黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

“花とき”例会

2017年08月21日 | たより

パソコン仲間の勉強会 と言っても

手と一緒に口の方が動く

おしゃべりが楽しい

テーマは決めていないがそれぞれの勉強

必ず一つは発見して帰る

今日も元気を貰った

ガガイモを写しに行ったSさん

1っ個だけよりないそうだ

暑いので写しに行かなかった

(私は見つけられないだろう)

周囲の開発が進み草むらが少なくなってきた

新しいイラストは完成しなかったので

コスモスのアレンジを

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母とコスモス

2017年08月20日 | つぶやき

母はコスモスの花が大好きだった

戦争中は 道路脇までも ジャガイモなどを植え

野の花も愛でる余裕がなかったが

落ち着いてからは

毎年コスモスを植え楽しんでいた

花瓶にいれ 部屋中飾っていたこともある

晩年は穏やかに101歳まで生き

明るく笑顔を絶やさなかった

母が亡くなって10年

実家には もうコスモスの花はない

 


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樺太引揚げの記 2

2017年08月19日 | 戦争

真夜中に白龍丸は出航した

稚内港がいつぱいで 小樽まで行くという 

20時間かかるそうでがっかりした

 甲板に張ったテントに数家族が入った

トイレはなく甲板の端でする

海は時化て嵐のよう テントにも雨水が入る 

すぐに酔って動けなくなる 

夜が明け左側遠くに北海道の陸地が見えるが

20時間すぎても小樽に着かない

船倉の方へは行かないようにと言われていたが 

チラリ覗くと 地鳴りのようにわめき声が聞えてきた

大勢の朝鮮の人がお酒を飲んで騒いでいる

今まで虐げられていた鬱憤を晴らそうとしていたのだろう

 暴動がおこるのではないか恐ろしかった

 

再び夜が来た 

緊迫した声で目が覚める

船はすべて灯りを消しエンジンの音も聞こえない

暗闇の中で目を凝らすと 船長らしき人の指図する声

乗組員が慌ただしく動き回っている姿が異様に見えた

緊張が走る

誰かが「潜水艦がいるらしい」という

戦争が終わったのに・・・・まさかと思うが不安で恐ろしかった

船はエンジンを止めて漂ったまま

どのくらいの時間だったか覚えていないが

危険が去ったらしい

 夜が明け船は動きだした

 

小樽の港が見えた時は 

疲労と船酔いで歩くのもやっとだった

嬉しいと言うよりホッとした

 

留萠沖で引揚げ船 小笠原丸など三船が 

国籍不明の潜水艦に沈められたのを知ったのは 

ずっと後の事である

 

我たち一家は幸運だった 

 

父は三年後痩せ衰えて帰国した

戦争犠牲者の冥福を祈り 平和を願う

 

 

コルサコフの港(大泊)

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樺太引揚げの記(1945年)

2017年08月18日 | 戦争

HPやブログに載せたことがあるが

72年前の忘れられない出来事を再び記す

 

1945年(昭和20年)

樺太(サハリン)

8月9日ソビエトが宣戦布告し

13歳以下の男子と婦女子の疎開命令が出される

8月15日に敗戦 疎開は引揚げになった

豊原市(ユジノサハリンスク)に住んでいた我家は8人家族

 父(45歳)を除いた

母(38歳) 長姉(18歳) 次姉(14歳) 

私(12歳) 妹(9歳) 弟(4歳) 末妹(11か月)

7人が 北海道の伯父宅へ引揚げることになった

 着替えと食糧だけ持ち

8月18日午後 豊原駅に向かった

奥地からきた貨物列車には

大勢の人たちが鈴なりに乗っている

国鉄勤務の父は 少しでも早く港の大泊へ行くよう

貨物列車に乗るように促すので 急いで乗った

父は見えなくなるまで手を振っていた

  戦争はもう終わったと 少し開放感を感じていたが 

奥地からきた人たちが口々に 

ソビエト軍に追われて命からがら逃げてきたと話すのを聞き

恐ろしさと緊張感を感じた

無蓋車のシートで覆われた荷物は大砲らしい

ゴツゴツと座り心地が悪いが我慢するよりない

汽車は度々停まる 真っ赤な大きな太陽が傾いていく

新場という駅で停車すると 長い間動かない

オシッコをしようと貨車を降り草むらへしゃがんだ時

ポーッと汽笛が鳴りゆっくり動き出した

慌てて走ったが高くて足が届かない

誰かが手を引っ張り上げて貨車に乗せてくれた

無我夢中夢中だった

手を差し伸べてくれたのは

 豊原医專の学生さんだったと後で知る

暗くなって大泊に着いた

 

駅も道路も人々や荷物で溢れかえっている 

姉が逓信局に勤めていた関係で小笠原丸に乗船予定だが

 

誘導され映画館で待つことになった

 

館内も溢れんばかりの人人人である

万が一にと保存してあったもち米で搗いた豆餅 

暫らくぶりの美味しい味は忘れられない

 

乗船の順番はまわって来ず 一夜を過ごす

 

再び夜になりやっと順番がきた

 

港までは遠かった 暗い夜道をひたすら歩いた 

母は末妹を背に大きな皮のトランクを持ち

 4才の弟は長姉に手を引かれ

 3人も後に続いた

 

母は荷物が重く途中捨てようとした時 

兵隊さんが現れ持ってくれた

 

やっと港にたどり着き 乗せられた船は 

小笠丸ではなく 白龍丸という貨物船だった

 

 

つづく

ユジノサハリンスク駅と レーニン広場(2012年7月)

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今年はもう秋

2017年08月17日 | 勉強

ナナカマドが大分色づいている

今年はもう秋

 

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NHKスペシャル 「全記録 インパール作戦」

2017年08月16日 | 戦争

NHKスペシャル 170815 2017年8月15日 「全記録 インパール作戦」

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「戦慄の記録インパール」を観て

2017年08月16日 | 戦争

NHKスペシャル 15日の放送

「戦慄の記録インパール」

1944年(昭和19年)

当時ビルマと呼ばれていたミヤンマーの地から

密林や大河を渡り山を越え 

インド北部のインパールを目指す作戦

目的は

蒋介石への支援ルートを遮断する

三つの部隊が三方向からイギリス軍基地を

目指すが多くの戦死者を出した

食料の補給もなく雨期に入り 

勝ち目はなく作戦は中止され日本軍が撤退した

 

最も悲惨な戦闘の記録は

 

戦ったイギリス軍のフイルム

 やっと生き延び帰国出来た高齢の帰還兵の証言 

作戦を指揮した隊長の肉声テープ 

長い間立ち入りできなかった

現地での取材 映像など

 

戦死者よりも撤退中密林で

餓死や赤痢コレラなどで病死した人が多い

 

白骨街道と呼ばれている密林

 

戦友の肉を食べ生き延びた事実 

 

隊長付きの少尉がすべてを記録していたものも公開される

5000人殺せば勝てる

隊長がの話した記録で 味方の兵隊のことを言っている

 

少尉は病気で置き去りにされ 

死ぬ寸前捕虜になり助かる

車椅子に乗り老いた96歳の元少尉が 

涙ながらに語った言葉に

一緒に泣いた

 

無謀な戦いの 犠牲になるのは 一兵隊

指図した大本営 隊長など

責任者は誰もいない 取っていない

不可解な事実

 

この国の総理大臣に絶対見てほしい

 

 戦争を知らない世代にも必ず知ってほしい

 

戦争の恐ろしさ むごさ 浅ましさ を一層強く持った報道だった

 

犠牲者のご冥福を祈る

再放送は8月26日深夜

NHK総合

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樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇

2017年08月15日 | 戦争

NHKスペシャル 

樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇

終戦後も戦った日本軍

真岡(ホルムスク)に近い熊笹峠で戦闘を続けた

2012年訪れ悲惨な戦いを知る 

樺太を引揚げたのは18日

潜水艦攻撃の恐怖を体験したが

無事生きながらえて72年経った

 

父は地上戦には遭遇していないが

豊原の空襲に遭い

ソビエト軍の進駐後

三年以上帰国出来なかった

 

映像ではじめて知ることもあったが

一番の被害者は国民である

戦争は庶民を不幸にする

 

戦争を二度としてはいけない

絶対反対である

祈る

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寒い静かなお盆

2017年08月14日 | つぶやき

12日は最高気温17.8℃昨日は20℃ 

今日は22℃ちょっと

太陽さんは隠れたままで

長袖でなければ寒い日が続く

 

我家は静かなお盆である

お参りを済ませた後は

誰も来ない 予定していた孫も夜になるらしい

のんびり

二人でパソコンに向かっている

このまま秋になるのか 心細いかぎり

 

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久しぶり三姉妹の語らい

2017年08月13日 | つぶやき

お盆のお参りに久しぶりに実家へ行く

同じ市内でも端から端と離れており

バスを乗り換えて行くと1時間半以上はかかる

86歳の姉は

母を看取った後は一人で暮らしており

すぐ近くに81歳の妹が住んでいる

久しぶりに三人で近況を語り合った

母に似て

気丈な姉は 楽天的 私より若く見える

88歳までは今の生活を続けたいと言う

マージャン大好きで

妹も交えすぐ前の会館で

週3回はマージャンをしている

妹は娘夫婦と暮らし炊事担当役

お互いに

いつまで生きられるか分らないので

定期的に会おうという話になった

行動できる範囲 互いの家の中間 街の中に決めた

母の永代供養をしてから疎遠になっていたが

母も喜ぶだろう

ぐったり疲れ帰りのバスの中で居眠り

随分体力が落ちた

 


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