日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

滋賀のさざ波

2008年04月15日 | Weblog
 
ある秋の季節、西国三十三箇所観音霊場巡りに行った。行き先は滋賀県にある3つの霊場である。13番石山寺のお詣りを済ませて31番、32番長命寺、観音正寺へ向かった。

新幹線が無かった時分、東海道線で大阪から東京へ向かう列車は、大津を出てから米原に着くまで、近江路は長い退屈な時間であった。西の方角には比叡の峯が輝き所どころでは、琵琶湖が顔を出すとはいうものの、車窓から見える風景は僕にとって単調だった。

それから何十年か経って、国道8号線を北上して、安土町や近江八幡市にある観音霊場を訪ねたのだが、今回は車でいったので、列車から見る風景とは違っていた。何故だか知らないが、近江商人の3方良しの哲学が頭にひらめいて、それが何回となく頭の中でぐるぐるまわった。

観音正寺は山の頂にある。麓から一段ずつ登るとなると、途中で、ばてていたかも知れない。上醍醐寺ほど高いとは思わなかったが、石段は500段以上を数えなければ、本堂にたどり着けない風情である。

幸い車であるし、8合目くらいまで登れる。それでも次の長命寺には5時前には到着しないと、納経帳に朱印は貰えない。般若心経を一巻唱えただけで、そそくさと下山した。

長命寺についたら4時45分。閉門まで残り15分しかない。まず納経所へ走った。集印を済ませば、後は本堂の扉が閉まっても、何の差し障りもない。ゆっくり般若心経と延命十句観音経を唱えおえて、湖岸道路へ出た。

秋の太陽はつるべ落しである。琵琶湖の西に見える比叡の山並みは黒くなっている。よく晴れた秋空はあかね色に輝き、それと反比例するかのように、山並みの麓に広がる、人家の火影が小さくチラチラと輝いて見える。

このようなシーンを人工的には作り出すことが出来るだろうか。これこそ天然の美である。時として人の言葉を超越するようなシーンを造物主は人にお与えになる。

僕は道ばたに車を止めて、忘我の一時を過ごした。
滋賀県に住む人達は幸せだなとつくづく思った。タイミングを選びさえすれば、
素晴らしい風景が楽しめる。

平和で、のどかで、湖岸を渡る風に吹かれて、こんなにも心が癒やされる。人工的に造形された美も、確かに心を慰め気持ちを和らげてくれるが、今僕が見ている琵琶湖と、比叡のお山と、その麓に灯火となって湖面に映える大津の街は、この上ない穏やか気分に僕を誘ってくれた。

それは母の背中に負われて聞いた、懐かしい子守歌を連想させた。懐かしさ、それは心のふるさとに通じている。心が和むはずである。

僕は我に返って、大津の街の風景を思い浮かべた。
堅田の里の浮き御堂、皇子山、三井寺の晩鐘、琵琶湖の水の美しさ、山風に乗って聞こえる懐かしい歌。琵琶湖就航歌、その昔憧れたお下げ髪、近江八景、等々。

キーワードは際限なく頭を横切る。僕は今ひらめいている、諸々の想いや感情をアトランダムにメモにとった。そうやって、この得も言えぬシーンと、そこからわき上がる感興の痕跡を、しっかりとどめ置いた。
それらを並べて整理してみるとそこには、感情の流れが整理されていた。つまり詞となって形を整えていたのである。

偶然だがこのような、安らいだ想いと癒やされた心から、この詞は出来たのである。

詞さへ出来れば、作曲はお手のものであるから、あのときの気持ちに添うように、メロデイをつけた。

この作品、「滋賀のさざ波」 はこういう状況の中から生まれた作品である。
コーラスで歌うも良し、ギターで好きなように、コードをつけ、リズムを切って歌うも良し。

そして願わくば、僕が味わったあの素晴らしい琵琶湖の夕暮れの1コマを思い浮かべて、人生の安らぎを得てほしい。人々の心に届いてほしいと言うことである。





         滋賀のさざ波         作詞作曲 武田圭史
              編曲歌唱 新井久美子

1,匂いもやさしい ふるさとの
  滋賀のさざ波  漕ぎ行けば
  瀬田の唐橋   懐かしく
  ああ  琵琶湖の 水の青さよ

風のハミング  聞こえますか
 青春(ハル)の歌声 聞こえますか
 ミミを済ませば聞こえてくる
 なつかしいふるさとの唄

2,皇子山の   いただきに
ささやく風を  訪ねゆけば
あの日の姿   そのままに
ああ 思い出す あなたの面影

あの人の唄 聞こえますか
愛の歌声  きこえますか
  後振り向けば かけてくる
  優しいふるさとの人

3,堅田の里の  浮き御堂
  鈴を鳴らして 手を合わせ
幸多かれと  祈れば
ああ  浮かび来る  観音浄土

三井寺(テラ)の鐘の音 聞こえますか
幸の歌声    聞こえますか
目を閉じれば  胸に浮かぶ
美しい     大津の街
  なつかしい   ふるさとの街