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HIMAGINE電影房

《ワクワク感》が冒険の合図だ!
非ハリウッド娯楽映画を中心に、個人的に興味があるモノを紹介っ!

ニンジャ映画の逆襲

2015年09月28日 | その他の映画、テレビ
 1980年代――アメリカ・ハリウッド製のマーシャルアーツ映画を席巻したのは、従来のチャイニーズ・カンフーでもニッポン空手でもなかった。黒装束に身を包み、多種多様な武器を自在に操り敵を倒す静かなる暗殺者 ――《ニンジャ》であった。


アメリカ映画における最初の《ニンジャ映画》は、サム・ペキンパー監督作品『キラー・エリート』(The Killer Elite / 1975)であるといわれている。
映画には悪の忍者集団が登場し、主人公たちと銃火器や武術で一戦交える場面は、それまでにあった香港製クンフー映画などで慣れ親しんだそれとは、微妙に異なるマーシャルアーツ・アクションに当時の観客たちの目には新鮮に映った事だろう。
        

1980年、エリック・ヴァン・ラストベーダーが書いた冒険小説『ザ・ニンジャ』が全米でベストセラーとなり、それまであまり知られていなかった日本発祥の《忍者》という、奇妙なキャラクターに注目が集まるきっかけとなった。
クンフー、カラテなどの東洋武術もすっかり浸透し、観客の呼べる新たな《マーシャルアーツ・ヒーロー》を模索していたハリウッドの映画製作者たちが、この《忍者》に金儲けの匂いを感じたのは言うまでもなく、早くもその影響が映画にも表れはじめた。
        
          オクタゴン(The Octagon / 1980)

ニンジャ映画ブームのきっかけとなったのは、1981年に製作されたB級アクション映画『燃えよ!NINJA』(Enter the Ninja)であった。現代に生きる忍者たちの死闘を描いたこの作品は、ブルース・リー以来続いていたクンフー・アクションとは違う、日本刀などのウエポン戦を中心としたアクションスタイルと、所々に挿入される似非東洋思想が思いの外アメリカの観客たちにウケて、映画はヒットし《ニンジャ》の存在も一躍注目を集める事となった。
その《ニンジャ》なる、アメリカ・マーシャルアーツ映画のニューカマーをスターの座に押し上げたのは、正義の白忍者役で主演したマカロニ・ウェスタンの大スター、フランコ・ネロではなく、悪役として黒忍者・長谷川を演じた無名の日本人俳優、ショー・コスギ(本名・小杉正一)であった。自身が会得した空手の技術とケガを恐れぬ身体を張った演技が評価され、続く第二弾『ニンジャⅡ:修羅ノ章』(Revenge of Ninja / 1983)では主役へと昇格する――新たなるマーシャルアーツ・スターの誕生であった。
        
        燃えよNINJA(Enter the Ninja / 1981)
        
        ニンジャ2:修羅ノ章(Revenge of Ninja / 1983)
        
        ニンジャ(Ninja 3: The Domination / 1984)
        
        ザ・ニンジャ 復讐の誓い(Pray for Death / 1985)

アクション映画ファンのほか、一般の子どもたちの間にまでその存在が浸透し、アメリカ映画界における《ニンジャ》の存在も揺るぎないものとなると、それまでニンジャ映画の《代名詞》的存在だったコスギ以外の、欧米人俳優による主演作も次第に製作されはじめ、ここにニンジャ映画はブーム最高潮を迎えたのだった!
        
        ニンジャ・フォース(Ninja's Force / 1984)
        
        ザ・忍者ミッション KGB攻略作戦(The Ninja Mission / 1984)
        
        アメリカン忍者(American Ninja / 1985)
        
        桜NINJA(Sakura Killers / 1987)
        
        テコンドー・ファイター(Miami Connection / 1987)

そんなニンジャ映画ブームだったが、ベルギー出身のマーシャルアーツ・スター、ジャン=クロード・ヴァンダム主演の『キックボクサー』(1989)のヒットをきっかけに、アメリカ・マーシャルアーツ映画のトレンドは《キックボクサー》ものへと移行し、ファミリー映画やコメディ映画などのサブキャラクターとして登場することはあっても、かつてのように《ヒーロー》や《ヴィラン》役など主要キャラクターとして“忍者”が起用されることはなかった。2000年代に入ってもいくつか《ニンジャ映画》は製作されたが、主演するマーシャルアーツ俳優のポテンシャルの高さは注目されても、以前のコスギ主演作のような強烈なインパクトはなく、単発で終わっているのがその証拠であろう。

1980年代を黒装束で全米を疾走ニンジャは、再び《闇》の世界へと還ったのであった…

跳べっ!《鳥人》タルマッジ 『絶海の爆弾児』

2013年09月10日 | その他の映画、テレビ
 かつてサイレントからトーキー初期の映画黎明期、スラップスティック・コメディや活劇映画の看板スターは、自ら危険なアクションを演じて映画一番の見せ場を作り出していた。バスター・キートンしかり、ダグラス・フェアバンクスしかりだ。だが、映画が“個人商店”から“企業”へと変化していくにつれ、こうした“身体で映画を作る”スターも少なくなり、今や編集と特殊効果で、観るものをを興奮のるつぼへと誘う。だが我ら観客はいつの時代でも肉体が産み出すスペクタクルに魅了されるのだ。

 そんなハリウッド黎明期に、現在ではすっかりその名は忘れられてしまったが、かつて目の覚めるようなアクションを自らこなし人気を博したスターが存在した。彼の名はリチャード・タルマッジ。まさに《鳥人》と当時のあだ名通り、高い場所へ登ったり飛び降りたりと、製作された時代の古さや劇中のアクションがベーシックすぎる事に目をつぶれば、現在のものと全く遜色ないパフォーマンスを、彼はこの時代に演じていたのだ。

          

 『絶海の爆弾児』(1935)は、彼がトーキーの時代に突入してから出演した作品で、主演作としては最後期のものである。物語はタルマッジ演じる水夫が考古学教授らと共に未開の島で宝の壺探しをするというものだが、冒険ものと呼ぶには尺が短い事もあってか盛り上がりに欠けており、お宝を探索する場面はほとんど皆無で、もっぱら映画はタルマッジのアクションの方に集中する。殴り合いはさすがに古臭いのだが(殴られる際の効果音すらない)、逃げ惑う・または追いかける場面では彼の身体能力が本領発揮する。タルマッジは高所から下に停車しているトラックに飛び降りたり、壁を軽々と飛び越えたりと現在のスタント・アクションと何の遜色もない事を、約70数年前の役者が顔色ひとつ変える事もなく平然とやってのけるのだ。

 
 同じ頃に(厳密にはもっと前だが)活躍した活劇スターにダグラス・フェアバンクスがいたが、時代劇(コスチュームプレイ)中心だった彼の映画とは違い、タルマッジ作品のほとんどが現代劇。ビルや自動車などモダンなアイテムを周りにに配置し、所狭しと飛び回るその姿は現在のジャッキー・チェンの姿を思わせる。間違いなく彼はジャッキー流アクションの元祖のひとりなのである。アクション映画好きならリチャード・タルマッジの名前は絶対に覚えておいたほうがいい。

          
          


 

『HELL COMES TO FROGTOWN』を観る

2013年05月20日 | その他の映画、テレビ
 先日YouTubeを眺めていたら、“変な”映画の予告編を発見した。画面に登場するのはカエル面の怪人、貞操帯みたいなのを付けたロディ・パイパー、そして例のカエル男たちを素手で倒すビッチ風衣装の女性……「何じゃこれ?」私の心は“怖いもの見たさ”で一杯になった。多分一般の映画ファンなら絶対トキメかないと思いますケドね。
 検索してフルサイズの動画を発見・鑑賞した後―――「うーん、予告編以上の物がないなぁ……」分かってました。くっだらないのは分かっているんですケド、ついつい《ヘンな映画好き》としては見ずにはいられないというか……存在を知っちゃった以上は無視できなかったというか。
 1980年代、劇場・ビデオ・ケーブルテレビ向けに多量に作られたB級SF映画のひとつ、それが今回の物件『HELL COMES TO FROGTOWN』(1987)だ。(ちなみに日本でもビデオリリースされており、邦題は『SFヘルスラッシャー』という……らしい)

          

 内容は、例の『マッドマックス』や『北斗の拳』と同じく核戦争後の世界を舞台に、ミュータントの居住区《フロッグタウン》に街の支配者のハーレム要因として連れ去られた女性たちを救うべく、政府より派遣された腕っぷしも強い美人医師スパングル(『コナン・ザ・グレート』のサンダール・バーグマン)、女兵士、そして筋骨隆々の荒くれ者・サム(R・パイパー)の3人が忌まわしき《フロッグタウン》に向かい救出活動を開始するというもの。
 面白いのは“犯罪者”であるパイパーが、政府の人間である彼女たちから逃げ出せないよう装置を着用されていて、バーグマンの持っているコントローラーによって局部に激痛が走るように仕掛けられているのだ。孫悟空じゃあるまいし、よくそんな馬鹿馬鹿しい事考えるよなぁ米産プログラムピクチャーって。

          
          

 ただ惜しいのは、主役級でアクション担当であるはずのパイパーにこれといった見せ場がないという事。格好よく銃器をぶっ放すわけでもなく、プロレスラーらしく派手な格闘シーンがあるわけでもない。これじゃあ何の為に彼をブッキングしたのかよく分からない!むしろ大活躍なのはバーグマンのほうで、カエル男を殴る蹴る、ダンサー出身らしくセクシーなダンスを披露するわでツンデレ大全開である。画面映えも(どっちかといえば)童顔のパイパーよりも強いので、こりゃ彼女メインでいいんじゃね?とも思った。

          
          

 カエル男のモンスタースーツをクリエイトしたのは『ガイバー』等で知られるスティーブ・ワン。スーツの皮膚感が相変わらず素晴らしい出来であります。しかし国内盤ビデオも廃盤になってるだろうし、DVD化も望めないので(海外だと単品と『デフ・コン4』とのカップリング盤あり)どうしても高画質で観たいっ!英語でも構わないっ!というのでなければ、今ならYouTubeで楽しめますので一度お試しあれ。

『カスケーダー』を観た

2011年08月09日 | その他の映画、テレビ

 ジャッキー・チェンの遺伝子はドイツにも存在した!

 タイトルの『CASCADEUR』はドイツ語でスタントマンを意味し、監督兼主演のハーディ・マーティンス自身もスタントマン出身だという。そしてこの映画の制作動機が「ドイツ映画界におけるスタントマンの重要性」を訴える為だというからこれはもう、自分の身体を張った一大プロモーション・フィルムなのだ。何だか画面の向こう側から「ほれ、どーだ、凄ぇだろ?」と製作者(ハーディ)のドヤ顔が見えてきそう。

 ナチスの隠し財宝を巡っての主人公&女考古学生コンビと謎の組織との争奪戦という、最低限のストーリーラインに乗っていくつもスケールの大きなアクションシーンが盛り込まれており、頭を使うことなく観る者をスリルと冒険の世界に連れていってくれ爽快感はタップリ。かつてはジャッキー・チェン映画、今ならばパンナー師匠作品がそうなのだが、やはり映像処理ではなく息づかいや体温が感じられる《生身》でアクション、というのは素直に驚きと感動を与えてくれる。この手の映画はどうしても主演俳優(監督)のワンマン映画になる傾向にあるけども、自分の撮りたい(観客に見せたい)画や動きを追求していくので、ハリウッド的システマチックな製作形態では無理なのだろう、きっと。

 やはりアイテムや結果に向かって登場人物たちが追いかけっこを繰り広げる《CHACE》こそが活劇の基本形で、どんなに映像技術が進化してもそれは変わらない。だから私は今でも生身アクション映画を応援し続けるのだ…!
 
           

           


『CIA殺しの報酬』を観た

2011年05月19日 | その他の映画、テレビ

 その昔、B級ホラー映画ブームの頃に日本ヘラルド映画という配給会社が、「こんなの誰も観ないんじゃないの?」というようなホラーやアクション映画を連続で配給・公開した事があった。『悪魔の改造人間』、『吐きだめの悪魔』『スコルピオン』『片腕サイボーグ』『ドラゴン忍者』…多感な中高生時代だったので、すげー興味あったのだが、残念な事に番組を流してたのが普段ポルノ映画等を上映している3番館だったので、観る事が叶わなかった。いま思えばあの頃までがきちんと《映画館》というものが存在していた時期だったのだな。今やシネコンかミニシアターくらいしかないもんね。

 そんなヘラルドによる怒涛のB級映画ラッシュの1本に『CIA殺しの報酬』(1982:米)という作品がある。当時のアメリカ製アクション映画としては珍しく香港チックな格闘アクションがある、という情報だけは日本公開時(87年頃)に雑誌で得てはいたのだが、中々現物にお目にかかれなくて、中古ビデオでも見つけたことはあったけれどスルーしたりして「観たいけれど観たくない」状態が長々と続いたが、それが去年、クンフー&マーシャルアーツ映画ファンの知り合いからコピーを頂いた事からようやく鑑賞のはこびとなった。

 「すげー安っぽいんですケド…」

 これが20年以上、観る事が出来なかった映画を観た最初の感想だ。話が浅い(これはB級アクション映画だから当然として)、キャストに華がない…正に《儲からない》スパイラル全開、《添え物》《プログラム・ピクチュア》という表現がピッタリな作品である。間違っても単品では上映される事はなかろう。CIAの末端組織で働く主人公が、裏切り者の元CIA情報員を捕らえる任務に就くが、本当の目的は彼がCIAの行った残虐行為について記した手記を奪うためだった。それを知った主人公は手記とそれを託された彼の妹をCIAの放った刺客から守り闘うという内容で、ジョークも寒いし、ラブシーンにも魅力なし。ハッキリいってマーシャルアーツ要素がなければ見向きもしないような作品だった。諜報部員モノのジャンルであればどうにでも内容も明るくできそうなものだが…ちなみにアクション・コーディネーターは韓国クンフー映画ファンにその名を知られている楊成五(タイガー・ヤン)という人物、わたしはよく知りませんが。どうりで格闘アクションの動作がテコンドーぽいわけだ。


『セルロイド・フューリー』を観る

2010年11月14日 | その他の映画、テレビ
 以前に某氏とDVDをトレードした際に頂いた、怒涛の功夫映画予告編集『CELLULOID FURY』を久々に観賞。約二時間ず~っと殴り合い、蹴り合う音が鳴り響く映像を環境ビデオのごとく流しっぱなしにするこの至福の時間(個人的意見)。

 本ビデオは中華圏の功夫映画ばかりでなく、我が日本のアクション映画も数本チョイスされているため「いいもの観させてもらいました」度はかなり高いが、すべてとは言わないけれども予告編がケツまできっちり収められていないモノがあるので、資料性としてはどうしても「?」マークがついてしまう。でも思うんだけど、こういった(功夫映画に限らず)予告編モノってどうして国内で製作・販売されないんでしょうか?以前特撮・怪獣映画ものが(映画会社別で)出たっきりでその他のジャンルはさっぱりなのはちょいと寂しいのではないか?この間にっかつロマンポルノの予告編集も出たんだけどあれも海外盤だし…う~ん。

『仮面ライダー×W&ディケイド MOVIE大戦2010』を観る

2010年01月03日 | その他の映画、テレビ
個人的期待度の高かった『仮面ライダー×W&ディケイド MOVIE大戦2010』、ようやく劇場で鑑賞することができました。


 『仮面ライダー~』は最終回が視聴者たちの反感を買ってしまった『仮面ライダーディケイド』の完結編と現在放映中の『仮面ライダーW』の前日談を交えた劇場オリジナルと両ライダーがコラボレーションする本作品の完結章の3部構成になっているという言わばライダー版『グラインドハウス』か(そんな立派なモノじゃないケド)。

 肝心のディケイド完結編はまぁ、納得できる形で終わらせてくれていかにも大円団って感じで良かったよかった。何だかんだ言われているようだが、スカイライダー&スーパー1&電波人間タックルの昭和ライダーたちや、前作から引き続いての登場の死神博士、そして今作で復活したゾル大佐や蜂女などの登場で分かるとおりライダーファンにとってのイベント・ムービーなので素直に楽しめばよいのである。
 映画を観て思ったのは、結局『ディケイド』という作品はその名の(decade=10年紀)通り平成ライダー10周年を記念するためだけの存在で、自分だけの世界(対峙する敵組織等)の間を通り抜けるだけの、ディケイド自らの台詞どおり「通りすがりの仮面ライダー」なのである。

現在進行形である『W』の方は仮面ライダースカルという劇場オリジナルライダーが登場するも『ディケイド』ほどイベント性は薄く、腰の据わったストーリーで魅せてくれる。《ハードボイルド=大人のカッコ良さ》を標榜としてるわりにはチャラい若造が無理してる感じがある主人公に比べ、ゲストである吉川光司の立ち振る舞いは見事にハードボイルドを体現していた。やっぱりある程度の年齢を重ねないとにじみ出ませんね、あのカッコ良さは。


双方の完結章である『MOVIE大戦』はオープニングに2分割された画面それぞれに東映マークが出てきてビックリ!しばらく分割画面は継続されディケイド・Wの前章からの続きが流され(音声もそれぞれ左右から聞こえる仕掛けになっている)、画面が一つになったときそれぞれの世界も合体しディケイド・W揃い踏みとなるのである。もうここからは《お祭り》で最強最悪の敵・スーパー生命体を倒す為ディケイド&平成ライダー+Wが協力しあうという、平成ライダーシリーズを見続けた人にとっては最高のシチュエーションであろう。こうして平成ライダー10周年記念企画は幕を閉じたのであった。

 やはりいつの時代でも仮面ライダーは子供たちにとってヒーローである。劇場では椅子から身を乗り出してライダーたちを応援してる姿が目に付いた。ここまで喰いついてくれれば製作者としては本望であろう、たとえ脚本がどうだとか演技がどうだとか言われようが仮面ライダーに憧憬の眼差しを向ける子供たちが存在しているという事の方が大事なのである。子供たちが憧れないヒーローなんて最早《ヒーロー》と名乗る資格などない。

嗚呼、これぞ怪獣少年の夢! 『モーレツ怪獣大決戦』

2009年04月27日 | その他の映画、テレビ
 怪獣と一口にいってもさまざまな分別方法がある。たとえばゴジラA級だとすればガッパB級ウルトラマンの怪獣がメジャーと定義すればキャプテンウルトラの怪獣はマイナー…という具合に。

 だが、まだ彼らは視聴者の数は違えど映像化されているので人の目に触れる機会はある。しかし怪獣の生息場所はテレビや映画の中だけではなかった。薄暗い駄菓子屋の中で一回5円や10円で売られていたカードなど紙媒体にも実は潜んでいたのだ。それも既成の怪獣をちょこっと改造したりオリジナリティあふれるデザインの怪獣たちが。こうした怪獣たちを本流の怪獣たちと区別するために最近ではパチモン怪獣と呼び密かな人気を博している。

 今回紹介する『モーレツ怪獣大決戦』(05)はそんな怪獣ブームの真っ只中の昭和40年代に人知れず誕生したパチモン怪獣たちが多数登場し、闘争本能の赴くまま怪獣同士が戦うというこれ以上ない単純な構成の作品である。
          
      

      

 まどろっこしい人間ドラマは一切なし!本当に怪獣が各地で出現し、街を破壊し怪獣たちがドツキ合うだけの内容なのでゴジラのような本格的な特撮大怪獣映画を期待している方は怒り出すかもしれない。だが、『ウルトラファイト』『レッドマン』『ミラーファイト』などの着ぐるみ怪獣プロレス番組が好きだった方には好意を持って迎え入れるはずだ。

 怪獣映画にとって重要なファクターといえばミニチュアなどに代表される「特撮」であるが、この作品ではパチモン怪獣たちの造形で予算をゴソっと持っていかれたのか見るにも痛々しい紙製(発泡スチロール?)の戦車や戦闘機、プラレールの鉄道やボール紙のビル群などが登場し、爆発も花火を使用するなどまさに手作り感十分だ。ただ、撮り方などが従来の怪獣映画や怪獣テレビ番組と同じなので“安っぽさ”に目をつむればそれなりに見ごたえはある。
 これを脳内で予算ウン億円の大怪獣映画に変換するにはよほどの“広い心”“怪獣映画の経験値”が必要だとは思うけど…

      

      

 低予算とはいえ、怪獣同士の対決シーンではわざわざローアングルから撮って“巨大感”を出そうとする心意気は良し!見たこともない怪獣たちに何とも言えぬ懐かしさを感じるようになればもうこの作品を(半分は)受け入れたも同然だ。

 全篇に漂う”怪獣愛”を受け止めろ!




レッツ・クンフー! 『KUNG FU RASCALS』

2008年12月12日 | その他の映画、テレビ

 今回の紹介作品は、『プレデター』の造形や『ガイバー:ダークヒーロー』の監督 として知られるハリウッドで活動している台湾出身のマルチ・アーティスト、スティーブ・ワンの初監督作品『KUNG FU RASCALS』(92)だ。

        

 古くからの『宇宙船』読者であれば一度はその名を耳にしたかもしれないこの『KUNG FU RASCALS』。私自身も10年以上前に記事と写真を見て、観たいなぁ~と思っていた。そして月日が流れついこの間、動画共有サイトでアップされているのを発見し、観賞と相成ったわけである。

 映画自体は自主映画らしくグダグダなところが見受けられるが、まぁ、そこのところは目をつぶってもらうとして(笑)、とにかく「俺はこんな映画が観たい(作りたい)んだ!」という心意気はズシッと感じられるので良しとしよう。

 謎の地図に導かれて旅をする三人の若者とそれを奪おうとする悪の魔王の手下たちとの戦いを描くこの映画の見所は、何といってもスティーブ・ワンが手がけるモンスターたちであろう。ドクロっぽいデザインの暗黒魔王(米版キョンシー映画『ジッターズ』に登場するモンスターの流用)や豚顔の悪の僧侶、そして三人の若者を襲う岩石巨人と彼らを救う巨大布袋像等々。予算の都合でビーム系の光学合成が使用できないため妙なデザインのモンスターが我々の目を楽しませてくれる。

        
        
        

 もう一つはクンフー・アクション。監督のスティーブ・ワン自身が主役の一人である中国人青年を演じていて、他の2名のアメリカ人俳優は(ワン監督の友人?)たいしたことはないが、ワン監督はジャッキー・チェン…とはいかないまでもモン・フェイくらいは動けていて、劇中、見事な回し蹴りを披露してくれている。

 モンスターが楽しめてクンフー・アクションまでも(まぁまぁ)楽しめる、ボンクラ映画好きにはもってこいのこの『KUNG FU RASCALS』、願わくばもうちょっと脚本を練り直し、予算を掛けてワン監督自身にリメイクして頂きたいものである。

        

 


こういう映画があっていい 『パコと魔法の絵本』

2008年09月16日 | その他の映画、テレビ
「涙ってのはどうやって止めるんだ?!」

 スクリーンの中の大貫(役所広司)の台詞はそのまま我々観客の胸の内の言葉でもあった。一日しか記憶が持たない少女・パコ(アヤカ・ウィルソン)との楽しく美しく、そしてちょっぴり切ない物語に私は時に笑い、そして泣いた。観賞して数日が経過したが、あの言葉はただのダイアローグだと思っていたのだがそのままズバリ我々(この映画を鑑賞した者)が感じたことを代弁してくれてたんだなぁと思うようになった。

  『下妻物語』『嫌われ松子の一生』中島哲也監督の最新作『パコと魔法の絵本』は想像以上の傑作であり、観た人の心に何年も残るであろう日本映画の名作候補である。
 原作が舞台劇ゆえ病院という閉鎖的な舞台設定を用いながらもそれを逆手にとって遊園地のような夢空間に仕上げられたのは中島監督の色彩感覚・ビジュアリストとしての才能の高さだろう。こういう人工着色的美意識をもった映画は日本映画ではあまりなく現時点では中島作品だけの専売特許といえよう。  

 今までは予告編だけで内容を予想して「その通り!」な作品ばかりを観てきたが、この作品ではいい意味で見事に騙された。ただ私の読みが甘かっただけかもしれないが。「まさかこうなるとは…!」というラストだったので気になった方は一度劇場に足を運んでください、そして泣いてください。
「いっぱい泣けば涙は止まります」
医者・浅野(上川隆也)といっているので思いっきり泣きましょう。なぁに劇場ではみんな泣いてますよ、心配しないで。

 そして観賞し終わった後しばらくの間パコちゃんの声があなたの心の中で聞こえてくることでしょう…

  「げろげ~ろ、げろげ~ろ。がまのおうじはわがままおうじ…」