今朝の大雪山 空は秋の気配
78年前の8月
15歳だった夫は学年の皆と泊まり込みの援農中に
(戦争に行って男手ない農家の手伝い)8月15日を迎えた
援農は中止になり 豊原市の師範学校に戻った
15歳以上の男子は樺太に残らなければならないきまりになり
学校側から 一旦家に帰り
親に会って戻ってくるように指示され
西能取岬(にしのとろみさき)の 知志谷(ちしや)にある家に
同じ村出身の友と二人で鉄道と徒歩で帰った
知志谷は北海道に一番近い 西能取岬 の近くの小さな村で
父は教員だった 家族に別れを告げ
友と二人豊原に歩いて向かう途中 峠を越えた地の駐在所で
豊原市が空襲で大きな被害を受けたこと
ソ連軍が侵攻して来て
危険が迫っているから家に戻りなさいと言われ
引き返すことにした
二人が 知志谷に戻った時 ソ連軍の侵攻を知った家族は
地域の人たちと一緒に 漁船で北海道に引揚げる寸前だった
地図はネットからお借りしました
同じような 戦争体験をした同士であり 同志
引揚げ者は難民と同じ その後の生活はもっと過酷だった
ウクライナと同じ
二度と戦争はしてはいけない
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入院中の夫は明日16日に介護付有料老人ホームに移る
昨日は電話が来なかったが 来ないと気がかりである