一日も早い停戦 ウクライナの平和を願い祈っています
3月の空の旅
東京への出張で 我が街から飛行機に乗ったのは
今から45年以上前の事だった
1966年(昭和41年)に旭川空港が開港し
飛んでいたのは
国産のプロペラ機 YS11 60人乗り
所要時間はたしか3時間45分だったと思う
ネットから拝借
3月の初旬
ジェット機より安全だと言うが
乗ったことのある人に脅かされ 好奇心と不安な気持ちが
入り乱れていた
機体は大型バスに羽が生えたようで華奢
思っていたより小さい
快晴の行きは快適で 全く揺れなく
眼下の景色を楽しみながらの飛行だった
帰りは
午後から荒れた天気になった
羽田空港では 旭川便は天候の回復待ちだったが
欠航にはならず
1時間ほど遅れて飛び立った
離陸したとたん途端
牛乳の海の中に入ったようだった
何も見えず息するのも辛い感じがする
おまけに
ガタガタ ミシミシ バリバリ 荷物の棚がゆれ動く
華奢な機体が ばらばらになりそうで 不安があふれる
時々エレベーターが下がるように急降下する
ドス~ンと響く
隣の席は 赤ちゃんを抱いたお母さんだった
見ると真っ青な顔をしてぐったりしている
人懐こい赤ちゃんはケロリ
私が抱っこしていることにした
客室乗務員も見に来たがそのまま
赤ちゃんをあやしながら過ごした
赤ちゃんに癒されたのが良かったのだろう
酔うこともなく
無事 冬の旭川に到着した
その後滑走路も広がり
1982年(昭和57年)にはジェット機が飛ぶようになった
今は懐かしい YS11 搭乗の貴重な体験
(YSが日本の空から消えたときにも載せたことがあった)