日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

入れ墨7-16

2012年06月06日 | Weblog
入れ墨

城崎温泉での出来事である。外湯であるためにおそらく近在の人だろうと思うが、背中全面に入れ墨をした老人に出逢った。

湯舟につかろうとしたとき、一人の老人が入ってきた。入り口の扉は開いたままである。
「扉ぐらい閉めればよいのに。湿気が脱衣場に行くじゃないか。」
 僕はこの老人の非常識に腹が立ったが、口には出さないで、言葉をのみ込んだ。
 タオルを肩から掛けてはいたが、ものの見事な入れ墨である。守護神なんだろうか、観音様か弁天様の女神像である。背中に肩から太もも近くまで、びっしり墨が入っている。青や赤ははっきり識別できるが、もうだいぶ昔に彫ったものと見えて、色にはもやがかかっていたし、第一皮膚が精気を失ってたるみが生じているので、アウトラインを見るのが精いっぱいだった。こんな大きな入れ墨を入れる時は、
どんなにか痛かったろうに。そして金もかかつたろうに。僕は余計なことながら気になった。

老人は入れ墨を入れた当時の威勢や、元気はなく、完全に老人の域に達していた。若気の至りか、人を脅す商売道具だったのかはしらないが、この人の人生や生き方が想像できた。もし我々のような普通の生活を望んでいる人だったら、たぶん今ごろは後悔しているはずだ。
 彼にも子や孫がいるだろう。彼はこの彫り物を何と説明するのだろうか。

 日本社会では全身に入れ墨というのは良いようには思われない。通常の庶民生活からドロップアウトした、アウトローのメンバーと判断される。それが果して、子孫にどんな影響を及ぼしているのか。反面教師として役立つことはあっても、それも子孫に対する大きな教育力にはなるまい。
 ということは若気の至りであろうと、何であろうと、結局は自分の人生に負の十字架を背負ったということになる。

彼は僕を無視したように、黙ってボデーソープとシャンプーを慣れた手つきで使って、体や頭を洗い、湯舟に適当に体をつけて温めて、それからかかリ湯を浴びて、出て行った。
うしろ影が寂しそうに見えたのは、僕の感情が投影されていたからだろうか。それとも真実、彼はうしろ影通りの姿だったんだろうか。

大阪市役所職員の中に入れ墨をしている人が、働いているらしい。
入れ墨をした人を一般市民がまっとうな公務員と見るだろうか。

アウトロー。 それも人を威圧的に脅すような感じを与えるのに利用されてきたのが入れ墨の歴史で、決して芸術作品だとは思えない。
 墨を入れるのは悪趣味で無言の内に、威圧感を与えるのが目的と言えるだろう。そういう人が市の職員の中にいたというのでは、彼に接する市民に良い感情が与えるはずが無い。
市長の言うように公務員を辞めてそれが許される職場へ遷ったらどうだ。是は人権の問題では無い。常識の問題である。税金で入れ墨をする様なマインドを持った人を雇っておくこと自体が非常識だ。