花金の朝
さあ、花金だ。大好きな金曜日の朝を迎えた。ひときわ清々しい。
今年もあとわずか。年賀状も今週末にはやっつけれる目処が立った。掃除までは手が届かないかもしれないけど、年賀状さえやっつければ気持ちよく新年を迎えれそうだ。
週末にこの冬一番の寒波がやってくる。それまでに除雪機のバッテリーを結線して試運転をしておかなくては。
今日も仕事を終えたら一路、車を走らせて山に向かおう。
さあ、花金だ。大好きな金曜日の朝を迎えた。ひときわ清々しい。
今年もあとわずか。年賀状も今週末にはやっつけれる目処が立った。掃除までは手が届かないかもしれないけど、年賀状さえやっつければ気持ちよく新年を迎えれそうだ。
週末にこの冬一番の寒波がやってくる。それまでに除雪機のバッテリーを結線して試運転をしておかなくては。
今日も仕事を終えたら一路、車を走らせて山に向かおう。
薪ストーブを北欧ノルウェーのJOTUL(ヨツール)社製のものに取り替えた。
古いストーブはアメリカ製で、とてもいいストーブだったけど、もっと炎を楽しみたかった。より炎を眺められるように、炎をより楽しめるように今回取り替えたJOTUL社製のストーブはガラス面を最大限に広げたタイプだ。カタログを見て期待していた通りの広いガラス面だった。
雪が降る中、日曜日に岡山市内から車で運んで蒜山の山小屋に設置してもらった。感謝、感謝。
早速、試し焚き。炎が丸見えだ。炎を見つめているだけで心が和む。ほっこりする。いいなあ。
薪ストーブを取り替えてよかったあ。
土曜日の夕食はチーズフォンデュ。雪の季節に極まる美味しさだ。
数日前、二日間にわたって放送されたラジオ深夜便アーカイブス、東京医科歯科大学名誉教授藤田紘一郎先生の微生物の話を繰り返し聴いている。以前にも聞いたことのある話だけど、改めてコロナ禍の中で繰り返し聴いてみると実に感慨深い話だ。
手を洗うという行為一つとってみても反省させられる。やりすぎている。ほどほどじゃなくちゃいけない。ほどほどがいい。
大腸菌ともほどほどの関係を保ちながらバランスよく付き合わなくては・・・。
人間って傲慢なんだなあ。特に日本人は完璧や徹底にこだわりすぎる。
大腸菌は悪者だけど他の病原菌のある悪者と闘ってくれる強い味方、友達でもある。
善悪、一刀両断で決めつけるのではなくて、要はバランスだ。このコロナ禍で微生物とうまく付き合うということについて再考し、生活習慣を見直さなくては・・・。
藤田紘一郎先生の話、何度聴いても人間と微生物の共存関係について考えさせられる。
美味しいお酒が呑めるのも微生物の働きのお陰だもんなあ。
まだ年賀状が一歩も進んでいない。そろそろやらなくてはというプレッシャーを日々感じながら何も手をつけれずにいる。
喪中欠礼の葉書はすでに何枚も頂いているけど・・・いかん、いかん。
高齢を理由に年賀状を欠礼する人も増えている。年賀状の枚数も毎年少しずつ減ってきているけど、まだまだ気が重くなるくらいの量だ。
僕は自筆の宛名書きと一筆書き添える年賀状にこだわっているので、仕舞いの頃は腱鞘炎を心配するくらい腕が疲れる。それは試練に近い。
その試練もそろそろだ。一歩を踏み出さなくては。
GREENable Hiruzenの真庭市蒜山ミュージアムで開催中の建築家・隈研吾さんの個展を友人と一緒に見に行った。
全国各地に建てられた隈研吾さんの作品が紹介されていた。
木をふんだんに使用した建造物はなんとも言えない温もりと優しさと心地よさが感じられる。
建造物というよりアートの世界だ。そのアートが人との関係性がとても自然で密着している。
長い人類の歴史の中で人間が長く付き合ってきた自然の木々だ。優れた関係性は木の持つ特性に由来するものなのだろう。もっともっと木材が見直されてもいいのかなあ。
全国各地に木材を使った施設が増えて、心地よく過ごせる時間が増えると、自然と疲れた心も癒され、人に優しい本来の心が取り戻されたり育まれたりしそうだ。
週末はお天気に恵まれず、小雨が降り続けた。そして寒さも一段と増してきた。
お正月も一歩一歩、近づいてきた。
今日から師走だ。一年が早いなあ。
歳を重ねるにしたがって時間の経過が加速していると感じる。
そして師走が過ぎるとまた一つ歳を重ねる。
今、NHKラジオ深夜便の聞き逃しサービスで一昨日前の飯田絵美さんの話を繰り返し聴いている。
飯田絵美さんは故野村克也監督のバンキシャをしてから20数年間、交流を続けたスポーツライターだ。
野村監督の語録が懐かしい。
「年齢で限界を作らない」
「いい仕事は誰かが見てくれている」
野村監督の人生訓の一言一言が胸に染みる。