黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

にゅうめん

2024年11月21日 | たより
昨日のお昼は にゅうめん だった

大好きなので 完食 

おいなりさんも1個いただいた

勉強家の S子さんが

「にゅうめん 漢字ではどう書くのかしら」

と言うので 気になり調べてみた


にゅうめんは、漢字で書くと「煮麺」となるが、
その字の通りそうめんを煮たもので、冬は温かく、
夏は冷やして季節の具を上に飾る。 
にゅうめんには、県産三輪素麺の中でも
製造から1年以上経過したコシのある
涸物(ひねもの)が適している 
ネット検索


変化の少ない日々の中でも

ちょっとした疑問から 話題が広がっていくのは楽しい



少々塩分摂りすぎだったが 体重は増えていた


今朝の食事







十一月になって 著名な方三人の訃報が・・・・


寂しくなっていく ご冥福をお祈りする

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通話料の節約

2024年11月20日 | たより
今まで  携帯電話の通話料金は

 そんなに使わないのに6,000円を超えていた

施設生活になり節約したいし 出歩くこともごく少ない


娘に勧められ 

10月半ば過ぎに店に連れて行ってもらい


格安の〇〇モバイルに乗り換えた


65歳以上15分かけ放題 安心パックのプランだが


〇〇のアプリからかけると長電話でも無料になるという


いつもアプリからかけることにした


昨夜は神戸の友と30分以上も話し込んだが


今までと変わらない音声で聴こえ方も同じだった


どのくらい節約になっているのか楽しみである





昨日

21cm積もった雪も融け始めた

まだ根雪にならないようである

 ヘアーカットの後 ずっと横になってしまった


食欲もなかったが 今朝はほぼ全部いただいた


お味噌汁の とろろ昆布 いつもより多いのに食べて


塩分摂り過ぎたようである


だましだましの身体 自己管理です

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紅葉と雪景色

2024年11月19日 | たより
八王子の友から 紅葉散歩の写真が届いた
 

元気そうな笑顔も一緒に






今朝 目覚めると・・・・


ニュースでは 積雪19センチで真冬日らしい


来るものが来たとの思いで 一枚多く毛織のベストを纏う


暖房の入った部屋は24℃あるが 


大きなガラス窓から 寒さがしのび寄ってくる




朝ご飯は完食


体重は ここ数日40.2kg と変らない

昼夜の食事が足りないのだろうが

お腹が空くことがなく 食べられない




廊下の往復を一回してから パソコンに向かう


アップルウォッチが スタンドの知らせーーーー

立ち上がって歩きはじめたら 足の力がすーっと抜けるよう

手すりにつかまって治まるのを待ち

1分くらい歩く




読書はなかなか進まないが 昨夜10ページほど進んだ

午後はヘアーカットの予定です

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氷点橋

2024年11月18日 | たより

旭川ゆかりの作家 

三浦綾子さんの小説 「氷点」にちなんで名づけられた



病室の窓からの氷点橋 2023年11月29日撮影





今日は日中でも氷点下で 時おり吹雪模様だが


少し気持ちが落ち着いたので「氷点」を読み返している


敗戦後間もなくの小説の時代から長い年月が経ち


街も人たちも変わったが


  大雪山や多くの川 見本林もそのまま


豊かな自然に恵まれている




今の私に出来ることは少ないが


一日一日を無駄にしないで 目標を持って生きよう


夫の94歳まで生きられるか自信はないが・・・



★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


夫の旅立ちについて 

迷いながら思いきって記したが

載せた写真は入院中 iPhone で写したものを

iPad で編集しパソコンに取り込んだり

Google フォトからダウンロードしたりした

スマホに慣れないので写し方が下手だが

カメラがなくても大丈夫だった

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夫の旅立ち その三

2024年11月17日 | 旅立ち
気温は高いが荒れた天気

寂しい気持ちになってます





夫が旅立って



私は 悲しむだけでどうすることも出来なかったが


生前から家族葬にとの希望通り 誰にも知らせず身内だけ


長女の婿さんが施主をつとめ


娘たち夫婦がすべて行ってくれた




 

14日の夜は神楽の斎場に安置されたが

私の病室からは 池 忠別川を隔ててほど近い

窓際に立つと それらしい建物が見える

手をあわせ

安らかにと ひたすら祈っていた





15日午後 柩を乗せた車が 斎場へ向かうとき


氷点橋を渡って行くという 


二女がラインで教えてくれ


 ゆっくり橋を渡る白い車を


病室の窓ぎわで 祈り見送った





大好きだったサラブライトマンの曲が流れ


通夜 葬儀は 滞りなく行われた





葬儀の日 2023年11月16日は 小春日和だった


お棺には

夫の母が紡いだ着物を着せてもらい


スイス旅行の二人の写真も入れてくれた





2023年 11月16日 リハビリ病院にて



二女の婿さんが ラインで動画や写真を送ってくれたので


参列は出来なかったが 参列したような気持になっていた




ラインで届いた大雪山










日暮れは早く  窓の外に三日月が・・・・


 急に


冷たい寂しい気持ちで胸がいっぱいになってきた


夫は

 遠い 遠い 遥か遠い 知らない世界へ逝ってしまった



寂寥感に包まれ ただ涙があふれてきた

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夫の旅立ち その二

2024年11月16日 | 旅立ち

霧の朝

今日も小春日和になりました




夫の旅立ちのこと



転院した夫は

短時間の面会が許され

娘たちは時々会いに行っってくれたが

食べられるるようにはならず

徐々に衰弱して行ったようである




私は ようやく歩行の許可が出

見守ってもらいながら

 トイレまでつたってやっと歩けるようになり

14日にリハビリ病院への転院が決まった




2023年 11月10日

入退院を繰り返していた 長女のお姑さんが亡くなられた

表装をはじめたころ画家を紹介し下さったり

夫も私も随分お世話になっていた


12日お通夜が行われ

悲しいが 

ベット上でご冥福をお祈りすることしかできなかった




13日葬儀の朝

夫の容態が急変したとの連絡があり


長女 二女夫婦は 葬儀に参列できないまま


夫の病院へ駆けつけた



娘から連絡を受けたが どうすることも出来ず


ただ涙が溢れるままでいた



様子を知った看護師の K さんが急いで枕元にやって来て


「ご主人に会わせてあげるから待っててね」と言ってくれる


ナースステーションでは娘と電話でやり取りしている声が


やや暫くして 

「ご主人と繋がったから・・・沢山お話ししてくださいね


何時間でもいいですよ」と





iPadの画面には


目をつぶった夫の姿があり


苦しそうに呼吸しながら時々声が漏れてくる


泣きながらiPadの中の夫に語り掛けた


私の声がわかるらしく


「長い間ありがとぅ」と言うと


「う~~ん」と返事をする


一緒に沢山旅行できてよかったね・・・・・

「うーん」


後は何を話したが覚えていないが


最後に

疲れたでしょう もう休んでいいよ 


「うーん」 と返事をしてくれた



夕方

容態は少し落ち着き楽そうになったと連絡があり


安心した






11月14日 朝

夫の容態は落ち着いており 昨日より楽そうだからと

二人の娘は私の病院へ来てくれ

リハビリ病院への転院に付き添ってくれた


手続きが終り 


病室へ入るのと同じころ


見届けたように


旅立って行ってしまった

つづく

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夫の旅立ち その一

2024年11月15日 | 旅立ち
昨日14日 お昼の大雪山









 夫の旅立ちのこと




昨年  私が心筋梗塞の治療を受け



ICUから一般病室へ移った 10月8日ころである




発熱して入院したことを 娘が電話で知らせてくれた




夫は


8月半ばから施設でお世話になっていたが


COPD が悪化して酸素吸入中であり


心房細動に 脳の病気 加齢黄斑変性による失明などで


要介護 5






誤嚥性肺炎 だった




元気な時から延命治療は行わないと 医師に伝えてあったが



肺炎の治療はしていただいた



どちらの病院も面会謝絶



娘からの電話で 容態を知らせてもらったが



私も心不全を併発して 苦しい日々が続いており



 どうすることも出来なかった





10月末には 熱が下り 肺炎は軽快したが


食べるのは無理な状態であった



11月初めに 療養病棟のある病院へ転院した


寝台車で 寝たままの状態だったが


「バアサンはどうした? どうしてる?」


と 娘に聞いていたそうである



つづく


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今年最後かも 小春日和

2024年11月14日 | たより

今年最後かも 小春日和の良い天気



陽射しが心地よい



一周忌法要は終わったが 夫の祥月命日である



昨日Hさんがお花を届けてくれた








施設では お供えのご飯を用意してくれる




安らかにと 遺影に祈る



娘もお寺にお参り行くと言っていた





体調は少し良いが



ぼ~~っとしていて 新聞の活字が霞んで見えないし



 皆さんの顔がボンヤリ


頭の中が 半分眠っているような

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毎日笑顔でいようね

2024年11月13日 | たより
仲良くなった方たちとのおしゃべり


夕食の後の短い時間だが楽しい


話題を探し


毎日笑おうね 笑顔でいようね と笑っている



AI さんに描いてもらった

笑顔のオバアサン

こんなに美人ではないけれど・・・・









昨日は体調が悪く 食欲もなかったが


今日は少し良くなってきた



16日のコンサートは 自信がないので行かないことにした


YouTubeや テレビで音楽を楽しんでいる

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木々が枯れて行くように

2024年11月12日 | たより
久しぶりに 山々がうっすらと見えた


今朝の最低気温 マイナス2.4℃













一周忌法要が終わったことを


仙台の本家の甥と


高崎に住む夫の姉と姪に電話で報告する




97歳の姉は最近電話にも出られなくなった



樺太時代 女学校の先輩であり


私が勤めていた病院に入院したことがあり


夫を紹介してくれた 


夫とは姉弟の中で一番仲良かった



木の葉を落として木々が枯れていくように


人もまた 沢山の思い出を胸に枯れていく





ひとくぎりついて

まだ生きていけそうな気持でいる


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