HIMAGINE電影房

《ワクワク感》が冒険の合図だ!
非ハリウッド娯楽映画を中心に、個人的に興味があるモノを紹介っ!

大印度電影祭 『Jayahe』

2013年09月25日 | インド映画
 再び日本で見直されつつあるインド映画。以前の『ムトゥ踊るマハラジャ』公開時の《映画のカルチャーショック》的な面はすっかり消え失せて、今回は《世界水準の面白さ、映画技術の上質さ》がクローズアップされ、今年(2013年)は特にレベルの高い北インド映画(ヒンディー語映画)がまとめて公開されるなど、これまで日本の映画ファンが持っていたインド映画に対する《偏見》を払拭するいい機会を得たといえよう。

 ただあっさり薄味の北インド映画が認知されてきているとはいえ、たまにはコッテリとした南インド映画が見たくなる時だってある。それもキテレツなアクションものが。そんな時には心強いキーワードがある。【スリラー・マンジュ】である。以前にもこのブログで紹介したことがあるが、南インド映画界で俳優兼アクションマスター(香港映画で言うところの動作設計か)として活躍する彼は、とにかくオリジナリティーの高いアクションを見せてくれる。それも明らかに《やりすぎ》感が高めのやつを。そんな彼がタイ発の女性アクション映画『チョコレート・ファイター』(2008)から刺激を受けたとしか思えない、インドでも珍しい女性が主役のマーシャルアーツ・アクション映画を作った。それが今回紹介する『Jayahe』(2010)である。

 内容は、母の突然の死をきっかけに、幼い頃に目の前で謎の男達に拉致されたコンピューター技師の父を探すため、インドからバンコクへ旅立ち、所々で降りかかる困難に立ち向かうというもので、映画の中心となるとなるヒロインにはアーイーシャ(Ayesha)という空手経験のある新人女優を起用して、南インド版のジージャ・ヤーニンを生み出そうとしている。劇中の彼女には恋焦がれる男性もいなければ感情表現で踊りだすこともない。アーイーシャに与えられた役割は、女性的な面も残しつつも己の持つ格闘術で目の前の敵を倒すのみ。しかもこの映画のサブキャラクターではなく《主役》として。

          
          

 彼女は当地の映画ファンから《レディ・ブルース・リー》とあだ名されているようにキック技が印象的で、柔軟性のあるハイキックは実に素晴らしい。また大一番ではカリやヌンチャクなども使用し多数の男たちをなぎ倒していくのだからウケないはずないのだ、この映画は。このように《女傑》をテーマにした映画は実は南インド(カンナダ語)映画では結構あるそうなのだが、アーイーシャが人気を得た理由は、見た目が若くて他の《女傑》女優よりもアクションが軽快だった事だろうと思う。かつてのムーン・リーや大島由加里、現在のジージャに相当する格闘アクション女優がついにインドにも誕生したのだ。

          
          

 この映画はYouTubeで観賞したのであるが、動画サイトにはタイトルが複数あってちょっと戸惑う。カンナダ語(オリジナル?)タイトル『Jayahe』はDailymotionでしかアップされておらず、YouTubeでは『Lady Bruce Lee』や『Hum Hai Bemisaai』などと、いずれもタイトルが異なり混乱すること必至である。中身はどれも同じなのだが……地域別のタイトル違いかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

跳べっ!《鳥人》タルマッジ 『絶海の爆弾児』

2013年09月10日 | その他の映画、テレビ
 かつてサイレントからトーキー初期の映画黎明期、スラップスティック・コメディや活劇映画の看板スターは、自ら危険なアクションを演じて映画一番の見せ場を作り出していた。バスター・キートンしかり、ダグラス・フェアバンクスしかりだ。だが、映画が“個人商店”から“企業”へと変化していくにつれ、こうした“身体で映画を作る”スターも少なくなり、今や編集と特殊効果で、観るものをを興奮のるつぼへと誘う。だが我ら観客はいつの時代でも肉体が産み出すスペクタクルに魅了されるのだ。

 そんなハリウッド黎明期に、現在ではすっかりその名は忘れられてしまったが、かつて目の覚めるようなアクションを自らこなし人気を博したスターが存在した。彼の名はリチャード・タルマッジ。まさに《鳥人》と当時のあだ名通り、高い場所へ登ったり飛び降りたりと、製作された時代の古さや劇中のアクションがベーシックすぎる事に目をつぶれば、現在のものと全く遜色ないパフォーマンスを、彼はこの時代に演じていたのだ。

          

 『絶海の爆弾児』(1935)は、彼がトーキーの時代に突入してから出演した作品で、主演作としては最後期のものである。物語はタルマッジ演じる水夫が考古学教授らと共に未開の島で宝の壺探しをするというものだが、冒険ものと呼ぶには尺が短い事もあってか盛り上がりに欠けており、お宝を探索する場面はほとんど皆無で、もっぱら映画はタルマッジのアクションの方に集中する。殴り合いはさすがに古臭いのだが(殴られる際の効果音すらない)、逃げ惑う・または追いかける場面では彼の身体能力が本領発揮する。タルマッジは高所から下に停車しているトラックに飛び降りたり、壁を軽々と飛び越えたりと現在のスタント・アクションと何の遜色もない事を、約70数年前の役者が顔色ひとつ変える事もなく平然とやってのけるのだ。

 
 同じ頃に(厳密にはもっと前だが)活躍した活劇スターにダグラス・フェアバンクスがいたが、時代劇(コスチュームプレイ)中心だった彼の映画とは違い、タルマッジ作品のほとんどが現代劇。ビルや自動車などモダンなアイテムを周りにに配置し、所狭しと飛び回るその姿は現在のジャッキー・チェンの姿を思わせる。間違いなく彼はジャッキー流アクションの元祖のひとりなのである。アクション映画好きならリチャード・タルマッジの名前は絶対に覚えておいたほうがいい。

          
          


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

既視感系ヒロイン参上!『飛べ!ワンダープリンセス』

2013年09月03日 | 韓国まんがまつり
 星条旗を模した露出度の高いコスチューム、無敵のリストバンド……どこからどう見てもDCコミックスのキャラクター・ワンダーウーマンそっくりであるが、そんなことは問題ではない(本当は大事な問題なのだけれども)。男女ペアで地球を守る比率の高い韓国アニメ映画おいて、屈強な男性を差し置いて、単身悪の軍団に立ち向かうヒロインが活躍する珍しい作品があるのだ。それが韓国アニメーション映画のパイオニアであるキム・チョンギ監督が作った『飛べ!ワンダープリンセス』(1978)である。

 韓国が宇宙船の開発に成功し、ガンドンヒョク中佐をパイロットにして宇宙探査に乗り出す。しかし、世界征服を夢見る赤い帝国の邪魔に宇宙船は破壊され、ガン中佐は宇宙で迷子になる。誰もが生存を絶望しかけたある日、なんとガン中佐は奇跡的に地球に生還していたのだ。彼の話によると、宇宙を漂流中に宇宙人たちの住む王国に救出され、その王女と一緒にこちらの地球に戻ってきたということらしい。ガン中佐の帰還に再び活気を帯びた研究はミンビョンギ博士を中心に第2次探査を計画するが、赤い帝国のワンチク総統によって送り出された刺客の襲撃を受けて危機に陥る。だがその瞬間どこからともなく現れたスーパーヒロイン・ワンダープリンセスによって危機は回避される、果たして彼女の正体は一体……?

            
          
  
 私は実は元ネタであるTVドラマ版のワンダーウーマンをよくは知らないんだけれども、韓国の方が書いたブログなどを拝読させてもらうと、変身シーンはおろか、主題歌(韓国放映版)まで一緒らしい。僅かばかりの罪悪感も持たずによく上映したな、こりゃ。だが当ブログではあくまでも、その作品が面白かったかどうか?を評価するだけ。

 結論としては面白かったですよ。なんせ「いやぁぁぁ!」と掛け声も勇ましいヒロインが、単身で好きな男性の周りで起こる危機を見事に振り払ってくれるんだもん、痛快ったらないですよ。古典韓国アニメ映画にありがちな、ウザいガキんちょもあまり本筋に絡まなかったし。ただ、冒頭のプリンセスと敵の戦闘機とのドッグファイトが中盤、背景を入れ替えただけ(舞台を宇宙→地球上)で同じ事やってるのは興ざめだけれども。こんな大胆なバンクフィルムの使い回しは初めてだ。だって上映時間も短いんだし、新しく描き起こすなり違ったシチュエーションにすれば映画的にずっといいのに。
 他にも間あいだに挟まれる、赤い帝国総統と腰ギンチャクの科学者とのどつき漫才も楽しいし、基本的には面白い!ただメインキャラクターの件もあり倫理上大声で言えないだけなんで。何でオリジナルキャラでやらなかったのかな……キム・チョンギ監督?

          
           
                 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

燃えよ!フィリピン・クンフー映画 『SUPERHAND SHADOW OF THE DANCING MASTER』

2013年09月01日 | フィリピン映画
 己の肉体を駆使して敵と戦う格闘アクション映画は、クンフー・武侠映画発祥の地、香港だけで製作されているわけではないのは、皆様もご存知の通りだろう。古くは韓国やインドネシア、最近ではタイを代表にマレーシアに至るまで(おっと北朝鮮も)、ほぼアジア全域に格闘アクション映画の波は広がっている。
 

 しかし忘れてはならないのは、フィリピン映画の存在だ。アメリカ映画界とのパイプが太く、この国の資本によって低コストのエクスプロイテーション映画が生み出された。とりあえず需要があるならばどんなジャンルの映画でも作り、戦争アクションやホラー映画、女囚ものだって何でも来い、だ。その中にはブルース・リーや香港クンフー映画ブームに乗っかって、辛うじてクンフー映画と呼べる格闘アクション映画があった。日本でも『激突!ドラゴン稲妻の対決』(1973)ただ一本のみが公開されているが実は結構あって、アメリカのビデオ市場にはかなりの本数が出回っている。フィリピン・クンフー映画と呼ぶべき作品群の多くは英語に吹き替えられているが、なかにはオリジナル言語であるタガログ語のままのものもある。つまりフィリピン国内のみでしか上映されていないという事だ。今回の『SUPERHAND SHADOW OF THE DANCING MASTER』(1980)もそのひとつである。

          
          

 あらすじは富豪の主人の元で働いていた主人公が、悪党どもの手によって殺され自身も瀕死の重傷を負うが、通りがかった農牧民たちに命を救われる。そこで武術の達人に手ほどきを受けた主人公は、主人の敵討ちと残された彼の一人娘を守るため悪党どもに闘いを挑む、というもの。

 “クンフー映画”としての土台は、「ヘンなおっさんによって修行させられた主人公が強くなる」という70年代後半に流行したコメディ・クンフーもののスタイルをとっており、この手のフォーマットはすっかり東南アジア全土に行き届いたという感じだ。とはいえ、本場のように理屈にかなったトレーニング法なんかではなく、「とりあえず変わったことやらせときゃ、クンフーの修行っぽく見えるだろう」程度の内容だけれども。

           
           

 ただこの主人公、修行して強くなったわりには、あまり見ていて「そうでもないんじゃないか?」と思ってしまうのが欠点。確かに修行前・修行後と比べればかなり実力がついているのだが、敵がいわゆる《中ボス》以上の強さの奴らが数人出てくるので、主人公も簡単には勝たせてもらえずひとつ攻撃を入れると2~3発相手の反撃を受けるのだ。それでも最終的にはキッチリ勝利するのだが、見ていてあまり爽快感は感じられない。この辺がこの映画が欧米のバイヤーに買われずフィリピン国内で留まった理由なのかな?と思わずにはいられない。

 ちなみに何故《スーパーハンド》なのか?それは主人公の右腕のパンチ力が強いから……といっても、あまりアクションシーンには生かされてなかったような気がする。殺陣にコンビネーションとかあればそれなりに見せられただろうが、右腕が強いだけじゃあ……ねぇ?ほとんど蹴っていたし。この時期のフィリピン・クンフー映画の難点、それは殺陣の振付けの弱さであろう。

           
           
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする