1942年(昭和17年)国民学校 4年生
6月ミッドウェイ海戦で日本軍は大打撃を受けたが
国民には知らされなかった
学校でも家でも日本軍は勝っている信じていたし
洋服はほとんどお下がりばかりだったが
生活もたいして変わりなかった
我家に下宿するようになった
従兄のサッカーの試合を(蹴球・・しゅうきゅうと呼んでいた)
応援に行ったことがあった
従兄は20年5月に特攻隊で戦死したが
あの時の試合の情景はは今も脳裏に焼き付いている
※サッカーフランス大会の前に新聞に投書した時の記事と
相手チームの選手だった方からの手紙
昭和も戦争も遠くなり
知っている人も少なくなった
夫の話し
その頃樺太に住んでいたが
予科練にあこがれて試験を受けたいと言ったら
教員だった父が
何も言わずに ただ悲しそうな顔をしたので
諦めたそうである
お国のために進んで戦争に行くのは当たり前 戦死は名誉なこと
反対できなかった時代だった