日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

毒入り餃子事件

2013年07月31日 | Weblog
毒入り餃子事件

記憶もうすれかけた5年前の中国で製造した毒が混入された餃子を食べた日本人が中毒症状を起こした。
当時事情を調べ上げた日本の警察は毒入り餃子の原因は中国の製造過程にあると断定したが、中国はこれを受け入れなかった。
どうしてそうなったのかは分からないが、2年半ほど前に犯人は捕まえたらしい。
それから3年経ってつまり発生から5年余りが立って初公判が始まるという話である。

あの時強固に反対した中国が実際は中国人が毒を入れこの事件を起こしたことを知っていたのだろう。

犯人逮捕に3年かかり初公判までにあた3年近くかかる。つまり発生から5年の月日が経って裁判が始まる。
こういう事実を見ると中国という国は一体なんだと思う

新幹線の事故では事故車両を現場近くの土を掘ってその中に埋めてみたりそれをまたほじくり返して車両基地に運んでみたり。全く理解できない国である。こういう理解のできないような国と親しく交わる必要は無いのではないか。

 自由に生きる

2013年07月31日 | Weblog


              自由に生きる

ゲタをはいて着物を着た人が、大山澄太、その人だとは,私は知らなかった。
中々上品な風貌で知性が漂っている。とても80歳を越えた人には見えない。

「お宅も作曲したりして自由人ですな。」
「いやいや、これでなかなか苦しいんですよ。」
「延命十句観音経が合唱曲になるなんて、びっくりしましたよ。なかなかやるじゃないですか。」
「ありがとうございます。この娘たちは今日もコーラスで延命十句観音経を歌いますが、いま手元にこの娘たちが吹き込んだテープがありますので、差し上げたいと思いますが、どうか貰っていただけませんか。」
「それはどうもありがとう。松山に帰ったら、山頭火の本を送りますよ。お礼に。」
「それはそれは、ありがとうございます。どうかよろしくお願い致します。」

 間もなく松山の消印ご押された小荷物が私の手元に届いた。茶色の紙に紐を掛けた包みをほどくと、本が2冊出てきた。その本のページには、便せんにひょうひょうとした文字で、本を贈る旨が書かれていた。

 多少とも仏教と芸術に関心を寄せている私ではあるが、山頭火は失念していた。緑色の表紙には、黒い文字で山頭火と表記されている。

山頭火。漂白の俳人。頭蛇袋を首から下げて日本全国を放浪し、心に去来する想いを自由律の俳句に託した徹底人。その生きざまは西行にも似て、一種のあこがれさへも感じさせてくれる。
 自分の人生、時空を含めて、自分の欲するままに生きた人。生涯は貧しさと引き換えに、いつも心の自由を確保していたことだろう。
大山澄太も彼にあこがれて著作したのだろうが、私も同じく彼の心の自由さにあこがれている。
生き方をよく考えて人生をすごさくちゃ、とつくづく思った。
山頭火は私に良い見本を見せてくれている。大山さんも良いことを教えてくれたものだ。

そういえば、かって、山田耕筰先生は
「歌詞といえば詩人はすぐ定型に当てはめて作ろうとするが、付曲する側、つまり作曲家は定型に縛られてたまるものか。メロディの流れには、それ自体に必然性があり定型よりは自由律の方がよい場合だっていくらもある。」といわれたのを思い出して、大山さんの「山頭火」を大変ありがたく思った。