京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

珈琲あれこれ

2007-03-04 21:03:03 | 妻!日記
 姉から、韓国土産の珈琲をもらいました。
 なぜかティーバック式の個包装です。
 おしゃれなパッケージで、私は非常に期待しました。



 ね、お洒落でしょう。
 


 こんな珈琲が、宿泊のホテルにさりげなく置いてあったら、うれしいものですが。

 とりあえず、紅茶式に作ってみました。



 う、薄い・・・
 もうしばらく置いてみる・・・

 5分少々経過。



 少し濃くなったかな?
 でも、微妙に薄いよね?
 
 飲むと、やっぱり薄かったです。
 珈琲味の麦茶という感じでした。

ぎぶみーちょこれーと!

2007-03-04 15:20:53 | 妻!日記
 みなさんは御存知ですか?

 戦後日本、食糧難に進駐軍。
 食糧が不足し、お腹をすかせた子供たちが、進駐軍のジープに群がり、
 「アイム ハングリー。ギブミー チョコレート!」
 そう叫び、進駐軍から、お菓子をもらう・・・
 ついでに言うと、親に見つかり、いさめられる・・・云々。

 妻!は、戦後も戦後、高度成長期を過ぎてから生まれましたから、当然見たことはありませんが。
 漫画「はだしのゲン」の中で、そのようなシーンを見たことがあります。
 進駐軍は、とても体格が良く・・・
 あるとき、ゲンが米軍キャンプに忍び込むと、乾パンや練乳など、滋養あふれた携帯食が山のように・・・
 それを持ち帰り、瀕死の妹の口に与えるが・・・

 そんな悲しいシーンを思い出します。

 それはそうと。
 こんな記事を、今日の新聞で見つけました。



 京都新聞・本日朝刊
 「はい応答室」    以下 注釈

 Q 子どものころ、進駐軍が配っていたチューインガムのメーカーやブランドを
   教えてください。
   敗戦のショックと食糧難に苦しんでいた時代、
   そのガムの味は夢のように感じました。
   その後、日本は復興し、飽食の時代になりましたが、
   もう一度、あのガムを口にしたいと願っています。
   (68才の男性)  ←両親と同世代だー!

 A 質問者の男性に伺うと、終戦後の1947,48年ごろ、
   小学生だった男性は近所の子どもたちと一緒に、米兵に何度かお菓子をもらったそうです。
   そのガムは緑色のパッケージで「ミックスジュースのような甘い味でした」といいます。

 以下、ガムの歴史などをまとめた「ザ・ガム大辞典」の著者、串間努さんによる解答。
 ・進駐軍の携行食には、リグレーというメーカーのスペアミントガムが入っていました。
 ・ガムがパイロットの耳鳴りを防ぐなどの研究があり、携行食に採用された。

 リグレー社によると
 ・第二次世界大戦時、販売していたスペアミント、ジューシーフルーツのガムをすべて米軍のために優先的に製造。米国内向けには、品質の劣る別ブランドのガムしか生産できなかった。
 ・当時のパッケージを問い合わせると、緑系はジューシーフルーツ(後に黄色)とダブルミント。質問者男性の覚えている味から、ジューシーフルーツではないかと推測できます。
 いずれのガムも現在も販売されており、輸入菓子店などで購入されます。

 質問者の男性談
 「敵対感情を持たせない工作だったのかもしれませんが、米兵はニコニコと笑いながら菓子をくれ、戦争が終わったと、ほっとしました。あの味は忘れられません。」



 漫画「はだしのゲン」のお話も、頭の中では「昔の話や!」と識別してしまっていますが・・・
 戦争が終わってから、たった60余年しかたっていないのですね。
 
 どんな味のガムなのか、今度専門店に行って、探してみようと思います。