亡くなられた京都のALS女性は人工呼吸器を付けない選択をし、自ら命を絶つことを切望されたようだ。
一方、死にたいと2年間思い続けた国会議員船後さんは自らの経験が他の患者の役に立つことを知り、人工呼吸器をつけ生きることを選んだ。
故・三浦春馬さんはALS患者を演じたドラマ『僕のいた時間』で、「死にたいわけじゃない。生きるのがこわいんだ」と涙を流し、多部未華子さん演じる恋人に抱きしめてもらう。そしてそれまで支えてくれた周囲の人々との「それまで生きた時間、僕のいた時間」を支えに“生きる覚悟”を決める。
京都の女性は、2人のようには思えなかったのかもしれない。自己イメージが高く、落差しか感じられなかったのかもしれない。
ALSのことも詳しいわけではなく部外者が軽々しく言えることではないかもしれないが、この事件でまず考えるべきは、船後さんもいうように「自らの人生を生きたいと思える社会」をどう作るか、ということではないのか!
安楽死(あるいは自殺権?)の議論をするとすれば、その次だと思う。
亡くなった三浦春馬さんを引き合いに出すのもどうかとも思ったが、ALSと聞き、即座に顔が浮かんだ。
(ドラマのなかで電動車椅子サッカーをプレーする場面があり、当時、ドキュメンタリーの撮影で通っていたチームが撮影の協力、そんなこともあって、現場で見学していた。)
ひょっとしたらこの事件の報道が生前であったら、三浦さんは自殺を思いとどまったのだろうか。いやそんな仮定の話は失礼だろう。
お二人のご冥福をお祈りします
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