日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

ガス抜き6-35

2014年06月23日 | Weblog
ガス抜き

日ごろ人間の分けているところの垣根を一切すべて取り払い,
貴賎,,上下の区別が一切なく、ドンチャン騒ぎをすることである.。ドンチャン騒ぎをして一体何になるのか,
考えないわけではないが、,しいていえば,,このばかばかしい振る舞いは,ガス抜きの一種であり,社会的には大きな役割を果たしているのかもしれない。

昔と違って,いろいろな娯楽が繁盛する現在においても、,祭という名を借りて,そこに止まっている社会的なガス抜きをしているのは、それなりに意味のあることである。ところが騒ぎすぎて事故が起こり死者が出る。そういうことになると、このガス抜きのイベントが果たしてよいのかどうか考えざるを得ない.。

1年に1,2回の贅沢な楽しみではなくて、現代では娯楽はいくらもあるし、しようと思えばガス抜きは個人的にできるはずである。にもかかわらず集団でガス抜きをするというのは、一方ではいかがなものかと思う人もいるだろう。それも一理ある。しかし時代がどのように変わろうとも、この世で不満なく生きている人は、ほとんどいないのである。表面はともかくも、心のうちには、うつうつとした欲求不満があり、それを解消するために、やはりスケールの大きい無礼講と中に己が抱えるストレスをすべてはさらに処理したいというのは、時代の問題ではなくて
基本的には人間の命が続く限りつきまとうものである。

とすれば、花見の宴は人間の命にまとわりついたものであって、それがドンチャン騒ぎという形をとって表面化したものである。と考えられる。

ドンチャン騒ぎによって迷惑を被る人々は、現に何回かのこの種のお祭りにもう少し柔軟な態度を見せるべきだ、という考えが僕の考えだ。

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