数日後…
シリーズ開幕戦だというのに、会場である市民会館は超満員の客で溢れていた。周りを見渡せば、ひいきの選手の名前を書いた横断幕や、そろいのハッピを着た私設応援団など、いかにもプロレス会場らしいアイテムがそこには揃っていた。
あの後ワタシは、早速木下さんに名刺に記載されていた個人用携帯番号に電話を入れ、今日の試合に招待した。最初はなかなか決心がつかず、30分くらい携帯を握ったまま凝固していたが、意を決し、やっとボタンを押すことができた。
…断られたらどうしよう?
ネガティブな思考が発信音が鳴る度に頭をよぎるが、それ以上に彼の声を聞きたくてじっとその時を待つ。
「はい、もしもし…?」
木下さんの声だ。
ワタシはあの夜の無礼を詫び、本題である市民会館で行われる開幕戦への招待を彼に伝えた。堅物そうな印象の木下さんからは意外にもOKの返事をいただき、「必ず応援に行きますから!」とまで言ってくれた。
「よしっ!」
木下さんとの通話が終わった後、ワタシは携帯を片手にガッツポーズをした。その横ではあまりにもおかしかったのか、枕を顔に付けて越後が笑いをこらえていた。
「SRーBー10というと…あの方ですか、木下さん?」
ワタシの入場時に、誘導をしてくれている越後からコソッと訊ねられた。ええっとSRのB…あぁ、リングサイドの2列目か。どこだ?…いたっ!
木下さんは仕事帰りで来たらしく、ワイシャツにネクタイというサラリーマンらしい姿でそこに座っていた。
「これが噂の彼ですか…やさしそうな方じゃぁないですか?」
「へへっ、アリガト」
「…先輩、意外と見る目ありますね」
「…ん?」
歓声にかき消され、所々越後の声がよく聞こえなかったが、雰囲気を読みとる限りでは、どうやらワタシの監査役である彼女のお眼鏡には叶ったようである、ふぅ~。
「堀ぃ~っ!」
「今日も面白い試合見せてくれぇ~!」
野太い男性ファンの声援があちこちで飛び交う。
…さぁて、一丁やりますか。
ワタシはリングに向かって元気よく駆けだしていく。
後に控えているセミやメインに向けて、観客の興奮を散漫させることなくリング上につなぎ止めておくのが中堅レスラーであるこのワタシに課せられた大事な《仕事》なのだ。リングの上では今日の対戦相手である、フロリダ出身の常夏娘、アニー・ビーチが目一杯の笑顔で、男性ファンたちの声援に応えていた。
肝心の試合は10分前後で終わった。アニーのテクニック&パワー殺法に戸惑ったものの、ワタシはドロップキックの連発など得意の飛び技で活路を見いだし、最後はフィニッシュ技であるコーナーポストからの前方空中3回転ボディプレス《キャット空中大回転》(もっとマシなネーミングはなかったんですか、広報さん?)でケリを付けた。
レフェリーが最後のカウントを数え終えると、場内にはねぎらいの拍手と歓声が鳴り響いていた。ワタシは自分とアニーとで身体を酷使して作り上げた試合が観客に満足してもらえたことが素直にうれしくて、四方の観客からの声援に腕を上げて応えた。
「堀ぃ!ナイスファイトォォ!!」
「次も期待してるぞぉぉ!!」
ふとリングサイド席に目を移すと、木下さんが声援こそは出さないが、目一杯手を叩き賞賛の拍手をリング上のワタシたちに贈る姿を発見した。
あーよかった…満足してくれて。
リングから降りて控室に戻る際、リング下で雑務をしている越後と目が合った。彼女は無言で、チラリと視線を木下さんの方に送ると、ワタシに向けて指で「マル」マークを作り、ニッと笑った。
「はいっ…パンフレットは1500円になります。…どうもありがとうございます!」
セミ前の、リング調整のための休憩時間。ワタシはグッズ売店に立っていた。
初めて見る人は、先ほどまでリング上で闘っていた本人が売店で売子をしている事が信じられない!という顔をされるが、これもワタシたちレスラー…というか新日本女子の社員としては当然の仕事のひとつである。トップ選手たちは別として、ワタシたちのような新人や中堅選手はこうやって売店に立ち、お客さんと直に接することで自分たちの評価を知り、それによって今後の自身のファイトに生かしたりする事のできる大事な勉強の場でもある。
ワタシはお客さんが購入したTシャツやパンフレット等に自分のサインを入れてあげている最中、後ろから誰かにツンツンと肩を突つかれた。何事か?と思い後ろを見るとそこには越後の姿が。彼女は顔をワタシの耳元まで接近させ、何やらゴニョゴニョと呟いた。
「…先輩、交代しますから」
「何でよ?」
不機嫌そうに問い返すと、越後は指で少し離れた場所にあるロビーの方角を差した。そこにはベンチで一人座っている男性の姿が見えた。
…木下さんだ。
「さぁ、行ってください。お待ちですよ」
「あ、うん…サンキューね」
ワタシはとりあえず書きかけのサインを完成させ購買者にお礼をすると、席を越後と交代し早足で木下さんの元へ向かった。
「堀さん…どうもお久しぶりです」
ワタシの姿を発見すると、彼はベンチから立ち上がり会釈をした。
「本日は、試合にご招待いただきありがとうございました」
「いえ…本当にお越しいただいて…またお目にかかれてうれしいです」
そんな姿を見てワタシは恐縮してしまい、何度も頭を下げてしまう。お互いに頭を下げあっている姿が滑稽に映り、ついつい笑みがこぼれる。周りにはワタシの事を知っているであろうプロレスファンの姿がチラホラといたが、過剰に騒ぎ立てず、いい意味での無視を決め込んでくれたので、大変ありがたかった。
「生で観戦するのは初めてだったんですが、やっぱり凄いですねぇ…女子プロレスは」
「あははっ、喜んでいただき光栄です」
ワタシたちはベンチに腰を下ろし、二人で互いの近況報告や何でもない世間話などを語り合い、楽しい時間を過ごしていた。話の節々に出てくる固有名詞から推測するに彼とは同じ世代の感じがしたので、試しに当時流行した音楽やテレビ番組などの話題を振ると、案の定喰いついてきた。あまりにも落ち着いているのでてっきり年上の方だと思っていただけに、気が少しだけラクになった。
「…リング調整が終わりましたので、まもなく試合を開始します」
館内から休憩の終わりを告げるアナウンスが聞こえてきた。楽しい時間はあっという間に過ぎていくものである。もうちょっと話したいなぁと思ったが、グッズ売店の方を見ると撤収の準備が着々と進められており、若手選手の数名はリング警備のため慌てて会場へ戻っている。
「堀先輩っ!何やってんですか、片づけ手伝って下さいよ!」
越後の大きな声がこちらまで聞こえてきた。声のトーンからすると、怒っているな、ありゃ。ここらで幕を引いておいた方が無難と考え、ワタシは木下さんとのお喋りを泣く泣く打ち切った。
「すいません…またこれから仕事ですので。それでは、残りの試合も是非楽しんでいってください」
ホントはまだまだ話し足りないのに…泣きたくなる気持ちをグッと押さえ込み、笑顔を作って彼にあやまる。木下さんは
「いえ、こちらこそ無理に引き留めちゃって申し訳ないです」
といってワタシに向かい軽く頭を下げ、そのまま薄暗い会場の中に歩を進めた。
会館ロビーと会場とを隔てる分厚いドアの前で名残惜しそうに彼の消えゆく背中を見ていたが、突然急に立ち止まりクルッとワタシの方を向いた。
「実は…もう一度逢いたいと思っていたんです…」
「えっ?」
「飲み会の時に出会って以来、ずっとあなたの事が忘れられなくて。下心出して自分の名刺を渡したけど、電話なんて掛かってくるわけなんかない…そう思ってました」
会場の奥でライトに照らされて輝くリングではセミファイナルのタッグマッチが既に始まり、ワタシたち二人以外すべての観客はリング上での熱戦に心奪われていた。
「あなたからお誘いの電話を戴いたとき、正直うれしかった。動機は不純かもしれないけど、これでまた逢えるぞ…って」
会場の大歓声に負けまいと大きな声で胸の内を吐き出す木下さん。ワタシはそんな彼の姿を見ていると胸が締め付けられる想いで一杯になった。
そして自然に正直な、自分のキモチが言葉になって口からあふれ出す。
「ワタシも正直、木下さんにもう一度逢いたくて…小賢しいかもしれないけど、こうするしか思いつかなかったんです」
「えっ…」
「あの晩以降、あなたの事を考えているだけで…ドキドキしたり、ニコニコとしたり…何ていったらいいのかな、その…地に足が着いてない不安定な気持ち?でもイヤじゃないんです。そんな気分になる自分も、こんな気持ちにさせた木下さんの事も」
ワタシと彼、その間に存在した物理的・精神的な距離が徐々に縮まっていく。気が付くとワタシのすぐ目の前に恥ずかしそうな、それでいて誇らしい顔をした木下さんが立っていた。多分ワタシの顔もきっと同じような感じなんだろう。
「だからもう一度逢ってみたかった、逢ってお話がしたかった。もしそこで「違うな」と感じたら、それはただの気まぐれだったんだな、って納得しようと思っていたんです」
「…」
「再び逢って…こうしてお話して…やっぱりワタシのあの気持ちはウソじゃないんだって、あなたに逢いたかったんだって確信したんです…」
手に何かが触れた。暖かく、それでいて何か湿っぽい感触が。それは木下さんの手がワタシの手を握っていたからだ。手から直接、痛いほど彼のワタシに対する想いが伝わってくる。ワタシは「これが返事です」とばかりに、木下さんの手の上に自分の掌を重ね「うん」とうなずいた。
「…明日から地方巡業が始まるんですけど、必ず電話入れますから」
「ありがとう。たまにはこちらからも連絡入れますんで…」
「2週間くらいしたらまた帰ってきますので、そのときは…」
「…二人で食事にでもいきましょう」
そう木下さんがいうと、お互いにクスクスと笑い合った。そしてどちらからともなく固く結ばれた手を解くと、振り返ることなく彼はリングサイド席にワタシはロビーへとそれぞれの《居場所》へと戻っていった。
ロビーに戻ると、一人で撤収作業を行っていたのであろう越後が腕を組んで仁王立ちをしていた。
あらら…ヤバっ、仕事スッポかした事怒ってる?
ゴメン!とワタシが謝りかけたその時、横一文字に結ばれていた彼女の口が開いた。
「…おめでとうございます、先輩」
「へっ…?」
「だから、両想いになっておめでとうございます…って言ってるんです」
「はぁ…どうもありがとう。でも怒ってるんじゃ?」
「そりゃまぁそうですが、なかなかこんな貴重な瞬間に立ち会うことなんてできませんからねぇ…チャラです」
「貴重な瞬間って…あっ、さっきの見てたの?!」
彼女はどうやら先ほどの木下さんとのやりとりを逐一観察していたらしい。まさか知り合いに見られているなんて思ってなかったので、越後にそういわれた瞬間、恥ずかしくなって顔から火を噴いたように熱くなった。
「大丈夫です。私絶対誰にも言いませんから…そのかわり」
「…そのかわり?」
「スイーツ、おごって下さいね」
忘れてなかったのか…越後ちゃんよ?
まぁスイーツで手を打ってくれるなら安いもんだよね…?でも決して彼女は交換条件などという打算的な事は言わないはずだ。きっと冗談にかこつけての照れ隠しなんだろうな、きっと。
ワタシたち二人は、リングサイドの警備の仕事につくため、急いで会場の中に入り所定の位置に立った。リングの上では本日の主役たちが照明と、自らの持つ《輝き》によって目映いほどの光を会場中に放っていた…
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ちょっと約2ヶ月間、私用が出来たので『テディキャット堀編』は一旦休載します。なお、『レッスル~』関係ではmixiのほうでもコミュニティー『レッスルエンジェルスLM(ラブミッション)』というのに参加してますので、そちらのほうもよろしければ閲覧&参加してくださいまし。