昨夜遅く
長野の友の娘さんから電話があった
「20日 母がが旅立ち すべて終わりました
最後まで母らしく 安らかに亡くなりました」
60数年もの間私の目標であった友
いつかこの日が来るとは思っていた
昨年秋 お会いした時
「死ぬのは怖くないが苦しんで死にたくない」と話していたが
安らかな最期を迎えたのを聴き安心すろ
全て後のことを考え
旅立ちの時着る物も準備してあったが
リュックサックの中に「旅の着物」と書いて
無造作に入れてあったそうである
お墓も山が綺麗に見える 富士見に準備してあった
海の日に亡くなったが
山や花と同じく海も大好きだった
札幌時代の夏 仕事を終えた後も 毎日のように
銭函の海へ泳ぎに行っていた
末期がんで余命僅かといわれてからも
精いっぱい前向きに生きた ユーモアを忘れなかった友
心の中で
いつまでも生き続けて行くだろう
友の冥福を祈っている
大雪山は 私の原点と言っていた
再び来ることは叶わなかったが・・・
黒岳登山の時
チベットにて
“ノビレダイオウ” “ブルーポピー” に出会ったとき
「もう死んでもいいと思った」と語っていたが それから11年生きた