日々雑感

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追い出し部屋6-65

2013年07月20日 | Weblog
追い出し部屋

会社にとって「戦力外」といえる社員を集め、自己都合退職に追い込むための部署――名だたる大企業に、「キャリア開発室」、「人材強化センター」などのもっともらしい名前をつけた「追い出し部屋」が実在することが、続々と明らかになっている。

「追い出し部屋」もさまざまで、雑用や他部署の応援ばかりで仕事をほとんど与えないところもあれば、逆に達成不可能なノルマを与えるところもあるようだ。しかし、有形無形の圧力で社員を追い込む手法は共通している。

存在を否定され、精神はズタボロ。あまりにも酷い仕打ちと言えるが、表向きはれっきとした「仕事」という建前だ。精神的にきついといっても、正規の辞令で異動し、会社の命令に従った「業務」をするという点では、他の部署と変わりはない。もし「追い出し部屋」への異動を命じられた場合、その社員は違法だとして会社を訴えられるだろうか。板倉由実弁護士に聞いた。

●会社の「配転命令権」の濫用にあたる場合もある

「まず、会社の『配転(異動)命令権』は、当然に認められるわけではありません」

と板倉弁護士は言う。必ずしも会社に言われるまま「追い出し部屋」異動に従わなければならないわけではないのだ。

「『労働契約』で職種や勤務地が限定されている場合は、会社は、契約外の職種や勤務地へ配転を命ずる権利はありません。しかし、実際は、就業規則などで会社に幅広い『配転命令権』が定められていることが多いでしょう。とはいえ、会社は『配転命令権』を濫用することはできません」

このように板倉弁護士は説明する。

では、人事異動が、配転命令権の「濫用」になるのはどういう場合なのか?

「判例では、その異動が業務上の必要性のない場合や、他の不当な動機・目的をもってなされた場合、労働者に通常甘受すべき程度を著しく越える不利益を負わせる場合は、『配転命令権の濫用』として無効になるとしています」

●「追い出し部屋」への異動を命じた会社に、裁判所は賠償を命じた

最近も、この「追い出し部屋」問題で、裁判になって会社が負けた例があるという。

「オリンパス社員の訴えに対し、東京高裁が2011年8月に出した判決ですね。会社は、上司らの不適切な行為をコンプライアンス室に内部通報した40代後半の営業職の社員を、経験や能力とかけ離れた高度な専門知識が必要な技術部門に配転させた上、達成困難な高い業務目標を設定させました。

この社員が目標を達成できなかったことを理由に評価を下げて、さらに、別の部門へ2回目、3回目の異動を命じました。3回目は新入社員レベルの勉強以外に仕事がない状況に追い込み、『○○くん改善計画』と題した文章を配るなどのパワハラも続けました。東京高裁は3回の異動すべてを人事権の濫用であり無効と断じ、さらに一連のパワハラ行為についても、会社と上司に対する賠償を命じました」

このような判例は、「追い出し部屋」で苦しんでいる社員にとって参考になるかもしれない。さらに、追い出し部屋への異動は「その経緯や『部屋』での業務内容などによっては、人事権の濫用として無効となるのみならず、人格的評価をおとしめる不法行為として損害賠償が認められる場合がある」と板倉弁護士は言う。「追い出し部屋」に異動されたら、泣き寝入りせずに裁判で戦ってみるのも一手だろう。


最後に僕が一言

会社は利益追及という使命のほかに人を養うという社会的な責任がある。追い出し部屋なるものは、企業の社会的責任という面からその存在が問われなくてはならない。追い出し部屋というような姑息な手段ではなくて正面から退職を迫ればいい。やめざるをえないような状況に放り込んで自主退職に追い込もうとするところが、僕の正義感では納得出来ない所である。過去にオリンパスでこうしたことが裁判沙汰になったように記憶しているが、追い出した側(経営者)は犯罪者ではなかったか、社長は粉飾決算をして実刑を食らった犯罪者だ。その犯罪者が追い出し部屋に労働者を放り込んだとすれば、話は逆である。追い出し部屋に放り込まれなくてはならないのは経営者である社長だ。

中央塔より 4

2013年07月20日 | Weblog
中央塔より 4
 
ここまで登ってきたが、降りる石段は怖い。階段が急すぎる。登ってくるときは後ろを見ないが、降りるときは前向きにならざるを得ない。僕は一つ一つの石段を、丸で何か捜し物でもしているのかと思われるほど、慎重にゆっくり降りた。どうも危ない気がしたので、途中からは後ろ向きになって降りた。人が見てたらお笑いものだろう。だが転落してけがでもしたら、お笑いものどころではなくなる。こんな時こそ、人は慎重でなくてはならないと自分に言い聞かせながら足を運んだ。

時計を見ると3時を過ぎている。
西正門を入って一直線に通ってきて、この中央塔のてっぺん迄のぼって、降りて正門まで戻るまでには4時間かかった。それで何が分かったかというと、心の中に取り込んだワットの姿をのぞいては、中央塔のてっぺんから回りの様子を見渡して、近郊のアウトラインがつかめた程度である。一番記憶に残ったのは、塔の最上階は眺望がとてもよいという印象である。
 360度全開と言うわけにはいかないが、プノン・バケンの石造遺跡もかすかながら、ジャングルの木々の間に見え隠れする。西側から遥か前方で光っているのはきっと西メボンの水面だろう。南側からは僧院が見え、茶黄色の衣まとった僧が一人二人と姿を現して、生活の一端を覗かせていた。中央塔から見ると、石畳の参道を歩く人々の姿は、豆粒のように小さい。それほどまでにこの石造建築物は高さもさることながら、スケールも大きい。西側はまっすぐに延びた石畳がかなり小さく見える。

 これだけ大きいスケールの寺院を作るだけの財力とは。今のカンボジアの国力だけでは、到底このような、大きな建造物は作れそうにもない。
アンコール・ワットを作る、当時のカンボジアの支配権が及ぶというところは、
インドシナ半島の大部分だったことだろう。カンボジャは勿論、タイも、ラオスも、ミャンマー、もベトナムもその一部或いは大部分がアンコール王朝の支配権の及ぶところだったのだろう。
「栄枯盛衰世の習い」と言うが、それはひとり人の一生にとどまらず国家の盛衰にも及ぶものなのだとつくづく思った。
 
 時がたてばどんなに栄えた国でも必ず衰退に向かい、その姿を変えるというのは歴史の物語るところである。
そして今を花よと栄えるところはいいが、単に遺跡だけしか残っていないというのは哀れを誘う。今僕が見ている此の壮大な石造建築物は国際協力で修理や補修を加えて、保存がなされているが、当初完成したときの壮麗さは、いかばかりかと思うと胸の詰まる想いがする。
どのようにイメージを描くのも、それは個人の自由だが、各人が描くイメージはバラエテイに富みすぎはしないか。というのはここがけた外れに大きいからである。どこかで往時の姿の一部を忠実に再現して、後は各人がご自由に、というプレゼンスがほしかった。

暑かった熱帯の真昼の太陽も、夕方近くになると光が弱くなり、その分吹く風は涼しく気持ちがいい。
もうしばらくすると、太陽は沈む。その時アンコール・ワットはどんな姿を見せてくれるのだろうか。そして漆黒の闇に包まれたときのシルエットは。
 いや朝まだき、東の空がぼーっと薄赤く染まるとき、この寺はどんな姿を見せ、どんな雰囲気を辺りに醸し出すのだろうか。
興味はつきなかったが、いかんせん疲れた。これらのことはまた後日と言うことにして、今日はこれまでにしよう。

 僕はあんちゃん(兄ちゃん)が運転するバイクの後ろの座席にまたがって、定宿に向かった。