3, 十二社神社 お菊神社
お菊神社は姫路市の中心部にあり、十二社神社の神々とともに祀られている。境内には2つの神社があり、そのうちの一つが於菊神社である。
ここはお城から南南西約1kmほどの所にあって、市内中心部である。
国道二号線に沿面しているので、昼夜を問わず交通量が激しくて、騒音のやむときはない。
何百年かしらないけど、お菊さんもこんな所では気を静めて、おちおち眠ってもいられないだろうなという雰囲気である。
城内にあったお菊井戸を見学してきているから、それと比べて、ここは何となく明るい感じがする。
於菊神社の前は藤が植えられていて、花が咲く頃には見事だろうと思われた。神社の横には由緒書があり、それには次のような由緒がかかれていた。
それをここに引用すると、次のような物語である。
永正年間(つまり現在の姫路城が出来る前)、姫路城第9代城主小寺則職の家臣、青山鉄山が主家乗っ取りを企てていたが、これを衣笠元信なる忠臣が察知、自分の妾(許嫁)だったお菊という女性を鉄山の家の女中にし、鉄山の計略を探らせ、増位山の花見の席で毒殺しようとしていることを突き止め、その花見の席に切り込み、則職を救出、家島に隠れさせ再起を図る。
一度は、乗っ取りに成功した鉄山だが、家中に、密告者がいたとにらみ、家来の町坪弾四朗に調査するように命令した。程なく弾四朗は密告者がお菊であったことを突き止めた。
以前からお菊のことが好きだった弾四朗は自分の女になれといいよったがお菊は拒否した。
その態度に立腹した弾四朗は、お菊が管理していた10枚揃えないと意味のない家宝の毒消しの皿のうちの一枚をわざと隠して、お菊にその因縁を付け責任をとうて、とうとう責め殺して古井戸に死体を捨てた。以来その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える悲しげな声が聞こえたという。
やがて衣笠元信達小寺の家臣によって鉄山一味は討たれ、姫路城は無事、則職の元に返った。その後則職はお菊の事を聞き、その死を哀れみ、十二所神社の中にお菊を「お菊大明神」として祀ったと言い伝えられている。その後300年程経ってに城下に奇妙な形をした虫が大量発生し、人々はお菊が虫になって帰ってきたと言っていたといわれる。
これは小寺・青山の対立という史実を元に脚色された物と考えられている。そして、この話はバリエーションとして たとえば以下のような物もある:
お菊は衣笠元信なる忠臣の妾で、鉄山を討ったのは衣笠であったというもの。
お菊は船瀬三平なる忠臣の妻で、お菊の呪いが鉄山を滅ぼしたというもの。
お菊の最後の姿に似た「お菊虫」なる怪物によって鉄山が殺されたというもの。
なお各地に存在するお菊怪談の話は姫路市の十二所神社に伝わる「播州皿屋敷実録」が原型とされているらしい。
真偽のほどはともかくとして、いずれにせよ、このような事件があった可能性は高い。時代は戦国時代。実力のあるものが、自分が仕えた主人に対して下克上をしてでも、領国を奪いとるという殺伐とした戦国風景。現代から考えると随分人道や正義に反する無茶な話であるが、当時の世相を思い浮かべて、当時のこの城の中の雰囲気に思いをいたすと、まるで架空のでっち上げた話ではあるまい。そこには伝承通りかどうかは別にして、悲劇を思わせるような事件があったはずである。
これが巷に知れ渡るや、民衆の心に共鳴し、それを脚色再現した見せ物として江戸時代には歌舞伎や浄瑠璃の題材に取り上げられ、巷間の涙をしぼったのだろう。
そういうわけで、いろいろな脚色がなされているので、史実すらもはっきりしないし、何せこの事件が起こったと言われる時から、既に500年余りの歳月が経ってしまっている。今からでは真相究明もままならぬ事である。もしそれをやるというなら、お菊さんに直接聞いてみる他はない。
僕はできることなら何としても、真相を知りたいと思い、今は魂の世界に帰って霊的存在になっている伝説の人、お菊さんと心の中で会話することを試みた。
「お菊さん。ご存じのように伝説の話の真偽はもう、追求して調べるわけにはいきません。今から私が唱えるお経の功徳の力によって、どうかお姿を現して、それができなければお声だけでも聞かせてください。そして問答にお答え願えれば幸いです。なにとぞよろしくお願いします。」と祈った。そうしたら、不思議にも狛犬の前に作られた藤棚の葉が風もないのにざわざわ揺らめいた。そのざわめきの中から声らしきものが響いてきた。
「どちらのお方かは存じませぬが、私の事に関心をもってはるばる遠方からおいで下さったことに感謝します。根も葉もない噂が噂を呼んで、いろいろ語り継がれているようですが、今の私の気持ちからすると、どのように語られてもそれはそれでよいと思います。どの話も真実の部分もありそうでない部分もある。人々の願いもあるし、期待もある。だからどんな語り口でも結構ですが、私の世の去り方が尋常でないのは紛れもない真実です。私に関していろんな語りがあるようですが、どれもこれも私が謀られて自分の意志に反して殺された。そしてそれが怨念となってこの世になにがしかの発信をしたというのはまさに事実です。
巷間で語られている、皿を数える悲しげな女の声。
1マーイ、2マーイ、3マーイ、8マーイ、9マーイ、1枚足りない、うらめしや
そしてまた1マーイ、と数え始まる話は、この世に恨みを残して殺された女の怨念を表すには、適当な言葉だと思います。このセリフがあってこそ、人の共感をを呼び起こすのではないでしょうか。
私自身について言えば、どうしても叫ばなくては自分がどうにもならなかった苦しい胸の内を語らずして、また理不尽な出来事には我慢がならなかったのです。」
「そうでしょうとも。」
同情と言うよりは、共感した。
城を見学したけど、全体から受ける印象は外見の華麗な優美さとはちがって、内部は薄暗いところが多く、不気味な感じがした。
誰が名付けたのか知らないが、切腹櫓など血なまぐさい臭いのするようなところもある。
さらにお菊井戸の立て札を読むと、まさに怪談の世界に迷い込む。
青空と白亜の壁、黒の屋根瓦、白と黒のコントラストは遠目にみる城の華麗さと城の内側に漂う不気味さをいっそう際だたせる。
「改めてお尋ねするが、お勤めされていた時代のお城とはどんな感じだったのですか」
「今のお城を見て、私が勤めていた時代の城を想像することはおそらくできないでしょう。元々あの場所は姫山といって小高い丘に過ぎません。
頂上付近には刑部神社や称名寺があり、その一部が砦に毛の生えたようなお城がありました。女の私のことですから、時の政治向きや領内の政
りごとなど詳しくはありません。私の知識と言うのは、自分の知りうるごく狭い範囲に限られて居ますが、他に衣笠様の話を耳に挟んで、当時お仕えしていた殿様や執権様のご様子を知ることぐらいでした。
ただ確かにいえることは今の白鷺城とはとても似ていない貧弱なものであると言うことです。代表の天守閣は言うに及ばず、化粧櫓だの、長屋局だのそんなものは何もなかった。この付近はすべて雑木林でした。」
お菊の声は時に高くまた時には低い。それはきっと心の中の感情を表しているのだろう。
「そうでしょうね。今僕が見ている城は徳川家康の娘婿池田輝政が本格的に築城に乗り出してできたものらしいです。それから400年あまりの時を経て今の姿があるのです。それでもやはり世間では、姫路城を知らなくても播州更屋敷のおきく物語は知ってますよ。言い方を変えれば、国宝のお城よりはお菊さんの方が有名ですよ。」
「それはそれは。モット明るい話で皆さんに知っていただけるのなら私もうれしいのだけど、何しろ惨い死に方をしたもんで」
「では単刀直入にお伺いしますが、町坪弾四朗によって斬り殺され、井戸へ投げ入れられたという伝説は事実なのですか」
お菊はそれは事実だという。そのとき彼女の顔色は変わった。当時の感覚が生々しく蘇ってきたのかもしれない。
現代と違って女性の人権などないがひとしい時代だから、女性が生きる事は、男子の侍よりは難しかった。
お家騒動の渦の中に巻き込まれ、刃の先を裸足で歩くような危険をおかし、愛を貫くというのは至難中の至難の技である。
お菊でなく、よほど世慣れた世渡り上手の女でも、この刃で身を損じることなく、果たして刃の上を渡りきったであろうか。
彼女の働きが露見したとき、町坪弾四朗に色目を使ってなびき、彼の想うがままの女になって助命を請うか、命をつなぐか、衣笠に恋の命を捧げて文字通り、命をなくすか、究極の選択である。
だが彼女の下した結論は後者であったのだ。それはまさに生死が掛かった究極の愛の選択であった。
好きで愛した男の密命の露見によって、命を失う所へ追い詰められた人間の心情は察して余りある。
彼女の話によれば、うらめしいのは彼女を死に追い詰め、折檻を繰り返して挙げ句の果ては刀によって命を奪い、古井戸に投げ込むその残忍さに対して復讐する怨念もさることながら、そのような恋と忠誠を尽くす運命を背負って生まれてきた自分の宿命に対しても恨めしいのであった。
なるほど生々しさがだいぶ飛んでいる。あく抜けしているのだ。
しかし彼女の語った物語の中ではそこの点だけは救われた感じがした。
それは彼女の許嫁、衣笠元信とのデートの模様である。
お菊の受けた密命には 文字通り命がかかっていた。そういう緊張感の中で交わした交情だ。
お菊がいうには、この快楽の中では死んでもよいと何回思ったことか。いやこの快楽を自分の好きな人によって与えられるのなら、二人といわずとも自分ひとりだけでも、この快楽のなかで死んでいきたい。もっと積極的に言えば殺してほしい。そんなことも味わったので、死ぬことは怖くはなかった。つらいのは今この快楽の中で殺されるのならそれは最高の女の喜びのひとつだ。命を懸けた恋であるから、こんな気持ちに成れる。明日の命の保証はなく後がない。今この一瞬の恋の喜びなのである。その味わいはこの世の誰にも負けないだろう。
この世には神がここまで快楽を与えたのが不思議くらいである。
とお菊は言うのだ。
「そうでしたか。そういう話を聞いて、僕自身が救われたような気がしました。この世の恨めしさの限りを尽くして、皿を数える極限の悲しげな声が心に刺さって悲話の最たるものとしてしか、お菊物語を受け止めていませんでした。
確かにこの世にはたくさんの不合理が存在して、その不条理のために何人の人があたら命を落としているか、考えようによっては人間というのは
不条理の中に生きて 不合理な理屈によって悲しい運命をたどる動物かもしれない。それは多かれ少なかれどの人にも降りかかるもので、死だけを問題にすれば、青山鉄山一味も次々に殺されているから似たようなものになります。もしこれがお菊さんと衣笠さんのロマン物語だったらどうでしょうか。おそらくそれはいかなるロマンであってもとうの昔にこのよから忘れ去られていることでしょう。人間って変なところがあって、自分がその当事者になるのは真っ平ごめんだが、他人がかぶる不幸や悲しみには特段の関心を寄せるものです。あなたは先ほど私に心が明るくなるような話を聞かせてくださったが、人間であればそういうこともあっただろうし、またあってもおかしくない話だと思います。
現代版では愛の極致をテーマにして愛の流刑地という本さえ出版されているくらいです。それをあなたは500年以上も昔に体験されたのですね。それは唯一明るい話で、心が和みます。流れる涙が途切れます。
それにこれはあなたには厳しく聞こえるかもしれないが、似たような不条理で、弱い立場の女性が殺傷されることは、珍しいことではないと想像されます。そういう出来事の中であなたがそのような女性の代表みたいなことで、歴代巷間に伝えられたものだと思います。当人にはまことに相すまぬ言い方になってしまいますが、戦国時代という切り取り合戦があちこちで行われていた時代には、女性は戦勝武将の慰みものみたいなところがあって現代の感覚では計り知れないほど人間扱いを受けていない。それを時代の所為だといっては失礼になるかもしれないがそうとしか言いようのない部分もあります。
話は変わりますが、あなたが明神様に遷化されてから、女性や水商売を守護なさるには何かわけがあるのでしょうか。」
僕は気に触ったことを言い過ぎたかなという反省を含めてそうたずねた。「特に理由などないが明神にはそれなりの働きが必要になります。
私は女性だから女性を守りたい。そして女性の本領を発揮して働くのは今も昔も水商売の女性です。女性は物腰がやわらかく、男に比べて愛想もよくささくれ立った人々の心を癒すのは愛嬌のある笑顔とお酒です。それでも表面とは裏腹に、この世界にこそ本質が隠されているのです。
そこには人には言い知れぬ悲しみが渦巻いています。誰にも打ち明けられない 女の不安や悲しみ、寂しさなどをここにおまいりになって私に打ち明けられます。私ほどむごい仕打ちを受けた人は多くはないにしても、守ってあげたい女性や助けてあげたい女性をまたその願いを何とかかなえて苦しみをとってあげたい。そういう一心です。この魂の世界に来て見ると人の心が手に取るようにわかるのです。生身を背負っていると、それに邪魔されて真実が見えません。だから心にもないことを言われて信じてしまったり、軽口に乗ってしまったりですが、この世界からは真実が見えます。神の座に祭り上げられた以上私は全力を尽くしてここにお参りになる方々をお守りするのです。今までもそうだったが、これからもここに社がある限り、私は守ります。
いかがですか。この辺で私のことも大体はお分かりになったようですから。元の社に帰ります。行く先に幸があるように祝福してお別れします。」
僕はお菊大明神になんとお礼を申し上げたらよいのやらわからなかったので、そのまま無言でお礼ももうさなかった。ただ目の前にある神殿に向かって合掌するのみだった。
悲しいことだが、この世に人間がいる限りこのような悲しい物語は絶えることがないだろう
時代がどんなに変わろうとも人間のやることにはあまり変わることはない。少なくとも人間性の進歩なんてものは1000年単位でしか変わらないのだろう。いやこれは進化論に反して改善はされないのではないか。ねたみ、そねみ、そしり、悪口 二枚舌、うそつき
真実と違う言葉。間違った見方、人間の弱点とされるものはおそらく未来永劫に変わらないのだろう。ということは世相がいかにに変わろうとも、反応体そのものが変わらないのだから、変わるはずがない。未来永劫に。
お菊の場合もそうである。真実とは違うことが喧伝され、それが正説として信じられていく
いつの間にか真理にまで高められていく。小説にでもなればその作者の思いがそのまま無批判に受け入れられて、まるで学説であるかのように、固まっていく。伝承物語というのはその時々によって塗り替えられることもしばしばあるし、それでよいのだ。
お菊の場合もそうである。これが「菊雄」になったら困るがそんなことはありそうもない。
古井戸もお城もお菊神社もこれから先ずっと続くことだろう。歴史的な事実が解き明かされることなく。いつの世にも変わらない人情というものの機微に触れて時代がいかに変わろうとも、これに触れる人々の紅涙を絞ることだろう。
というkとは様相は違うにせよいつの世にも起こりうることだから。
人の世というものは時代をこえて、いつも悲しみに満ちているからだ。
これだけは人間がいる限り変わりようがない。
お菊神社は姫路市の中心部にあり、十二社神社の神々とともに祀られている。境内には2つの神社があり、そのうちの一つが於菊神社である。
ここはお城から南南西約1kmほどの所にあって、市内中心部である。
国道二号線に沿面しているので、昼夜を問わず交通量が激しくて、騒音のやむときはない。
何百年かしらないけど、お菊さんもこんな所では気を静めて、おちおち眠ってもいられないだろうなという雰囲気である。
城内にあったお菊井戸を見学してきているから、それと比べて、ここは何となく明るい感じがする。
於菊神社の前は藤が植えられていて、花が咲く頃には見事だろうと思われた。神社の横には由緒書があり、それには次のような由緒がかかれていた。
それをここに引用すると、次のような物語である。
永正年間(つまり現在の姫路城が出来る前)、姫路城第9代城主小寺則職の家臣、青山鉄山が主家乗っ取りを企てていたが、これを衣笠元信なる忠臣が察知、自分の妾(許嫁)だったお菊という女性を鉄山の家の女中にし、鉄山の計略を探らせ、増位山の花見の席で毒殺しようとしていることを突き止め、その花見の席に切り込み、則職を救出、家島に隠れさせ再起を図る。
一度は、乗っ取りに成功した鉄山だが、家中に、密告者がいたとにらみ、家来の町坪弾四朗に調査するように命令した。程なく弾四朗は密告者がお菊であったことを突き止めた。
以前からお菊のことが好きだった弾四朗は自分の女になれといいよったがお菊は拒否した。
その態度に立腹した弾四朗は、お菊が管理していた10枚揃えないと意味のない家宝の毒消しの皿のうちの一枚をわざと隠して、お菊にその因縁を付け責任をとうて、とうとう責め殺して古井戸に死体を捨てた。以来その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える悲しげな声が聞こえたという。
やがて衣笠元信達小寺の家臣によって鉄山一味は討たれ、姫路城は無事、則職の元に返った。その後則職はお菊の事を聞き、その死を哀れみ、十二所神社の中にお菊を「お菊大明神」として祀ったと言い伝えられている。その後300年程経ってに城下に奇妙な形をした虫が大量発生し、人々はお菊が虫になって帰ってきたと言っていたといわれる。
これは小寺・青山の対立という史実を元に脚色された物と考えられている。そして、この話はバリエーションとして たとえば以下のような物もある:
お菊は衣笠元信なる忠臣の妾で、鉄山を討ったのは衣笠であったというもの。
お菊は船瀬三平なる忠臣の妻で、お菊の呪いが鉄山を滅ぼしたというもの。
お菊の最後の姿に似た「お菊虫」なる怪物によって鉄山が殺されたというもの。
なお各地に存在するお菊怪談の話は姫路市の十二所神社に伝わる「播州皿屋敷実録」が原型とされているらしい。
真偽のほどはともかくとして、いずれにせよ、このような事件があった可能性は高い。時代は戦国時代。実力のあるものが、自分が仕えた主人に対して下克上をしてでも、領国を奪いとるという殺伐とした戦国風景。現代から考えると随分人道や正義に反する無茶な話であるが、当時の世相を思い浮かべて、当時のこの城の中の雰囲気に思いをいたすと、まるで架空のでっち上げた話ではあるまい。そこには伝承通りかどうかは別にして、悲劇を思わせるような事件があったはずである。
これが巷に知れ渡るや、民衆の心に共鳴し、それを脚色再現した見せ物として江戸時代には歌舞伎や浄瑠璃の題材に取り上げられ、巷間の涙をしぼったのだろう。
そういうわけで、いろいろな脚色がなされているので、史実すらもはっきりしないし、何せこの事件が起こったと言われる時から、既に500年余りの歳月が経ってしまっている。今からでは真相究明もままならぬ事である。もしそれをやるというなら、お菊さんに直接聞いてみる他はない。
僕はできることなら何としても、真相を知りたいと思い、今は魂の世界に帰って霊的存在になっている伝説の人、お菊さんと心の中で会話することを試みた。
「お菊さん。ご存じのように伝説の話の真偽はもう、追求して調べるわけにはいきません。今から私が唱えるお経の功徳の力によって、どうかお姿を現して、それができなければお声だけでも聞かせてください。そして問答にお答え願えれば幸いです。なにとぞよろしくお願いします。」と祈った。そうしたら、不思議にも狛犬の前に作られた藤棚の葉が風もないのにざわざわ揺らめいた。そのざわめきの中から声らしきものが響いてきた。
「どちらのお方かは存じませぬが、私の事に関心をもってはるばる遠方からおいで下さったことに感謝します。根も葉もない噂が噂を呼んで、いろいろ語り継がれているようですが、今の私の気持ちからすると、どのように語られてもそれはそれでよいと思います。どの話も真実の部分もありそうでない部分もある。人々の願いもあるし、期待もある。だからどんな語り口でも結構ですが、私の世の去り方が尋常でないのは紛れもない真実です。私に関していろんな語りがあるようですが、どれもこれも私が謀られて自分の意志に反して殺された。そしてそれが怨念となってこの世になにがしかの発信をしたというのはまさに事実です。
巷間で語られている、皿を数える悲しげな女の声。
1マーイ、2マーイ、3マーイ、8マーイ、9マーイ、1枚足りない、うらめしや
そしてまた1マーイ、と数え始まる話は、この世に恨みを残して殺された女の怨念を表すには、適当な言葉だと思います。このセリフがあってこそ、人の共感をを呼び起こすのではないでしょうか。
私自身について言えば、どうしても叫ばなくては自分がどうにもならなかった苦しい胸の内を語らずして、また理不尽な出来事には我慢がならなかったのです。」
「そうでしょうとも。」
同情と言うよりは、共感した。
城を見学したけど、全体から受ける印象は外見の華麗な優美さとはちがって、内部は薄暗いところが多く、不気味な感じがした。
誰が名付けたのか知らないが、切腹櫓など血なまぐさい臭いのするようなところもある。
さらにお菊井戸の立て札を読むと、まさに怪談の世界に迷い込む。
青空と白亜の壁、黒の屋根瓦、白と黒のコントラストは遠目にみる城の華麗さと城の内側に漂う不気味さをいっそう際だたせる。
「改めてお尋ねするが、お勤めされていた時代のお城とはどんな感じだったのですか」
「今のお城を見て、私が勤めていた時代の城を想像することはおそらくできないでしょう。元々あの場所は姫山といって小高い丘に過ぎません。
頂上付近には刑部神社や称名寺があり、その一部が砦に毛の生えたようなお城がありました。女の私のことですから、時の政治向きや領内の政
りごとなど詳しくはありません。私の知識と言うのは、自分の知りうるごく狭い範囲に限られて居ますが、他に衣笠様の話を耳に挟んで、当時お仕えしていた殿様や執権様のご様子を知ることぐらいでした。
ただ確かにいえることは今の白鷺城とはとても似ていない貧弱なものであると言うことです。代表の天守閣は言うに及ばず、化粧櫓だの、長屋局だのそんなものは何もなかった。この付近はすべて雑木林でした。」
お菊の声は時に高くまた時には低い。それはきっと心の中の感情を表しているのだろう。
「そうでしょうね。今僕が見ている城は徳川家康の娘婿池田輝政が本格的に築城に乗り出してできたものらしいです。それから400年あまりの時を経て今の姿があるのです。それでもやはり世間では、姫路城を知らなくても播州更屋敷のおきく物語は知ってますよ。言い方を変えれば、国宝のお城よりはお菊さんの方が有名ですよ。」
「それはそれは。モット明るい話で皆さんに知っていただけるのなら私もうれしいのだけど、何しろ惨い死に方をしたもんで」
「では単刀直入にお伺いしますが、町坪弾四朗によって斬り殺され、井戸へ投げ入れられたという伝説は事実なのですか」
お菊はそれは事実だという。そのとき彼女の顔色は変わった。当時の感覚が生々しく蘇ってきたのかもしれない。
現代と違って女性の人権などないがひとしい時代だから、女性が生きる事は、男子の侍よりは難しかった。
お家騒動の渦の中に巻き込まれ、刃の先を裸足で歩くような危険をおかし、愛を貫くというのは至難中の至難の技である。
お菊でなく、よほど世慣れた世渡り上手の女でも、この刃で身を損じることなく、果たして刃の上を渡りきったであろうか。
彼女の働きが露見したとき、町坪弾四朗に色目を使ってなびき、彼の想うがままの女になって助命を請うか、命をつなぐか、衣笠に恋の命を捧げて文字通り、命をなくすか、究極の選択である。
だが彼女の下した結論は後者であったのだ。それはまさに生死が掛かった究極の愛の選択であった。
好きで愛した男の密命の露見によって、命を失う所へ追い詰められた人間の心情は察して余りある。
彼女の話によれば、うらめしいのは彼女を死に追い詰め、折檻を繰り返して挙げ句の果ては刀によって命を奪い、古井戸に投げ込むその残忍さに対して復讐する怨念もさることながら、そのような恋と忠誠を尽くす運命を背負って生まれてきた自分の宿命に対しても恨めしいのであった。
なるほど生々しさがだいぶ飛んでいる。あく抜けしているのだ。
しかし彼女の語った物語の中ではそこの点だけは救われた感じがした。
それは彼女の許嫁、衣笠元信とのデートの模様である。
お菊の受けた密命には 文字通り命がかかっていた。そういう緊張感の中で交わした交情だ。
お菊がいうには、この快楽の中では死んでもよいと何回思ったことか。いやこの快楽を自分の好きな人によって与えられるのなら、二人といわずとも自分ひとりだけでも、この快楽のなかで死んでいきたい。もっと積極的に言えば殺してほしい。そんなことも味わったので、死ぬことは怖くはなかった。つらいのは今この快楽の中で殺されるのならそれは最高の女の喜びのひとつだ。命を懸けた恋であるから、こんな気持ちに成れる。明日の命の保証はなく後がない。今この一瞬の恋の喜びなのである。その味わいはこの世の誰にも負けないだろう。
この世には神がここまで快楽を与えたのが不思議くらいである。
とお菊は言うのだ。
「そうでしたか。そういう話を聞いて、僕自身が救われたような気がしました。この世の恨めしさの限りを尽くして、皿を数える極限の悲しげな声が心に刺さって悲話の最たるものとしてしか、お菊物語を受け止めていませんでした。
確かにこの世にはたくさんの不合理が存在して、その不条理のために何人の人があたら命を落としているか、考えようによっては人間というのは
不条理の中に生きて 不合理な理屈によって悲しい運命をたどる動物かもしれない。それは多かれ少なかれどの人にも降りかかるもので、死だけを問題にすれば、青山鉄山一味も次々に殺されているから似たようなものになります。もしこれがお菊さんと衣笠さんのロマン物語だったらどうでしょうか。おそらくそれはいかなるロマンであってもとうの昔にこのよから忘れ去られていることでしょう。人間って変なところがあって、自分がその当事者になるのは真っ平ごめんだが、他人がかぶる不幸や悲しみには特段の関心を寄せるものです。あなたは先ほど私に心が明るくなるような話を聞かせてくださったが、人間であればそういうこともあっただろうし、またあってもおかしくない話だと思います。
現代版では愛の極致をテーマにして愛の流刑地という本さえ出版されているくらいです。それをあなたは500年以上も昔に体験されたのですね。それは唯一明るい話で、心が和みます。流れる涙が途切れます。
それにこれはあなたには厳しく聞こえるかもしれないが、似たような不条理で、弱い立場の女性が殺傷されることは、珍しいことではないと想像されます。そういう出来事の中であなたがそのような女性の代表みたいなことで、歴代巷間に伝えられたものだと思います。当人にはまことに相すまぬ言い方になってしまいますが、戦国時代という切り取り合戦があちこちで行われていた時代には、女性は戦勝武将の慰みものみたいなところがあって現代の感覚では計り知れないほど人間扱いを受けていない。それを時代の所為だといっては失礼になるかもしれないがそうとしか言いようのない部分もあります。
話は変わりますが、あなたが明神様に遷化されてから、女性や水商売を守護なさるには何かわけがあるのでしょうか。」
僕は気に触ったことを言い過ぎたかなという反省を含めてそうたずねた。「特に理由などないが明神にはそれなりの働きが必要になります。
私は女性だから女性を守りたい。そして女性の本領を発揮して働くのは今も昔も水商売の女性です。女性は物腰がやわらかく、男に比べて愛想もよくささくれ立った人々の心を癒すのは愛嬌のある笑顔とお酒です。それでも表面とは裏腹に、この世界にこそ本質が隠されているのです。
そこには人には言い知れぬ悲しみが渦巻いています。誰にも打ち明けられない 女の不安や悲しみ、寂しさなどをここにおまいりになって私に打ち明けられます。私ほどむごい仕打ちを受けた人は多くはないにしても、守ってあげたい女性や助けてあげたい女性をまたその願いを何とかかなえて苦しみをとってあげたい。そういう一心です。この魂の世界に来て見ると人の心が手に取るようにわかるのです。生身を背負っていると、それに邪魔されて真実が見えません。だから心にもないことを言われて信じてしまったり、軽口に乗ってしまったりですが、この世界からは真実が見えます。神の座に祭り上げられた以上私は全力を尽くしてここにお参りになる方々をお守りするのです。今までもそうだったが、これからもここに社がある限り、私は守ります。
いかがですか。この辺で私のことも大体はお分かりになったようですから。元の社に帰ります。行く先に幸があるように祝福してお別れします。」
僕はお菊大明神になんとお礼を申し上げたらよいのやらわからなかったので、そのまま無言でお礼ももうさなかった。ただ目の前にある神殿に向かって合掌するのみだった。
悲しいことだが、この世に人間がいる限りこのような悲しい物語は絶えることがないだろう
時代がどんなに変わろうとも人間のやることにはあまり変わることはない。少なくとも人間性の進歩なんてものは1000年単位でしか変わらないのだろう。いやこれは進化論に反して改善はされないのではないか。ねたみ、そねみ、そしり、悪口 二枚舌、うそつき
真実と違う言葉。間違った見方、人間の弱点とされるものはおそらく未来永劫に変わらないのだろう。ということは世相がいかにに変わろうとも、反応体そのものが変わらないのだから、変わるはずがない。未来永劫に。
お菊の場合もそうである。真実とは違うことが喧伝され、それが正説として信じられていく
いつの間にか真理にまで高められていく。小説にでもなればその作者の思いがそのまま無批判に受け入れられて、まるで学説であるかのように、固まっていく。伝承物語というのはその時々によって塗り替えられることもしばしばあるし、それでよいのだ。
お菊の場合もそうである。これが「菊雄」になったら困るがそんなことはありそうもない。
古井戸もお城もお菊神社もこれから先ずっと続くことだろう。歴史的な事実が解き明かされることなく。いつの世にも変わらない人情というものの機微に触れて時代がいかに変わろうとも、これに触れる人々の紅涙を絞ることだろう。
というkとは様相は違うにせよいつの世にも起こりうることだから。
人の世というものは時代をこえて、いつも悲しみに満ちているからだ。
これだけは人間がいる限り変わりようがない。