日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

戯れ言は慎み給え

2012年06月10日 | Weblog
戯れ言は慎み給え
 
首相官邸による現場への「過剰介入」で命令系統が混乱したとされたことには「官邸が直接関与したのは異例だが、東電も原子力安全・保安院も想定していなかった過酷事故が起き、官邸がそうせざるを得なかったのが現実だ」と説明。「原子炉への注水も東電単独では実行できず、自衛隊などに官邸が出動を要請した。保安院が機能しない中、直接対応せざるを得なかったと今でも考えている」と主張した。
僕は菅さんの言うことが正解だとおもう。
保安院や安全委員会、それに東電の対応を見ていると想像が付くと思う。総理として菅さんのなりふりかまわずこそ、ある種の力になったわけで、保安院や安全委員会がどんなに頼りない存在か。考えて見れば、加えて東電の態度。
だれだって業を煮やすのでは無いか。撤退云々は絶対に東電は口に出してはいけない禁句のハズ。しかしあの東電の体質から察するに少なくともそれに近い言葉のやりとりはあったはずだ。頼りになるものが何も無い泥沼で何をどうしたら良いのか。誰が判るのか。事故調の言い分はあくまで傍観者の戯れ言に過ぎない。嘘だと思うなら自分をその立場において考えて見ろ。どういう答えが出るか。あの条件の中で実際にやってみろ。行動してみろ。そこで初めて僕は耳を傾けてやる。戯れ言は慎み給え

10-12A,B談義 生き抜く

2012年06月10日 | Weblog
A,B談義 生き抜く

A、今日一日生きたという実感を持って、生きるというのが、本当に生きると言う事だ。身繕いができなくなってベッドの上で寝ていて、日がな一日暮らしてみても何になろう。

B、そんアコトわかりきっているが、どうにもならないのが人生と言うものだ。

Aいや。それは違う。自然はどんな動植物だって自力で生きていけないものは死ぬことが決まりだ。

B,自然の法則に従うだけというなら、どこに人間の知恵の働きという者があるのか。知恵の発達と自然の法則は必ずしも一致しないよ。

A、とにかく高齢になって病を得て、自力で生きていけない人間を、延命工作をして命を延ばしたところで、何の大義名分が立つか?知恵によって長生きできる環境を作ることは賛成だか、人命を自力で生きていけないところまで伸ばしても、本人のためにならない。
これから少子高齢化というのに、少子世代の負担を重くしてまで、高齢者の命を医療技術でもって延ばすのは反対だ。

B,そうはいっても人間の情として、近親者は例えどんな状態でも、1日も長生きしてほしいと言う気持ちはあるよ。

A,それは当然だ。情において忍びないことは、いやほど判るが、人間は人間社会でしか生きられないのだ。つまり自力航行ができないときは他人の助けを借りないとならないのだ。その時点で人生は終わっているのだ。その自覚が本人にも、家族にも、社会的にも共有されなければ、この問題は解決しない。

B,そうだな。判っているよ。だからこそ生きている今に命の炎を
燃やしていることが大切だ。

A,言葉ではそれはよく分かるが、具体的には?

B,好きなことをやるにかぎる。金儲けの好きは人はそれに徹し、スポーツの好きな人はそれに徹し、ばくちが好きな人は太く短い人生を楽しみ、芸術の好きな人は是に没頭する。
とにかく自分を喜ばすことに専念して、前向きに生きることだ。マイナス感情を使って人生を愚痴っても、命を縮めるだけで、今をエンジョイすることにはならない。だから説教めいたことを考えたり、言ったりしているのさ。

A,やっぱりお前は道学者だな-。他人事だろう?ほっておけば良いことだ。