日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

縁・ えにし

2008年04月21日 | Weblog
縁・ えにし


どこで手に入れたのか、まったくわからないのに、クリーム色のこの紙に書かれた「奈良の大仏さん」という詞は東大寺長老・清水公照師の御作であるとすぐわかる。字の形が先生そのものを表していいるからだ。すばやく眼を走らせた。私の胸はあつくなり、たかなった。

詞の字数や形式からすると、これは曲がつくことを前提に作詞されたものである。
よーし。作曲してみよう。
どうせ、誰かが作曲してはいるだろうが、良い詞に、何人もの作曲家が、それぞれの趣の曲をつける例はいくらでもある。
 厚かましくも私はこの詞を作曲して、テープに収め、東大寺の塔頭・宝厳院の主人、清水公照師を訪ねた。

 師は快く、付曲を許可してくださり、師の著書「泥ドロ仏」をくださった。そして、「今日は急ぐので、この次にサインしてあげよう」。という言葉を残して、車上の人となられた。

 届けたものの、前回のテープで、満足できない私は、早速の録音のやり直しをした。テープができあがったのが夜の7時。
「できました」。と電話したら、「12時まで起きているから、いらっしゃい。と師の声。
 めったに会えない人に会えるのだから、と、女房をせきたてて、車に乗せ、西名阪国道をひとっ走り。
家を8時にでて、9時過ぎには、もう師の前に女房と二人でチョコンと座っていた。

 周りをぐるりと人々に、取り囲まれながら、師はたっぷり墨をつけた大きな筆を紙の上に滑らせて、心の中の思いを、思いのままに残されていく。周りの人々と、にこやかに話をかわしながら、精神・ご自身の心を紙の上にしたためていかれる。
それを見ていると、その昔、聖徳太子が一時に10人の話を聞き分けたという伝説が真実のように思われた。
 
現に師は気安く言葉をかわしながら、一心不安に、異次元の墨跡作りに、精を出しておられるではないか。作品はみるみるうちに出来上がっていく。わずかに2,3時間の間に10幅はは下らないだろう。

絵がかけ、書ができ、随筆がかけ、陶芸でき、俳句や短歌はお手のもの。師の心は真っ赤に燃える創造のマグマ。
それが、絵となり、書になり、エッセイとなり、あどけない泥ドロ仏となって、床の間を飾る。

 そんな多才な先生と、私はふとしたことから、ご縁をいただいた。師の書物にはこんなフレーズがある。
「縁に従い、縁を追い、ふとしたご縁は、またしても、エニシを広げていく」。実感実感。