中国返還まで残り7年と迫った1990年の香港では、武侠小説の第一人者・金庸の同名小説を80年代香港映画界の革命児、ツイ・ハーク(徐克)とキン・フーが手を組み映画化した(最終的にはキン・フーは途中降板)一大武侠映画プロジェクト『スウォーズマン 剣士列伝 / 笑傲江湖』が公開された。中華圏ではおなじみの物語を現代感覚に溢れた映像で大スクリーンに蘇らせた本作は評判を呼び、続く91年の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地黎明 / 黄飛鴻』の爆発的大ヒットにより、香港映画界最後の黄金時代というべき《古装片 (時代劇) ブーム》が幕を開けた。
Swordsman:笑傲江湖(スウォーズマン 剣士列伝) / 1990
この古装片ブームのキーワードはずばり《再生》。金庸や古龍といった武侠小説や過去の武侠映画の名作、黄飛鴻に方世玉などの古典的な英雄物語を、代的アレンジを施しスクリーンに蘇らせたのだ。「蘇ったの」は物語やキャラクターだけではなく、『少林寺』などの大陸産クンフー映画に主演した「かつての」スーパースターだったジェット・リー (李連杰) を再び人気クンフースターの座へとカムバックさせ、また女優ではブリジット・リン(林青霞)が「最後のあだ花」の如く、ツイ・ハーク作品はもとより数多くの武侠映画へと出演、彼女の“十八番”である凛々しい男装姿は劇場へ詰めかけた観客たちを魅了した。
一方で80年代クンフー映画不況期において現代アクションを細々と撮っていたユェン・ウーピン(袁和平)やラウ・カーリョンといった“巨匠”たちも、この古装片ブームの恩恵を受けて数々の武侠映画のヒット作に、監督や武術指導として携わり見事第一線へ復帰することが出来た。またブーム(とスターたちのギャラの高騰)による俳優不足で、ジェット・リーに続く新規武術系俳優も続々と参入。80年代にデビューしながらも時期が悪く、スター街道に乗れなかったドニー・イェン (甄子丹) や大陸出身の新人、チウ・マンチェク (趙文卓) らはこのブーム時に武侠映画のヒット作に数々出演、スターとしてのステイタスを得て次のステップへの糧とした。
Swordsman2:笑傲江湖Ⅱ 東方不敗(スウォーズマン 女神伝説の章) / 1992
Ashes of Time:東邪西毒(楽園の瑕) / 1994
数多くの香港スターたちが誕生・または復活した古装片ブームは結局、売れ線重視の為旧作リメイクの連続や、出演するスターたちの顔ぶれに変化がない事が災いしてか、94年頃にはその熱も冷めてしまう事となる。トレンドとしての武侠映画「再生」には成功したものの結局、次へと続く新たなスタイルをこの時期に、最後まで作り出すことが出来なかったのだ。中国返還前の香港に湧き起こった、映画界をあげての一大ムーヴメント《古装片ブーム》はこうして幕を閉じたのだった。
最終章 武侠映画、新世紀へ
※王度蘆の筆による武侠小説『臥虎蔵龍』の書影と新聞連載時の画像
2000年代に突入すると、それまで東南アジアを中心に上映されていたローカルムービーであった武侠映画が突如《国際化》する事となった。台湾出身でアメリカを拠点に活躍する映画監督アン・リー(李安)が発表した、王度蘆による武侠小説を原作とする『グリーン・デスティニー / 臥虎蔵龍』が米アカデミー賞の外国語映画賞他4部門で受賞するという快挙を成し遂げたのだ。これ以降、海外からの投資を集めやすい武侠映画は中国映画の《主力商品》となり、ますます作品が《大型化》される事となる。
Crouching Tiger, Hidden Dragon:臥虎藏龍(グリーン・デスティニー) / 2000
作品規模の大型化は、それまでアクション映画とは無縁だった中国本土のアート系映画作家たちを、武侠映画の世界へ引っ張り込み、その作品を期に新たなファン層を獲得するなど好循環を生み出した。その最たる例は、それまでも独特の色彩感覚で既に《中国映画界の巨匠》の地位にあったチャン・イーモウ(張芸謀)であろう。ジェット・リー他多くの香港系スターを起用して撮った歴史アクション『HERO / 英雄』は、『グリーン・デスティニー』を遥かに凌駕したチン・シウトン(程小東)によるワイヤーアクションの妙技と、イーモウ独特の色彩美あふれる撮影によって武侠映画に芸術性を与えた。この『HERO / 英雄』の成功はイーモウに新たなキャリアを得たといっても過言ではないだろう。1920年代に中国で誕生した武侠映画は長き歳月を経てようやく「生まれ故郷」へと戻ってきたのだ。
Hero:英雄 / 2002
House of Flying Daggers:十面埋伏(LOVERS) / 2004
中華男児なら誰もが一度は憧れるという《武侠世界》。このセンス・オブ・ワンダーに満ち溢れた漢の世界に夢抱く者がひとりでもいる限り、武侠小説――そして武侠映画は未来永劫生まれ続けるに違いないだろう。