手に入れて反対に失った。
富と名声には誰しも憧れる。そう両方を手にいれた人は、どれほど、満足のいく人生かと思うと実際には必ずしも、さにあらず。
森繁の自伝によると、無名の頃の自分が懐かしいとしみじみ語る。今は指名手配されているがごとく、全国どこへ行っても、森繁は知られている。そのために立小便も自由に出来ない
富と名声は得たかもしれないが、反対に1番大切な自由を失った。目に見えない鎖でつながれているようなものだ。と彼は言う。
しかし、山の頂上を征服した人でなければ、その素晴、は判らない。山にあこがれている人は、その山の登山に成功した人の話を聞いて、素晴らしさを味わい。つまらんなさも実感できるのだろうが、人はみな、そのよさも悪さも自ら体験しない限り実感はできないものである。
従って、森繁氏のこの実感で私は富と、名声に憧れる自分の夢を放棄して、無名の今が1人生最高の幸せだと思えるか。実感できるか。答えはノーである。
大学を出てない人に大学なんて、つまらん。高卒でもできる人はできる。と口を酸っぱくして、いっても、大学生活を経験のない高卒者しの耳には、この実感は、まやかしで、あるいは慰めとしてしか響かない。
人はみな夢を見る。その夢が実現されたとしても、結局はむなしいことも多いが、彼はその夢に、命を預けて、美しい彩りを添えるものである。
そしてもしこれが名実ともに分かるようになったら、お迎えがやってくる。
富と名声には誰しも憧れる。そう両方を手にいれた人は、どれほど、満足のいく人生かと思うと実際には必ずしも、さにあらず。
森繁の自伝によると、無名の頃の自分が懐かしいとしみじみ語る。今は指名手配されているがごとく、全国どこへ行っても、森繁は知られている。そのために立小便も自由に出来ない
富と名声は得たかもしれないが、反対に1番大切な自由を失った。目に見えない鎖でつながれているようなものだ。と彼は言う。
しかし、山の頂上を征服した人でなければ、その素晴、は判らない。山にあこがれている人は、その山の登山に成功した人の話を聞いて、素晴らしさを味わい。つまらんなさも実感できるのだろうが、人はみな、そのよさも悪さも自ら体験しない限り実感はできないものである。
従って、森繁氏のこの実感で私は富と、名声に憧れる自分の夢を放棄して、無名の今が1人生最高の幸せだと思えるか。実感できるか。答えはノーである。
大学を出てない人に大学なんて、つまらん。高卒でもできる人はできる。と口を酸っぱくして、いっても、大学生活を経験のない高卒者しの耳には、この実感は、まやかしで、あるいは慰めとしてしか響かない。
人はみな夢を見る。その夢が実現されたとしても、結局はむなしいことも多いが、彼はその夢に、命を預けて、美しい彩りを添えるものである。
そしてもしこれが名実ともに分かるようになったら、お迎えがやってくる。