みなさんは御存知ですか?
戦後日本、食糧難に進駐軍。
食糧が不足し、お腹をすかせた子供たちが、進駐軍のジープに群がり、
「アイム ハングリー。ギブミー チョコレート!」
そう叫び、進駐軍から、お菓子をもらう・・・
ついでに言うと、親に見つかり、いさめられる・・・云々。
妻!は、戦後も戦後、高度成長期を過ぎてから生まれましたから、当然見たことはありませんが。
漫画「はだしのゲン」の中で、そのようなシーンを見たことがあります。
進駐軍は、とても体格が良く・・・
あるとき、ゲンが米軍キャンプに忍び込むと、乾パンや練乳など、滋養あふれた携帯食が山のように・・・
それを持ち帰り、瀕死の妹の口に与えるが・・・
そんな悲しいシーンを思い出します。
それはそうと。
こんな記事を、今日の新聞で見つけました。
京都新聞・本日朝刊
「はい応答室」 以下 注釈
Q 子どものころ、進駐軍が配っていたチューインガムのメーカーやブランドを
教えてください。
敗戦のショックと食糧難に苦しんでいた時代、
そのガムの味は夢のように感じました。
その後、日本は復興し、飽食の時代になりましたが、
もう一度、あのガムを口にしたいと願っています。
(68才の男性) ←両親と同世代だー!
A 質問者の男性に伺うと、終戦後の1947,48年ごろ、
小学生だった男性は近所の子どもたちと一緒に、米兵に何度かお菓子をもらったそうです。
そのガムは緑色のパッケージで「ミックスジュースのような甘い味でした」といいます。
以下、ガムの歴史などをまとめた「ザ・ガム大辞典」の著者、串間努さんによる解答。
・進駐軍の携行食には、リグレーというメーカーのスペアミントガムが入っていました。
・ガムがパイロットの耳鳴りを防ぐなどの研究があり、携行食に採用された。
リグレー社によると
・第二次世界大戦時、販売していたスペアミント、ジューシーフルーツのガムをすべて米軍のために優先的に製造。米国内向けには、品質の劣る別ブランドのガムしか生産できなかった。
・当時のパッケージを問い合わせると、緑系はジューシーフルーツ(後に黄色)とダブルミント。質問者男性の覚えている味から、ジューシーフルーツではないかと推測できます。
いずれのガムも現在も販売されており、輸入菓子店などで購入されます。
質問者の男性談
「敵対感情を持たせない工作だったのかもしれませんが、米兵はニコニコと笑いながら菓子をくれ、戦争が終わったと、ほっとしました。あの味は忘れられません。」
漫画「はだしのゲン」のお話も、頭の中では「昔の話や!」と識別してしまっていますが・・・
戦争が終わってから、たった60余年しかたっていないのですね。
どんな味のガムなのか、今度専門店に行って、探してみようと思います。