それ相当の成果が期待できますね。  

 

>☆「東京の私大に行きなさい!お母さんたちのように歯科医を目指すの!」後半では、高学歴親が抱える悩みと一筋縄ではいかない子育てについて詳しくリポートしていきたい☆   

>取材・文 錦城和佳