しかし忘れてはならないのは、フィリピン映画の存在だ。アメリカ映画界とのパイプが太く、この国の資本によって低コストのエクスプロイテーション映画が生み出された。とりあえず需要があるならばどんなジャンルの映画でも作り、戦争アクションやホラー映画、女囚ものだって何でも来い、だ。その中にはブルース・リーや香港クンフー映画ブームに乗っかって、辛うじてクンフー映画と呼べる格闘アクション映画があった。日本でも『激突!ドラゴン稲妻の対決』(1973)ただ一本のみが公開されているが実は結構あって、アメリカのビデオ市場にはかなりの本数が出回っている。フィリピン・クンフー映画と呼ぶべき作品群の多くは英語に吹き替えられているが、なかにはオリジナル言語であるタガログ語のままのものもある。つまりフィリピン国内のみでしか上映されていないという事だ。今回の『SUPERHAND SHADOW OF THE DANCING MASTER』(1980)もそのひとつである。
あらすじは富豪の主人の元で働いていた主人公が、悪党どもの手によって殺され自身も瀕死の重傷を負うが、通りがかった農牧民たちに命を救われる。そこで武術の達人に手ほどきを受けた主人公は、主人の敵討ちと残された彼の一人娘を守るため悪党どもに闘いを挑む、というもの。
“クンフー映画”としての土台は、「ヘンなおっさんによって修行させられた主人公が強くなる」という70年代後半に流行したコメディ・クンフーもののスタイルをとっており、この手のフォーマットはすっかり東南アジア全土に行き届いたという感じだ。とはいえ、本場のように理屈にかなったトレーニング法なんかではなく、「とりあえず変わったことやらせときゃ、クンフーの修行っぽく見えるだろう」程度の内容だけれども。
ただこの主人公、修行して強くなったわりには、あまり見ていて「そうでもないんじゃないか?」と思ってしまうのが欠点。確かに修行前・修行後と比べればかなり実力がついているのだが、敵がいわゆる《中ボス》以上の強さの奴らが数人出てくるので、主人公も簡単には勝たせてもらえずひとつ攻撃を入れると2~3発相手の反撃を受けるのだ。それでも最終的にはキッチリ勝利するのだが、見ていてあまり爽快感は感じられない。この辺がこの映画が欧米のバイヤーに買われずフィリピン国内で留まった理由なのかな?と思わずにはいられない。
ちなみに何故《スーパーハンド》なのか?それは主人公の右腕のパンチ力が強いから……といっても、あまりアクションシーンには生かされてなかったような気がする。殺陣にコンビネーションとかあればそれなりに見せられただろうが、右腕が強いだけじゃあ……ねぇ?ほとんど蹴っていたし。この時期のフィリピン・クンフー映画の難点、それは殺陣の振付けの弱さであろう。