日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

穴場はどこだ

2008年04月20日 | Weblog
毎年のことではあるが、相変わらず、初詣は大勢の人出だ。初詣が多い神社を見ると、いつものように、明治神宮の355万人を筆頭に、川崎大師が317万。住吉大社が283万。ラストが、京都の伏見稲荷で、223万人。

全国では、7742万人の人々が初詣に行ったと新聞、テレビが報じている。それでも去年に比べて、216万人減ったそうである。理由は、
3ケ日に降った雨のせいみたいである。

いったい何を求めて、こんなに大勢の人々が、初詣に出かけるのだろうか。生まれてこのかた、こうすることが、慣習となって、ただ何となく出かけるのか、。それとも御利益を求めて初詣するのか。
人々は、濃淡の違いこそあれ、現世利益を求めて初詣するのだと私は推測している。
現世利益。あの世ではなく、今生きて生活しているこの世で、御利益を授かり、日々の生活を安穏なものにするということは、人々共通の願いである。私も人後に落ちず、1日から3日までの間に、現世利益を求めて何カ所かに初詣に行った。

 我が国には、神無月というのがある。その神無月には、神さま方は、みな、出雲に集まり、全国の神社は空っぽになる。この時ばかりは
出雲は別にして、全国津々浦々どこの神社に参っても、御利益はなさそうだ。ご当人の神様がお留守だからである。

ところで、私は近頃とみに出雲に集まる神々の会議の様子が知りたくなった。というのは、会議の内容を知ってこれにうまく、対応すれば、御利益がたくさんもらえるような気がしてきたからである。つまり、穴場を知りたいのである。

推測するに会議のメインテーマは民衆の欲望に、どうこたえていくか。如何に満たしていくか。その辺のことだろうと思われる。
そしてこのテーマに関しての役割分担を決め、御利益の配分の仕方について、いかに万人に公平に、行き渡ら出せるか、について協議されているように思われる。
 
と言うのは、人々の初詣を見れば分かるように、人間の神さん詣では、現世利益が中心だからである。神様としても、これを無視するわけにはいかない。人々の要求にこたえていかなければ、誰も初詣にこなくなるからである。

つまり、人々の素朴な願いを無視すると、人気が落ち、神社の存立そのものが、危なくなるからである。無限に近いと思われるう御利益を袋に一杯つめておられる神様でも、対応を誤ると、人気にかかわってくるから気を使われることおびただしい。


私は先ほど出雲に、集まる神々たちの会議の様子を知りたいと書いた。じつをいうと、この欲望はは抽象的な願望をいうのではなく、もう少し現実味を帯びたものなのである。すなわちテープレコーダーを使って、神々の話を盗聴して、記録しておきたいのである。

どの神がどれだけの御利益の詰まった福袋を持っておられるのか、
どこの神社に参れば、余計に福がもらえるのか、もし平等に福が詰まっていると言うのなら、あまり大勢人がお参りする神社を避けた方が良い。また逆に、お参りは少ないが、福袋の中身はぎっしりという。

つまり一人当たりにすると福の配分が多い神社ならば、それこそ、穴場だし。それなりの目見当をつけるために、いろいろ予備知識として頭の中にインプットしておきたいのである。それに加えて人々が実感している御利益話しにも、聞き耳を立てて情報を整理してみて、穴場をあらかじめ推定しておくと、たとえ、どこの神社に参るにしても、心構えが違うから、人より余計に福をもらえる確率が群を抜いて高くなると計算しているのである。


例年通り、我が家も家族全員、初もうでに行った。誰がどういう福を頼んだが、そんなことは知らないが、私が手を合わせてね一生懸命に御利益を頼んでいる最中に、神が現れて次のようなことを申された。
 「いつものことながら、欲を道連れに初詣に来たのだな。それはそれで良い。今年も、それなりの福は、授けてやろう。だが、お前は自分の足元をじっくり見たら、神のすばらしいプレゼントに気づくだろう。
お前をこの日本に生まれさせたのは、ほかならぬ神のなせる業なのだ。いま日本で何か困ったことが起きているか。何もないだろうが。
国民はウサギ小屋に住んでいても、経済は世界1で、治安も医療水準も世界の中でもトップレベル。この後半の半世紀には国民が互いに殺し合う戦争も一切なかった。平和そのものの社会じゃないか。しかもその平和を背景にして、国民生活は中流意識に彩られて、ほかのどの国よりも暮らしやすい国であろうが。神がお前ら人間特に日本人にこたえている最大の御利益とは、人生が大過なく過ごせるような平和を与えていることだ。そのことに目をつぶって、自分の目先だけの御利益を願うと言うのは、ある意味では神に対する侮辱だとおもわないか。

特にお前は、こすずるく福袋の中身さえも探ろうとして、テープレコーダーで神々の会議の様子を盗聴しようとしているではないか。熱心なのはそれは、それでよい。しかし、行き過ぎたのは困る。己の限度というものをわきまえて、神と付き合うというのが、人間と神の正しいあり方ではないか。これは決してお前に説教しているわけではない。神と人間の関係のあり方の常識を申しているだけである。そこのところをよく理解して、その上に立って、盗聴するのは、まあまあだがねぇ」

神様は以上のようなことを話された。目を覚まして考えてみると、神様の言われる通りである。

それを超えて己一人の現世利益を願うのは、やはり厚かましいというほかはない。言われるまでもなく、やはり自分でも、これは行き過ぎたと、思わざるを得なかった。
先ほどまで、あれほど盗聴したいと、思っていた気分は、神様のこの一言によって、どこかへ引っ込んでしまった。

穴場、それは、神の福袋の中身分配の事ではなく、実際に足元に、転がっている神の恵みを知るということ。それが現実の穴場であると、僕は考えた。盗聴など不遜なことを事を考えはしたが、これでひとつかしこくなったような気がした。

深いポケット

2008年04月20日 | Weblog

 雨季と言ってもバンコクの雨は1、2時間、土砂降りになるが、後はからりとはれる男性的な雨が多い。なのに、今日はどうしたことか、朝から霧雨のようなのがしとしと降っている。
 傘を差すほどでもないと思い、そぼふる雨の中を一人で、沢山の車が行き交うニュロードを西に向かって歩いていた。
 
ニュロードはいつものように混雑していて、走りゆく車の騒音と排気ガスが多く、僕はタオルをマスクの代わりにして口に当ててゆっくり歩いていた。その時、反対車線のほうで、タクシーの窓を開けて、女が何か叫んでいるのが聞こえたが、このバンコクで知り合いがあるわけてなく、何も思いあたる事がないので、聞くともなく通りすごした。窓から体を乗り出している女は必死で、こちらをみながら、なにか叫んでいるが、元々言葉が全然わからないので、僕は無視したような顔をしていた。

反応を示さない僕に諦めたのか、タクシーは僕の進行方向とは反対の方に走り出した。
僕はこのことを気にもとめず、今来た道を歩きだした。あがったり、降ったりしている雨は小ぶりから、ちょっときつく降り出した。そうはいっても、雨宿りしなくてならないほどの降りでもなかった。
 
 なんの前ぶりもなく突然、タクシーが僕のそばに横付けされた。びっくりして覗いてみると、先ほど大声でわめいていた女が窓を開けてまた何か叫んでいる。
 一体誰に向かってものを言っているのか、僕は立ち止まってあたりを見回したが、見あたるものは何もない。そこで女のほうをみた。
 
言葉では通じないと思ったのか、この女は、今度は身ぶりを交え、僕の方を指さして、しかも英語で話し掛けてきた。よくみるとヨーロッパ人ではない、勿論タイ人でもない。皮膚の色からすると東南アジア系である。大柄ではなく、どちらかと言えば小柄で肌色は小麦色だ。マレーシア?、シンガポール?、どうもこの辺からやってきたらしい。
 
ドアをあけるなり、彼女は英語で書かれたバンコックの市内地図を広げた。左手には500バーツ札を握っている。早口で言ったことを要約すると、こういうことになる。
 私は生まれて初めて今香港からこの町にやってきたので、町のことがからっきし判らない。空港でタクシーを捕まえたが、運転手は英語が分からないから、今何処を走っているかも判らい。 空港からは、もうかれこれ1時間も乗っているけど、ホテルにも行けない。どこかこの近くで良いホテルがないか。あったら案内して欲しい。とにかく英語が通じないと話にならない。

そこであなたに聞くが、英語の通じるホテルを教えて欲しい。
この運転手では言葉が通じないから、何を言ってもダメだめで、この車に乗って一緒にいってくれないか、ということであった。

僕は一旅行者で、バンコックはよく知らない。だから何処のホテルがいいかは全く判らない。適当に大きなホテルに飛び込んで、英語で話してみたらどうだろう、とアドバイスを残して、歩き出した。雨はかなり激しく降り出した。
 
しばらくすると、タクシーは追いかけてきて、また僕の横に止まった。これ以上聞きたくはないから、誰か他の人に聞いてくれ、そんな思いから、僕は相手にせず無視して歩き出した。

ところが今度は彼女はタクシーから降りてきて、僕を無理やりタクシ・ l[のそばまでつれていき、
「助けると思って一緒に、行ってくれ」と言って手を合わせた。左手に握った500バーツ札を示しながら、タクシー代は私が払うので、とにかく乗ってくれと、強引にタクシの中へ僕を引きずり込んだ。
 タクシーのメーターをみると390バーツをさしている。確かに空港からここまで、迷いに迷ってやってきたのだろう。昼間だったら空港からこの辺りまでは150バーツもあれば十分来れる料金だから、それをはるかに越えている。
僕はおなじく外人として、何かよいアドバイスが出来ないのもかと、頭の中で考えを巡らせた。


 道端とはいえ、交通量の激しいこの通りで車を駐車させておくことは迷惑な事であった。後ろがつかえた車は先ほどから幾度と無くクラクションをならしている。女は走ってくれと身ぶりで運転手を促した。車はのろのろと走り出した。後ろの座席に女と僕は座っていたが、何を思ったのか、女は急に服の上から僕の体を触りだした。彼女はシンガポールから来たマッサージ師だと言った。
 ははーん。僕に案内してもらったお礼としてマッサージでもしてやろうというのか、成る程。そうだったのか。僕はそれなりに納得したが、その反面、その時何かおかしいとは思った。

最初は香港から来たと言ったように思う。いや確かにそう言った。しかしいまシンガポールのマッサージ師だという。
しかも、待てよ。マッサージとは言いながら、どうもズボンのポケットのあたりに手が伸びてくる。僕はマッサージするなら、肩が凝っているから肩をしっかりもんでくれと要望した。

それにたいして彼女は全く答えることなく、必死になって、僕の金の在処を探しているかのようだ。
 これはひょっとしたらスリじゃないか。マッサージにかこつけて、財布からすろうとしているのではないか。

急に僕は正気にかえった。先ほどからマッサージぶりをみていると、まず左ケットあたりを盛んにさわっていた。それが済んだらさりげなく、今度は右ポケットあたりをさわってきた。しかし彼女の手は僕の財布にはとどかなかった。というのは右ポケットは用心の為に深くしてあって、簡単に手をつっこめないように改良してある。



 ポケットが浅いとスリにあう確率が高いので、自己防衛のために特別にふかくしてあるのだ。恐らく右ポケットには何も入れていないと判断したのだろう。その時財布は足の関節付近まで降りていて、通常の位置には無かったのだ。さらに腹に巻いているパスポートやら、現金の方へ指をはわしている。

こいつはひどい奴だ。道案内を頼む振りして、車の中に引きずり込み、身体検査よろしく体を触り回って財布や、ポケットにある金目のものをすろうとしているのではないか。僕は目がさめた気分になった。

なおもあちこちさわりまくっている女に対して、僕は「俺の体に触れるな。」
と大きな声を出した。
「俺の体にさわるな。もうマッサージはいい。俺はここで降りる。車を止めろ。」
彼女は何を感じたのか、今度はマッサージ、マッサージと叫びながらは腹巻きの中に、手をつっこみそうな気配である。僕は思いっきりその手をはらった。そして小柄な女の体を反対側のドアに向けて突き飛ばした。それから日本語で
「この野郎。人の親切心につけ込んでスリをやろうとしているのか。ばかもん。どつくぞ。
手を引っ込めろ。体にさわるな。今度さわったらなぐるぞ。」
 恥も外聞も無く僕は大声で怒鳴り、女をにらみつけた。

車内でのトラブルだが、何せ僕も大声で怒鳴りつけたものだから、運転手もこちらを見ている。僕は運転手にドアをあけるように言って、身ぶりでその仕草をした。運転手はドアをあけた。僕はすぐさま飛び降りた。やがて車はさまようにふらふらと走り出した。女は窓越しに鬼のような面をして僕をにらめつけていた。
 
 考えてみると奇妙なことである。日本人の感覚からすると、空港ではいくらでもホテルを調べることが出来るし、運転手にホテルと言っただけで、どこか大きなホテルにつれて行くに違いない。タイ語では何というか知らないが、ホテルは世界共通語になっている。ましてや、運転手をやっていてホテルを知らない人はいない。知らなければタクシーの運ちゃんはつとまりっこない。

だからあの女はタクシーを乗り回しながら、カモを探していたのだ。ニュロードへさしかかったときに、独り者の男が傘も差さずにふらふら歩いているのが目に留まり、カモにしょうとしたが失敗した、というストーリーが真実であるような気がした。         
「へえ、俺がカモに、」。これはやばいところだった。
 実は僕はこのときヨーロッパ行きの航空券を買うためにかなりの現金を持っていたのだ。幸いこの金は右側の深いポケットの一番奥に入れてあったから、あの泥棒女も手に触れることなく、僕をみなり同様の貧乏人と思ってあの程度のことしか、しなかったのだろう。
 はっはっはー。これは俺の勝ちだ。それにしてもポケットを深くしておいてよかった。

あの歳格好からすると、とうに40歳はすぎていように。本人の責任とはいえ、なんとかわいそうな人生なんだ、僕は被害に遭わなかった安心感からか、あの女に同情すら寄せる余裕があった。
 
財布をすられたら一大事である。すられないように気をつけることは勿論であるが、人間の注意力には限度がある。そこで僕は知恵をしぼって出来るだけ、とられにくくするという工夫をした。

ズボンのポケットの深さを普通の倍以上の深さにした。これだと余程中に手をつっこまないと、中のものを取り出すことは出来ない。腕をまるっぽつっこまないと財布を引き出すことは出来ないのである。

今回のこの件でも、彼女は通常のポケットの位置をさわりまくったが、ついぞ財布の存在に付いては、わからなかったようだった。ズボンの上から手を回して右ひだりのポケット付近を盛んにさわっていたが、財布のあるところまで指は伸びていなかった。

もしこれを知恵比べと言うのなら僕の完勝だ。
 ざまあみろ、お前ほど頭は悪くないよ。しっかり考えて旅をしているんだ。日本を一歩でりゃろくな人間が待ってやしない。だから生活の知恵として、事故防止に予防に予防を重ねているんだ。お前クラスにそう易々やられてたまるもんか。僕は思わぬ事件に遭遇して、こんな勝ち誇ったような気分になった。

雨は少し小降りになってきた。
  
ところで今回は僕は被害が無かったけど、あの手口からみると、どこかで、いつかきっと又やる。油断した誰かが被害にあう。僕は警察に届けたものがどうか考えた。しかし事の顛末を英語で、いやタイ語で説明しなければならないだろうから、とても警察に行く気にはなれなかった。後になって考えたことはこんな事だった。