新 風のふくままに 

写真付きで日記や趣味を書く。プロフィールを変えました。

涸沢 帰宅のバス 渋滞(詳報5)

2011-10-10 | ハイキング・登山

荷造りをしていたら、もう予約したバスの集合時間の10分前。私は申込者として先に出たが、10分程度かなと思った距離は近いコースを取っても15分見ておいた方がよさそうだったので、同行者にメールした。

集合場所に4時過ぎに着いたのだが、すでにシャトルバスの何号車に乗るかの名簿分けが発表されていて、もう何台かが発表されていた。途中で着いた人が自分はどこのグループかと説明の人に話すが、後でと言われている。次に発表された中に私たちのグループがあったので、ほっとした。しかしシャトルバスが駐車場に待機していたので、仲間がいつ着くかと不安になる。観光バスなら来ない人を少しは待つかなと思うが何分シャトルバスなので、そういうわけには行かないだろう。それで、多分待ってもらえないから時間には来てねとまたメールする。

仲間の人たちは5分前には着いたので、ほっとする。まだ名簿確認とかあって出発には時間がかかったので、トイレの時間や食べ物を買いに行く時間は実際にはあったのだが、こういうバスは初めてで、私は心配で沢渡についてからにしたらどうかと言ってしまった。男性群はバスの中での飲み物を用意していなかった。ところが沢渡では、飲み物を買うところが見当たらなくて、諏訪のサービスエリアまでお預けになってしまった。申し訳ないことをしました。16時半予定が16時40分ごろ出発だった。

私はシャトルバスの中でも熟睡。渋滞があったのかどうかも知らず、沢渡に着いて起こされ、すぐ横のさわやか信州号に乗り換えるが、高速のインターまでも、また高速でも渋滞が予想されているということで、トイレに行きたい人は行っておいてくださいと言われて、皆トイレに行っておいた。そこで待合室あたりに自販機があるかと思ったのだが、見当たらなかったのだ。残念。

ラッキーなことに、後ろの方の席でもともとサロンコーナーだったらしく、後ろ3列は座席の間が広くて、背の高い人も足元に余裕があって良かった。 新宿9時到着の予定だった。

私の方はまたもや熟睡してしまって、どこがどう渋滞したのか全く知らないのだが、諏訪のサービスエリアに着いたのが9時。諏訪で若笹寿司(大町の店)というのを友人が買ったので、私も買う。梅干しのお寿司が入っていると書かれていたからだ。

それで友人と皆で分けていただいた。梅のお寿司はなかなかおいしかった。後でよく見たら数日持つらしかったので親にお土産にもう一つ買えばよかったと思った。

私はひたすら寝続けて、雨の石川パーキングでかなり遅く出発だったので、これは12時半くらいになりそうだし、タクシーを使うしかないかなと思ったが、渋滞は解消していて、飛ばしすぎて事故なんてことにならないことを祈っていたが、なんと12時ごろに気がついたらもう都庁のところで、12時過ぎに新宿駅前に着いた。雨もほとんど小雨になっていて、傘がなくても大丈夫だった。

ザックを受け取り駅に急いで行ったら各駅の最終に間に合った。別の路線の方も最終に間に合ったとのこと。明日行事のある方だけはタクシーで帰宅された。

今日は筋肉痛きついが明日はどうだろうか?

ともあれ、2日間晴天に恵まれ、誰もけがもなく、最高の山旅だった。すべてに感謝です。

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涸沢 パノラマコースと上高地温泉(詳報4)

2011-10-10 | ハイキング・登山

少し予定より遅くなって、6時50分出発。来たときに見た山荘直下のパノラマコースへの分岐に出る。

まだあまり人がいない。この分なら渋滞は大丈夫そうだ。しかし、岩に霜がついていて、滑りやすい。

  

                     凍り付いた道

間もなく、ブログなどで見たロープのトラバースの難所に出る。ロープに頼らずなるべく自力で渡ろうとするが、凍り付いている場所もあり、とても写真を撮る余裕はなかった。そのあたり、テント場の色とりどりのテントと、穂高連峰がきれい。

   

                              

それから、同じようながけっぷちのロープ場が何か所もあり、凍り付いているところも多く、緊張する。暗い中、北穂高とか奥穂高に登って行った人たち、多分凍っているところもあるだろうに、すごいな、と皆で話す。

 

                   

  

                              

急な岩場の登りや木の根だらけの急登などが続く。後でほかの人のブログを見たら健脚向きの看板があったそうだが、私たちは気づかなかった。確かに子供とか初心者には無理なコースだ。

下山と思っていたら登山だ。しばらくきついコースをこわごわ登ると横尾尾根の山々の向こうにとがった山が見えてきた。涸沢槍とは位置が違う。誰かのブログに槍ヶ岳が見えると書かれていたので、多分槍ヶ岳だろうと思って写真に収める。追い抜きつつあった登山者に聞くと、そうだとおっしゃる。それで皆にもあれが槍ヶ岳よ、と教えられた。高度を上げるにつれて、槍ヶ岳がよりはっきり見えてきた。

狭い山道で、何回も後から来たベテランさんや、若者のグループに追い抜かれた。というか、渋滞のもとになると困るから、追い抜いて頂いた。一か所危険な狭いところで追い抜いてくださいと言ったら、リュックが重いから、ここで崖側で追い抜くのは危険だよと、逆に注意されてしまった。

残念ながら本格的な休憩を取るような場所もない。少し先に、空が見えて、稜線に出られそうだったが、その手前の少し広めのところで休憩。私にとっては過激な登りで、すっかり暑くなり、上着を脱ぐ。

ばててきた友人のためにリポビタンデーを探すがどこに入れたか思い出せない。あちこち探して、割れないようにやっと非常食のところに入れたことを思い出した。ザックの底から取り出して飲んでいただく。前はもっと瓶の小さなチョコラBBの女性向けを飲んだのだが、私にはよくないみたいだったので、止めてリポビタンに変えたのだった。小さいし、糖分が少ないので選んだのだ。私の方は寝られなかった割には不思議なほど元気に登れた。一種の興奮状態だったのかもしれない。友人は残業続きの後、参加されたので、疲れが溜まっていたみたい。

それからひと登りで屏風のコルらしいところに出た。前方には山々のはずれの雲の上に富士山が小さく見えた。その横から始まる南アルプスの方が高く見える。さらに木曽方面だろうか、右手に大きく見えたのはもしかしたら乗鞍の方かもしれない。素晴らしい展望だ。朝早いからこその展望かもしれない。

                                            

そしてふと足元を見るとシラタマノキの白い実があった。紅葉した葉の中に白い玉状の実をつけ、きれい。私が「シラタマ!、シラタマ!!」と叫ぶものだから、周りの若者も何が白玉なのかと見て、カメラに収めていた。その先にも少し群落になっていた。

    

                 赤いのはこけもも?

その時のことだが、私が写真を取ろうとしてザックを反対側(崖側)にポンと置いたら、重みで落ちそうになって、仲間の方が抑えてくださった。危ないところだった。相当の崖で落としたら下まで落ちて行って、取りに下りられそうにない。まあ、大事なものは身に着けていたから、何とかはなっただろうけど、良かった!抑えてくださった方、ありがとうございました。

かんかん照りの尾根から少し下ったところに屏風の耳やその先の屏風の頭への分岐があった。そこは2500M くらいかな?

                    

屏風の耳まで20分とある。荷物を置いて、登って行く人たちが見られたが、私たちはこれまでの登りで相当に疲れたので、止めておいた。ちょっと魅力もあったけどね。後のことを考えて自制した。屏風岩のてっぺんだろうか、屏風の頭の岩の上に何人かの登山者が見えた。

そのままガレた岩だらけの下山道を新村橋目指して下りて行ったが、延々とその石ころだらけで段差のきつい道を下りていくので、だんだんふくらはぎが痛くなってきた。幸い股関節は何ともない。

時々樹幹の木陰があるものの、大方日当たりの良いコースで、たまに登ってくる人たちを見ると、このコースの登りは大変だなと思う。横尾からのコースはしばらくは日陰だったので。

   登山道                                          上部に水の流れが見える沢

                 

奥又白谷に出会えば、少し斜度が緩くなるはずと思うのだが、何回かの白いガレた沢を渡るが。まだ奥又白谷ではないらしい。奥又白谷池への分岐がないのだ。 

          

                     

                               

うんざりするほど、同じような岩だらけの道をひたすら下る。たまに紅葉のきれいな木や木の実を見ながら息をつく。とがった山が見えてくる。通り過ぎた方にまたもや確かめたら、前穂高だとおっしゃる。

   

徳沢からの距離は横尾経由と大差ないみたいだが、緩いところが少ないので、足に来た。

何本かのほとんど水のない沢の岩を渡って、やっと奥又白沢を渡る。前の沢よりは広く、岩にペンキで標識が書かれていた。確かに奥又白池への分岐が書かれていて、かなり急な道を登って行く人の姿が見えた。

      

                         

                            

奥又白池ってどんなところだろうか?ブログで調べてみたら、この分岐から2時間半くらいかかるらしいが、お花畑の広がる小さな山上の池らしい。徳沢から日帰り可能のようだがテント場もあるらしい。しかしそのルート相当の急斜面の連続のようで、私たちが通ってきたルートとは大違い。奥穂高に登るのと大差ないかもしれない。

さて、ここからはもう緩い道になるのかなと期待したのだが、何の何の、まだまだ大きな石の段差のきつい場所も多くて、がっかり。しかし、だんだんに石が小さくなる場所も出てくる。氷壁の碑が樹林帯の中にあって、その隣には遭難者の碑がたてられていた。刻まれた年齢は.20-30代だった。やっと砂防ダムが見えてきて、一瞬吊橋が見えた気がしてああ、新村橋だわと思ったのだが、砂防ダムの横をいくつか通るのだが、その吊橋は見えず、疲れて幻想を見たのかしら?と思ったが他の人も確かに見たのだ。あれはなんの吊橋だったのだろうか?

    

もう石の上を歩くことはないと思ったら、また涸れた沢の河原にでて石の上を少し歩き、また砂地の道に戻る。それからやっと新村橋への林道にたどり着いた。林道には車が何台も止まっていて、車がここまで入れるのかな?と不審だったがうんと早朝なら入れるのかもしれない。

ところで林道をどっちに曲がれば新村橋なのかしら?前にいた登山者も迷っていたので地図を取り出して、調べたら右だった。そこを曲がって行くとすぐに、猿の群れに出会った。林道ですっかりくつろいでいた。親子や夫婦がところどころで、毛づくろいをしている。皆口の周りが黒くて、笹の根でもかじったのかしら?赤ちゃん連れも多くて、かわいらしい。人を見て餌をねだるでもなく、驚いた風もなく、皆泰然としていた。子供の猿が木の枝に登って遊んでいた。

      

                                        

そこを通り過ぎて、しばらく行くと新村橋への分岐があったが目立たない。木に赤いリボンがついていた。そのまま進めば右岸の林道を明神に出られるが、皆新村橋から徳沢にでて、カレーを食べたいというのでそちらにまわる。ちょうど12時になろうとしていた。

新村橋は10メートル間隔で渡るように書かれていて、確かに渡された板は腐食し始めていたし、よく揺れた。しかしどうしても近づいて、何人かはまとまってしまったので、緊張。ずっとワイヤーにつかまりながら渡った。

                                        

針葉樹の気持ちの良い香りの中を徳沢園に出た。

ここでゆっくりして、温泉をあきらめるか、急いで通過して温泉でゆっくりするか?相談したが、私は二兎を追うことを提案。ここで早く食べられるものを食べて、さっと引き上げ、上高地温泉ホテルを目指そうとしたわけ。上高地温泉ホテルなら15時まで入浴可能とホームページに出ていたからだ。しかし、何分入れるかは分からなかった。

それで皆は憧れ?の徳沢園のカレーを注文し、私は何となく食欲がなくて月見うどんを頼んで、トイレへ。トイレが混んでいたらと心配したのだが、幸いガラガラ。ただ公衆トイレは遠くて、疲れ果てた身にはつらかった。

戻ったらまだ料理が運ばれず、私は仲間のソフトクリーム姿に影響されて、つい注文。食べない方がお腹には良いかなと思いつつおいしく食べてしまった。400円

他人のカレーライスをおいしそうだなと横目に見ながら、後から届いた月見うどんを平らげる。

それから、ゆっくりする間もなく、上高地目指して一目散。来たときには1時間半もかからなかったから間に合うでしょうと。しかし真っ平らでもなく、若干の起伏もあり、猛スピードは出せなかった。道行く人々はバスを目指しているのか、温泉を考えているのか分からないけれども、すごいスピードで歩いている人々がたくさんいた。

明神で女性陣は少し休み、男性陣に先に行ってもらう。

それからも疲れ果てながらもひたすら歩いて、河童橋に。ところがそれからが長かった。上高地温泉ホテルってこんなに遠かったかしら?ウェストン碑の先(大正池方向)だった。男性陣にはもう少し近そうなことを言ってしまったけど、大丈夫だったかな?

                             

3時にだいぶ近かったがセーフ。券売機で入浴券を買って受付に出す。横の棚にはザックがいくつか置かれていたので、私たちも必要なものを取り出して、入浴の準備をしていたら、なんと先に行ったはずの男性陣が入り口に来ていた。あれっ!もう入っていると思ったわ、と思わず言ったら、途中で寄り道したのだとか。

近そうなことを聞いたのに、遠いのなんのって、と苦情を言われてしまった。のんびり散策している時にはさほど遠いとは思わなかったのだが、時間に追われて猛スピードで歩くと確かに遠いですね。

3時半までは入浴できると聞いて一安心。風呂は男性と女性で日替わりらしく、私たちは右側のお風呂へ。

前は違う方だったのか分からないが、今日は露天の他にたる風呂とかもあって、それぞれ楽しみ、ゆっくりはできなかったものの、汗を流し、疲れをいやすことができた。

 

 

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涸沢 モルゲンロート(詳報3)

2011-10-10 | ハイキング・登山

涸沢ヒュッテのホームページにはモルゲンロート(朝焼け)の時間が5時20分ごろとあったがそれは夏の情報らしくて、展望テラスにいた方に聞いた話では今の日出は5時50分ごろだというので、朝焼けはそのちょっと後くらいらしかった。でもその30分くらい前から良い場所を取るために寒い中皆テラスに出てくるとのこと。

無事お手洗いを済ませて、私は仲間がどこにいるか探したが、見つけることができず、霜の降りたテーブルにいらした外国の方の手前が空いていたので失礼して、内側に入れて頂いた。風はないが、確かに寒いのでホカロンを背中に入れた。

 

それから夜明け前の横尾尾根の方が白んできて、うっすら明るくなってきた。

                              

穂高側には日の出のための登山の人々が頂上付近にいるようでライトの光が見える。

まだかまだかと待つ間に、北側の北穂高や涸沢岳や奥穂高が白んできて、ついに朝日が当たり始めた。

わあー!これがモルゲンロートなのね。山々が赤く染まる。大勢の人々が写真撮影に夢中だ。

時間がたつにつれて、日の当たる部分が広がる。大分みていたが、そのあと、小屋のそばのナナカマドに白く霜が降りていることに気付いた。それでそれを入れて、写真を取ろうと、その場所に向かったら、写真教室の一団が一角を陣取っていて、ナナカマドを入れながら写真を撮っていた。私もパチリパチリ。

    

                         

                                              

                 前穂の頂上付近が光っている。

それから戻ろうとしたときに、仲間の一人に出会い、大分明るくなったモルゲンロートを背景に写真を撮っていただく。

さあ、少し遅くなってしまったけれど、パノラマコースから下山することに決まった。あまりの晴天に全員もと来た道を戻るのはもったいないと思ったからだ。

 

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涸沢 涸沢ヒュッテにて(詳報2)

2011-10-10 | ハイキング・登山

8日

受付を済ませて、食事時間の説明などを聞く。夕飯も朝も4時半から6時半までで、適当に来て並んで順番を待って食べるのだそうだ。部屋は別館のサンモリッツというところ。今日は布団一枚に最大3人になりますと言われる。名前だけは素敵だが、中に入ると廊下の両側に蚕棚風の仕切りがあり、布団が並べられている。既に2組到着していて、我々を入れて9人だ。その後3人追加となり、合計12名でしっかり幅70センチくらいの布団に3人となった。どうやって寝るのかと、先に着いていた方々と話をする。

トイレは、宿泊客だけでなく、テント泊の人たちも利用するので、すでに並ばないとならない。早めに並んだ。1回100円。トイレにはカートリッジ式の便槽をヘリコプターで運ぶためにいかにお金がかかるかの説明が書かれていた。トイレットペーパーはしっかり設置されている。ペーパーは専用の入れ物に入れるようになっていた。まあ、山では普通のことですね。

なんといっても宿泊費2食付で9000円。布団1枚に3人でも4人でも同じなのだ。今日は団体も何組も入っているようだ。反対側のブースはクラブツーリズムのグループの一行のようだった。

とりあえず、売り切れになる前にテラスでビールとおでんを食べたいというので、あまり防寒着も着ないで、テラスに向かう。残念ながら穂高の山には雲がかかって、日没を見ることはできなかった。もしかしたらダイヤモンド穂高が見られるかもと期待していたのだが。テラスはすっかり日陰で風もあり、寒い。

おでんやコーヒーを買うにも長蛇の列。寒い中ひたすら並ぶ。途中、防寒着を着るために交替し、またテーブル席を確保するために一人空きそうな席に座り確保。若者が1人、席を確保のために一緒にいてくださったが寒そうで申し訳なかった。ありがとうございました。

やっとのことで、おでんと生ビール、私は暖かい紅茶を頂く。しかし、ビールは燦々と日が照っている時には良いのだが、飲みだして皆後悔した。熱燗を頼めば良かったと。おでんも調理が間に合わなかったのか、あまりがんもはまだ芯まで温まっていなくて、アツアツではなかった。それにあっという間に冷めてしまう。

とりあえず皆で乾杯しておでんを頂いた。寒いけれどおいしい。しかし、寒いのでのんびりしていられず、食べ終わって早々に部屋に引き上げた。疲れていたので、その辺のお散歩に出る元気はなかった。

食事は団体が4時からで、近くの団体客が食堂の方へ出て行った。

その後疲れた人は仮眠。でも早めに食べてしまおうと、団体の人たちが帰ってきたころ、食堂に行く。と言っても食堂の入り口の受付横のスペースに並ぶのだ。2度目くらいにやっと、食堂への階段にたどり着き、先客が出て行った順に呼ばれて、席に着く。

中は広々とした食堂で、なかなかシック。混んでいなければ、ここでコーヒーを頂くのも気持ちよさそう。今日は食堂はアルコールご法度。食事時間が長引かないようにとのことらしい。普段はビールやワインもあるらしいが。

お皿には缶詰風のイワシ一尾と卵料理とミニハンバーグ2個に胆振ガッコと生野菜と野沢菜だったかな?。別皿に小松菜の煮びたし。それにみそ汁がつく。お茶がアツアツでおいしい。その時は私は自分のお腹の調子がおかしいとも気づかずに全部平らげてしまった。

部屋に戻って、くつろぐ。だんだんにテント泊の人達も水場を使用しにきたり、トイレにやってくるので、列が長くなる。6時過ぎには、食堂に入るにも屋外で並んでいる人たちもいたし、トイレの列もすごくて20~30分はかかるみたいだった。

私はその列に並んだ時に、月が山影から登ってくるのを見ることができた。山影の上の方が何か光ったのでなんだろうかとみていたら、月が出てきたのだ。13夜くらいの月だが、山にさえぎられているため、まるで満月のように見える。月はしばらく後で歯磨きをしにでたら、高い空に見えていたが深夜眠れないので外に出た時には山影の向こうに消えたらしく、見事な星空が浮かび上がっていた。

交替で寝られるうちに寝ようということで、横になったが、がたがた言う音で眠れない。皆はどうしているかしらとほかの部屋?の人たちの様子を見ていたら、若い人たちのグループでは、全員がウェットタオルで足を拭いていた。頭と足を交互に寝るのに必要なことだったが、全員がサークルになって壁に背を持たせて寝ようかと実験してみたりしていた。しかし、私もやってみたのだが、ちょうど部屋の境のテーブル状のところでは背中た当たって痛かった。

結局私たちは、後から来た2人の男性が、どうせ掛布団は暑くていらないだろうからと渡した掛布団にくるまって廊下で寝ることになり、9人が中の4つの布団に寝ることになり、私は3人の真ん中で2人の足の間に寝袋シーツにくるまって頭を持ってくるように休んだのだが、やはり落ち着いてほとんど寝ることもできないまま、我慢の時間を過ごした。

9時消灯の前、7時ごろには皆休んだ。

9日

誰かが2時半ごろ外に出たのを機会に私もヘッドライトをつけて防寒着を着て外に出た。どうせ寝られないし空いている間にトイレに行っておこうと思ったのだった。

外に出ると、夜空にオリオン座がすぐそばに迫り、北斗七星が南側の山のすぐ上に見えた。ただし6個だ。一番下は山の向こうのようだった。北斗七星の先にはカシオベアが見えるはずと、追っていくと確かにカシオベアが見えた。そのほかの星座は分からなかったが、とにかくたくさんの星星が光っていた。天の川には気づかなかった。

それからしばらくまた無理な体勢で寝ようと試みる。一瞬くらいは寝たかもしれない。

4時前には、誰かがごそごそし始め、団体客が食堂に立ち、ストーブが消された談話スペースに何人もの人たちが布団やシェラフにくるまって寝ていたが電気がつけられ、ストーブも焚かれ始めた。暑いくらい。それでもがんばってシェラフにくるまった若者がいたが。

談話室で聞いた話だが、後から宿泊希望の人たちで、どうしても布団に寝るスペースがないと苦情を言った人たちには、シェラフを貸してくれて食堂で寝たのだとか。あーあ!わかっていたら、私もそうしたかったなー!登山グッズを見に行ったときにシェラフを買わなかったことをすごく悔んだのだった。貸してもらえるなら借りたかった。硬い廊下でもその方が寝られたと思うのだ。

私たちのグループは結構どこでも寝られる方がお腹が空いたといって、談話スペースで食事を摂り出す。私もあまり空腹感はなかったが、どうせ寝られないので、弁当を食べだした。朝ご飯は混むことを考えて弁当に変えてもらったのだが、昨晩のうちに渡されていた。お茶は昨日もらった保温水筒のお茶がすっかり冷めていたが、冷たくはなかったのでそれで済ませた。

バーナーを持ってきていただいていたが、別館前の自炊スペースにはザックやらが置かれていて、バーナーを使える状態ではなかったので、みそ汁はあきらめた。

それからモルゲンロートを見るためにヘッドライトをつけて先にお手洗いに行っておこうとして驚いた。トイレの列がテント場からヒュッテに登ってくる道の途中までつながっていた。なんとトイレまで50分近くかかってしまったのだ。寒いから冷えて来る。登山靴下をはいたとは言え、小屋のサンダルで並んだので、足元から冷える。トイレに行くにもホカロン持ってきておいて良かったわ。

その間カメラがあったので、夜明け前の山の様子やらを写した。北穂高や奥穂高の途中、点々とヘッドライトの光が見える。北穂高の山頂近くには山小屋らしい光も見えた。写真は手振れで、光の筋になってしまったが。こういうときには三脚が必要ですね。

                                           

はたしてモルゲンロートの時間に間に合うかしら?とそばの人と話しながら、でもここまで来てあきらめて再び並ぶことはできないので、モルゲンロートをたとえ見られなくても仕方ないわと覚悟を決めた。仲間の誰かが写真撮ってくれるだろう。

幸いなことにモルゲンロートには少し余裕で間に合った。

 

 

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涸沢 上高地から涸沢まで(詳報1)

2011-10-10 | ハイキング・登山

沢渡 5時半のシャトルバスに合わせるように沢渡着。予約したバスごとにシャトルバスがついて、乗り換えるのだが、バスの到着まで少し時間があり、とても広々としたきれいなトイレを利用することができた。後から考えたら、ここで着替えなど済ませればよかった。寒い。

大正池付近からは焼岳の朝焼けがきれいだったが、車内から写真を撮るのは難しかった。

上高地バスターミナルにはシャトルバスが続々と到着。防寒着を着込み、出会った知人と話したり、水を汲んだり、準備運動を軽くしてたりして、結局6時50分に上高地バスターミナル出発。登山客が列をなして続く。テント用品を括り付けた人たちも大勢いる。

                                                 

いつもはあちこち写真を撮りながら、歩くのだが、最小限にして明神へ。朝焼けの山々がきれい。明日は午後になるから、この光景は見られない。やっぱり写真を撮ってしまう。

    

                                                 

それでも45分くらいで明神着。知人と分かれて徳沢へ。仲間の人たちとは5月末に来ているが、どしゃ降りで徳沢はあきらめた。私も徳沢に行ったのは大分昔で行程を忘れてしまっていた。徳本峠への道を分かれて、若干の起伏がある。

やがて徳沢の公衆トイレがあり、やや並んでいたが、立ち寄る。その先に元牧場だった芝生のキャンプ場があり、色とりどりのテントが見えた。徳沢まで45分程度。

                                        

キャンプ場の向こうが徳沢園だ。明るい日差しに紅葉もきれいだ。思わず紅葉の写真を撮る。ソフトクリームの看板が見えるが、皆で帰りに食べたいねと話しながら通過。

                          

私は昔新村橋まで行ったことがあった。その新村橋はすぐで、ここにパノラマコースからおりてくることになる。

               

横尾までは、約40分。若干の起伏があり、途中見事な氷の花シモバシラを見ることができた。元の花はなんだろうか?枝分かれした枯れ枝にたくさんの氷花がついていた。知らない人も多くて、立ち止まる人たちが何人かいらした。

       

それから落石注意などの看板を見ながら進むと横尾のキャンプ場があり、避難小屋もあった。しかし着替えなどに使うことはできなかった。公衆トイレがあったが、長蛇の列。でもこの先お手洗いはないので、立ち寄る。水洗ではないバイオトイレなので、ちょっと臭う。かんかん照りで、帽子をニット帽から日よけ帽に取り換える。

 

                       

                                                   

        

  すぐ前の横尾大橋にでる。ここも人がいっぱい。左手に屏風岩に連なる色づきだした山々の横を歩く。しばらくすると川が見えてくる。さらに歩くと登山者が渋滞。今から渋滞していたら、いったいいつ涸沢ヒュッテに着くことやら!先が思いやられる。ただし渋滞のおかげで休み休み進むので、足は楽だ。

    

ちょっとした登りで渋滞していたが、その後は渋滞というほどではなく、渓流と見えてきた屏風岩を眺めながら淡々と歩く。日差しが暑いので、途中の木陰で上着などを脱いだついでにお昼にしておにぎりを食べた。本谷橋の河原で休憩する人が多いとブログに出ていたが、日差しが暑そうだったから。

   

わりに平坦な川沿いを歩くこと約一時間で白い石の河原に出た。本谷橋(ほんたにばし)だ。

     

                 

 ブログなどでの映像では、怖そうに見えたのだが、それほどでもない。何しろたくさんの人たちが次々渡っている。渋滞気味で河原の別の細い橋と岩伝いに登山道に向かう人々も多い。河原で休憩している人たちもいたが、風が強くて寒いくらい。先にお昼を食べておいてよかった。

                                    

橋を渡って、次に小さな木橋を渡った先から渋滞だ。屏風側を巻いたつづら折りの急な登りが続く。樹木の間の登山道だが、石が大きく、谷川岳の厳剛新道を思い出した。右手には横尾尾根の山々や常念岳?が見える。

やや緩やかな登山道となり、淡々と石だらけの路を歩く。時々、ガレた白い沢を渡る。落石注意のようだが、注意のしようがない。

               

ナナカマドが増えてくるが、色づきはいまいち。道々下山の人たちとすれ違うが、上の方も雪が降ったせいで、例年よりも色づきが悪いとの情報だ。たしかに茶色に縮れてしまった葉が多い。しかし、実は赤くきれい。

急登ではないものの、ごろごろした石が積み重なった登山道を登り続けるので、息が切れてくる。高度も2000m以上にはなっているせいかもしれない。深呼吸を繰り返して、一歩一歩進むので早い速度の人たちには抜いていただく。

ナナカマドのきれいなところを通過すれば涸沢小屋との分岐だとヒュッテの地図に出ていたので、もう少しかなと思うが、まだまだ、岩の道が続いていた。これこそ涸沢なのね。水のない岩だらけのカールの中の道だ。しかし、だんだんに雪渓とかが見え、ついに小屋の吹き流しが見えてきた。

   

                                           

                          

                                                                                                                                                                                                       

あーあ!やっと分岐に出た。後30分かしら?それからもガレた登りが続く。最後ののぼりがきついと、何かに書かれていたので、頑張る。子供連れも何組かいて、まけてはいられない。このあたりは日陰で、寒いくらいになってきたが、まだ午後2時くらい。雪渓からの冷気のせいか寒いくらいで、もう4時ごろの感覚だった。

       

                                                

                                                      

 パノラマコースの分岐にでて、小屋がはっきりと見え、回り込むと小屋の入り口に着いた。ばんざーい!2時35分だった。予定よりも早かったのは、途中で、みそ汁を作ったりコーヒーを沸かしたりする場所が見当たらず、のんびりしなかったためだった。

      

                                    

                                                       

 

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