昭和20年8月18日 父を残して母子7名は豊原を発つ
大泊港から引揚げ船白龍丸に乗り小樽港へ向かう
船倉には大勢の朝鮮の人が乗っており 暴動が起きそうな不穏な雰囲気だった
私たちは甲板のテントにいたが 途中 潜水艦が出没し
船はエンジンを止め灯りを消して難を逃れた
最初乗る予定だった 小笠原丸
他2隻が 留萌沖で攻撃され沈没 大勢の人が犠牲になった
幸運に生き永らえた幸せを感じている
樺太の野原にあった ”フレップ”
同じかどうか判らないが 今年我が家で生った コケモモ
昭和20年8月18日 父を残して母子7名は豊原を発つ
大泊港から引揚げ船白龍丸に乗り小樽港へ向かう
船倉には大勢の朝鮮の人が乗っており 暴動が起きそうな不穏な雰囲気だった
私たちは甲板のテントにいたが 途中 潜水艦が出没し
船はエンジンを止め灯りを消して難を逃れた
最初乗る予定だった 小笠原丸
他2隻が 留萌沖で攻撃され沈没 大勢の人が犠牲になった
幸運に生き永らえた幸せを感じている
樺太の野原にあった ”フレップ”
同じかどうか判らないが 今年我が家で生った コケモモ