日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

天理教 への宗教弾圧

2014年06月13日 | Weblog
天理教 への宗教弾圧

教祖中山みきに対する戦前の宗教弾圧の凄まじさ。

中山教祖の信念を変節させ、信仰を放棄させるために竹刀で拷問し体がしびれて感覚がなくなるほど殴ったそうである。
教祖は殴ている取調官に向かって「お役目ご苦労様」と言ったとか。

いかに天啓に目覚め、授かったといえども拷問虐待としか思われないこのような仕打を受けて、なお神を信じる信念の1念の凄まじさは誰もができるものでは無い。
天啓の教えを説いて信者を集めたのも、理性的に理解ができる。


またいじめか

2014年06月12日 | Weblog
またいじめか

あれだけ全国的に騒がれた滋賀県大津市に変わって今度は同じ滋賀県の高島市でいじめにあった生徒が重傷を負った。
死には至らなかったことが幸いであるが、この事件に対する教育現場の校長は頭を下げ、いじめに対して毎週アンケートを実施していたが認識が甘かったとわびた。
おそらく全国どこでもいじめが表面化したら、同じ台詞か、似たような台詞を口にするだろう。

いじめは人権侵害すなわち犯罪である。その犯罪が教育の場で行われるだけである。いじめが犯罪である以上防犯は警察に及ぶ。学校だけで対応しようとしても、できないのは過去の事例を見れば明々白々である。

学校や教育委員会は連携して恥隠しをするが、そんなことよりいかにうまく警察との連携をするか、それがいじめを防ぐ現実的な方法でろう。



従軍慰安婦

2014年06月11日 | Weblog
従軍慰安婦

 従軍慰安婦についての記述を、中学の教科書に載せるか、載せないかの議論があちこちで、まきおこっている。
 
 50年の時を経て、未だにこんなことが論争されるのは、人間がその立場によって、どれほどこだわるものか示していると同時に、特に被害者が受けた心の傷は、その世代が消えてなくなるまで、此の世では決していやされることはないのだ。
 そういう現実をふまえた上で、両者に深く思いをいたして、自分なりの意見を言わなければならないとつくづく思う。

 130年以上も昔のことになるが、幕末に行われた会津戦争、つまり戊辰の役では、未だに怨念が溶けていないということが報じられた。官軍の長州と、旧幕府軍の会津藩は、未だに不倶戴天の気風が、濃厚に残っているというのである。会津人は白虎隊の悲劇はもちろんのこと、城の落城、娘子軍の自刃など数々の惨劇をなめた。
 
 会津若松市でとったアンケートによると、回答者の3分の1が恨みを持ち、こだわると、こたえたという。もっとも、半分の人はいつまでもこだわったもしょうがないと答えたらしいが、中でも特に高齢者つまり、惨劇に近い年代の人ほど、こだわりがきついという。ある意味では、もっともなことであろう。長州、山口県萩市の市長が和解に向けて、会津若松市長と懇談をしたが、2人はついに、握手せずじまだったという。
 
 同国人においてさへ、しかも130年の時を経て、此の有り様である。
ましてや異国人で、共通の理解も乏しく、しかも実際に被害に遭った人が、未だに生きている、という現実からして見ると、戦争被害についてのわだかまりは、怨念となって渦をまいていて、簡単には氷解するとは思えない。その怨念のはけ口が、個人被害の補償を求めるという形になっている。これも至極当然のことである。従軍慰安婦問題もこのような状態に根ざしている。
 
 これに対して、日本の保守主義者は、従軍慰安婦の記述を教科書に残すと、我々の先輩が犬死にしたことになるし、加えて、悪いイメージを与えてしまうことになると言う。
 突き詰めて考えると、両者の言い分は、ともに戦争被害者の言い分である。加害者も被害者も、戦争犠牲者なのである。
 
 国力を上げて、殺し合いをするのが戦争だから、平和なときには考えられないような、残虐なことが起こっても、何等不思議はないし、それこそ想像を絶する、凄惨なことや、残虐なことが、もっとたくさんあったのではないか。
 時の闇という、陰に隠れてしまっているが、悪逆の限りを尽くした部分が、どこかにあった筈であると、私は想像する。
 
 歴史をひもといて見るとき、必ずしも正義に支配された訳でもなく、
その時代時代の風の吹き回しに、翻弄されて歩んできたのが人間の歴史である。しかも傷跡が当代だけでなく、次の世代にも影響を残しながら。 
 従軍慰安婦だけが、犠牲者ではない。教科書に載せることで解決はしない。対立する意見が、新たな争い生む可能性だってある。
困ったことだ。

マハラジャの現状5-56

2014年06月09日 | Weblog

マハラジャの現状

イギリスがインドを植民地化するまで、インドは各地に蕃王、すなわち、マハラジャが割拠していた。イギリスが植民地にするときは、これらのマハラジャを、上手く利用して支配したし、またマハラジャは同盟を組んで、自分たちの権益を守っていたようである。
日本で言えば、明治維新で滅んでしまった大名制みたいなものに、なぞらえて理解すればわかりやすい。
確かに1つの国家として、中央とは別に独立の政権があるのは、統一国家とは言わない。
が、中央集権の中央政府が出来るまでには、ある時期、どうしても大名の出現と、その役割には歴史的必然性があったように思う。
その功罪は別にして、歴史的にはそれなりの役割を果たして、姿を消した制度であると僕は理解している。
 
西洋文明の影響を受けて、近代的な中央集権国家を確立出来ない国家は、此の蕃王支配に終止符を打つのが遅れた。インドの場合は、第二次世界大戦が終わってから、1947年に独立国家として発足するまで続いたのである。

今夜放送されたNHKの番組は、そのマハラジャの現代の姿を追っていた。
「マハラジャのその後」それがテーマであった。二つの典型的な例を挙げていた。
1つは時勢に合わせて、何とか生き延びようとするジャイサメールのマラハジャの末裔の生き方、もう一つはかたくな迄に、マハラジャの権威を守ろうとして、世間や時代から孤立して、生きているアワード家の生き方である。

時代に合わせて生きようとする末裔はその昔、広大な城を築き、その中で2000人が生活していたらしい城の王様であった。
 蕃王制度が崩れて、他人に寄生して生きることが出来なくなった末裔は、城を観光の目玉として、世界中から客を集めようとしていた。
そのために城郭のなかの一部を改造して、ホテルを作っていたし、すばらしい料理も用意していた。確かに観光資源として利用しようとする意図は納得できるし、昔日のような勢いは無いかも知れないが、成功すれば、マハラジャの影響を行使できるようになるかも知れない。マハラジャのかっての支配を蘇らせることによって、その地域の人々の生活を豊かにして、住民に貢献すると言う魂胆なら、それは時代にマッチしていると思うが、それを単にマハラジャの夢の再来を願ってと言うなら、現代から見ると、これを前向きと言うには、ほど遠く、アナクロとしか言いようがない。
 勿論時代が昔のマハラジャ形態を許すはづもなく、必然的に地域住民の経済発展と言うことに、ポイントが置かれることになるだろう。

 それに比べてアワード家は最後の最後まで、マハラジャのプライドを捨てないで、それに殉じようとして、生活を送ってきた。時勢に着いていけないで、取り残されて誰からも相手にされず、滅びの美学を満喫してはいるのだが、なんて馬鹿な人の集まりだろうと腹立たしい思いがした。
 第一、神が平等にあたえ賜うた自然の富を、歴史的必然性とはいうものの、蕃王制度の中に取り込んで、それを正義と考えるところに無理がある。時代はそれを許していないのであるし、誰もそれを支持しようとは思ってもいないことだから、孤立無援は必定である。民衆も何が望ましい政治形態かを考え始めている現代では、
どこから見ても、ずれがあり、その分受け入れられなくて苦しむのは、仕方のないことである。
時代から取り残されたというのか、時代になじめなかったというものなのか、いろいろ見方があるだろうが、そんな考えをしていては、生活も不自由なはずである。それは事実がそのまま物語っている。

 荒れ果てた中世の古城跡のようなところで、雨露はしのいでいるものの、まともな家具も食器もなく、彼らが持つプライドとは裏腹に、みすぼらしく、凋落の一途をたどる哀れな人間の姿を、見ていて気の毒にさえ思えた。ただこういう事情を十分承知した上で、我が道を行く此の末裔には敬服もした。
 昔地球に大きな隕石が落ちてきて、地球環境が激変し、大型動物は絶滅したという歴史を知っているが、それを連想した。回りの環境に合わせて生きていくことが出来なければ、どうなるかを見せてくれる典型的は事例である。

時代の流れというのは、時として早く、また時として、緩く緩慢にながれるが、確実に動いている。時間の流れの中には、平和あり、戦争あり、隆盛あり、荒廃あり、いろいろな人間社会の出来事を乗せながら、未来に向かって進んでいく。この中で確かなことは、時代の進歩は人間に,人間たる所以を悟らせ、人間の基本的な生存や権利などに付いて自覚を促す。早い話が100年前の世界の状態と現代の状態を比較してみるがいい。人間の存在に付いて認識がどう変わったか。
 100年前の世界は階級社会が主力だった。社会が縦並びで、頂点にたつものが権力を振り回すことが出来た。確かに現代でも権力者はいるが、昔のそれとは大違いのリーダーである。それも民衆の中から選ばれて、権力の座に着く。昔はそうはいかなかった。伝統的権威と、富の力で、民衆は奉仕させられる立場にあった。今では少なくとも民衆の間から選ばれた者だ。権力闘争に勝ち抜いて、
民衆を人とも思わない独裁者ではない。ということは、民衆の力がそれだけ強くなったと言うことだ。今まで底辺に押さえ込まれていた民衆が、自分の人権を主張しだし、それが社会の主流になってきたのだ。いわゆる民主主義の発展だ。一人ひとりの人間が持っている人権の尊重が、社会的に定着してきたのだ。

そういう意味からすると、昔は権力者が民衆を支配すると言う形が多かったが、現代は権力者は民衆が選び、彼をリーダーとして、民衆を代表して権力を行使する時代になっている。

1947年に独立をしたインドでもこのような流れが定着しだした。とはいえ未だに人権無視の抑圧がインド社会では横行しているらしい。
今まで何千年も昼寝をしていた人が、目を覚まし、ようやく起きあがろうとしている、そんな状況にまで事態は進んできている。そしてやはりこれこそが人類の歩む道だと思う。
アワード家は経済的な凋落だけではない。人類の進むべき方向からも逸脱している。だから見るも無惨な姿を現しているのだ。恐らく、なにもかも承知の上で、こういうスタイルをとって生きているのだろう。気の毒だが、彼らの選んだ納得ずくの道だ。援助の手をさしのべる必要はない。生きた化石を見るようで、ついぞ同情の気持がわいてこなかった。



未来志向

2014年06月09日 | Weblog


未来志向

価値観や思想が違う国と喧嘩をする必要はないが、かといって仲良くできる間柄でいることは難しい。
ましてや利害が対立、特に過去に被害者加害者の関係にある両者が(過去の歴史を鑑みて、…)ということを前提に対話をしても、それは多分平行線で、交わらないだろうから、両者の関係を真から治して重ね合うと言う唯一の観点は「未来に向けて」と言う事から議論を出発させること以外にないと思う。
被害者も加害者も過去持ち出さず、各自ら謙虚に過去を反省して、その上に立って未来志向の話をすることが唯一有効なことである。



三木屋にて6-57

2014年06月08日 | Weblog
                    
三木屋にて
 
 志賀直哉の「城崎にて」は何回も読んだ。もの静かで落ち着いた文章だが、生きることと、死ぬこと、いわゆる命という根本問題を扱っているところが好きだ。
湯治場になる城崎の情景が細かく描写され、50年以上も昔に読んだ作品だのに、城崎に来るときは、今でも鞄に入れて持ってくる。
小説の神様といわれるぐらいの名文を書く人の作品だから、何回も何回も繰り返して読み、作品の書き写しをすることによって、だいぶ勉強をさせてもらった。
彼は三木屋に逗留して、作品を書いたと、何かで読んだ記憶がある。今日は、その三木屋の前を通ったので、外からつくづく眺めた。文豪はこの旅館に滞在して、あの作品を書き上げたのか、と思うと、何か特別のものを感じた。胸がじーんとなる。
「城崎にて」は山手電車にはねられたが、一命をとりとめて、そのリハビリを目的に、この城崎という湯治場にきて、ネズミの死、ハチの死、己の死を重ね合わせながら、話は展開される。
それに、この町の雰囲気を漂わせながら、死という共通の概念が、別々にあるのではなくて、どこかでつながっているように思えたのは、作品がもつ力がなせる業だろう。

ところで、今回、こんな豪華な旅館の閑静な部屋で、原稿に向かうのは、観光客には、豪遊と映るかもしれないが、果たして彼の胸の内はどうであっただろうか。ということに気がついた。
観光客は、豪華な食事や立派な調度品や、部屋の造りが醸し出す、一般家庭では味わえない、非日常性の雰囲気を堪能して、贅沢気分を味わい、満足して帰って行くのに対し、同じ三木屋に滞在しても、作家にとっては作業場である。
周囲の雰囲気が、いかなるものであろうとも、彼は己と戦いながらその筆先によって、作品をつくりださなければならない宿命を負っている。そしてその作業には辛さが伴う。
創作者の滞在は、観光客が観光のために滞在するのとは、訳が違うと思った。観光客は、雰囲気を味わいさえすれば、そして、気分転換ができれば、素通りでも、満足するだろう。そしてそれで目的は達成されるのだが、言い換えれば完結するのだが、作家はどんなに胃が痛くなるような思いをしても、ここで何かをつくりださなければならないという荷物を背負っている。
彼にとっては、作品づくりは決して避けて通れないものである。城崎の同じ旅館に同じように、滞在しても、一般人とは、その心境において、天と地ほどの違いがある。
それに、労作は称賛に値するかどうか。それが必ずしも世間受けして、評判の良い作品になるとは限らないし、保証の限りではない。
もちろん作家は、自分の作品に絶対の自信を持つだろうが、その作品に対する評価や評判は、別のところで行われる。
人間の営みって、複雑かつ難解なものがあるものだ
な。
僕は複雑な心境で、三木屋の前を立ち去った。
                      

ツールスレン

2014年06月07日 | Weblog
        
      ツールスレン

                  
 フランスから解放された後の、カンボジャの国情や歴史などの知識は、頭の中に小指のかけらほども無かった僕は、当然の事ながら、カンボジャの首都・プノンペン市内で、これほどまでの残虐な虐殺が行われていた事実を知らなかったし、また想像さえもしなかった。 
 インドシナ半島でも、カンボジャはベトナムとタイに挟まれた小さい国で、目が届かないと言うのか、それとも関心がないというのか、カンボジャといえばアンコールワットくらいしか、しらなかった。
 ところがアンコールワットを訪ねるべくバンコクを飛び立った僕は、プノンペンに到着するやいなや、恐るべき事実を知ったのである。ポルポト時代に300万人(最近のアメリカの調査では推定170万人)もの人々虐殺されたというニュースを現地の人から耳にしたのである。
しかもその現場の一部が保存されているという。
僕はとりあえず現場を訪ねることにした。
 
 ツールスレンはもとはリセだった。そこは僕の泊まっている宿から歩いても、30分とはかからない、市内の閑静な住宅街にあった。それが刑務所いや収容所として使われたのである。外見は何の変哲もない静かな高校の校舎であるが、中に脚をいれるにつれて心が凍りだした。サッカーのゴールは絞首台に、大きな水瓶は水攻めの拷問をして殺す拷問器具として使われたのだ。
 
 にわか雨がしょぼしょぼ降り出した。それはあたかも殺された者の悲しみの涙のようであった。僕の頬も涙で曇った。
 教室には20年の歳月で、サビの回った鉄製のベッドが置かれ、そばには逃げないように、足を繋いだ鉄の足枷があり、そのすぐ横には拷問器具が、元の姿のまま置かれ、その拷問器具によって虐殺された大勢の人たちの、実際の姿を写した写真がはられていた。
何でも、インテリは字が読めると言うだけで、虐殺されたと言うのである。僕は心のなかでそんな馬鹿な、と何回も叫んだが、思いをはるかに越えて、現実は現実である。
 
 校庭は夏草の緑が目にしみる。静かで、のどかである。だが、
1歩校舎の中に入ると、地獄絵そのものである。これが500年以上も前の出来事で有ればまだしも、ほんの2・30年ほど前の出来事である。僕はアウシュッビッツの強制収容所を解放したときに、ここを訪れたアイゼンハワー将軍の写真を思い出した。こんなことが起こるのなら、例え国内問題の内戦といえども、世界人類の名において、人類を救うために世界警察は不可欠だ、警察がいないと、悪い奴はやりたい放題をする。正義も人権もあったもんではない。
 いまこの場で僕はなにをすることができるのだ、と自問したが頭が混乱して、何も浮かんでこない。僕はだらだらとそこへ、へたりこんで、ただ、祈る事しかできなかった。

 悪魔や悪鬼はこの世にいる。それは人類が続く限り、常に人類の側にいる。そして常に人類に危害を加えようと画策している。こいつらを退治しなくては。これからは世界の英知を絞って、これらの悪どもと常に戦って、人類の平和や幸福を守らなくては。
 この悲劇の現場に立って僕は心からそう思った。

 大した目的もナシにふらふらと海外旅行を続けているが、それなりに成果はあるものだ。
 あんな悲しくて、くらい所を見て何になるかという意見もあるが、僕にとってはこのツールスレンが、プノンペン観光の何処よりも、何よりも、強烈な印象を与えてくれた所だった。
悲劇の歴史の現実から目をそらしたい。それも分る。しかし現実の歴史を直視して、そこから何かの事を学んでほしいと言うのが僕の願いだ。正義であれ、不正義であれ、歴史は時間の経過ごとの事実を物語っている。その事実には目を背けてほしくないのだ。特に多くの犠牲を払い、多くの惨劇を乗り越えて在る「いま」を人類の未来に向かって、幸福と安寧を築く礎にしてほしいのだ。さもないと
犠牲者の霊は浮かばれまい。僕は強くそう思った。

 美しい景色を見るのも良い。おいしくて、珍しい異国の料理に舌鼓を打つのも良い、この国の人と親しく交わるのも良い。
しかし再びこのような惨劇はなくさなければならない。それが人間の英知というものである。そのことをここ惨劇の現場・ツールスレンで頭の中にたたき込んだだけでも、プノンペンの旅はおつりが来る。


近頃の唄は面白くない。

2014年06月06日 | Weblog
近頃の唄は面白くない。

なぜだろうか。
歌手の熱唱を聞いても、なんと空ぞらしいことよ。だから覚えようとしない。日常生活で経験する諸々の思いに共感を与え、こころに届くリズムやメロディがないのだ。

加えて詞も曲も起承転結が曖昧で覚えにくい。そういうことがあって唄が自分から離れていく。だから面白くないのだ。
いったい今、小中学校ではどんな歌を教えているのだろうか。ちょっとも良い歌が聞こえてこない。
ラジオでもテレビでも耳をそばだてて歌を聴くが、皆素通りばかり。心に何も止まらない。
曲は平成の作品より昭和の方が良い作品が多かった。
これは僕1人だけの思いだろうか。



緑が目にしみる

2014年06月06日 | Weblog

緑が目にしみる

自分が座席に座って、窓の外を眺めていると、家や森や田や畑、川などが次々と通り過ぎて行く。
自分を固定し、電車が走るたびに外の景色がかるのだが、それにつれて心の景色も移り変わる。気分も変わる。これが旅の醍醐味である。

出かけた先や天候にもよるが、全く別の気分になって、生まれ変わったような気分になることもよくあることだ。
また移り変わる風物を見て、ちょっとした感動がある。この感動が積み重なって旅の良い印象となり、思い出となる。

電車を降りて歩き出すと、また違った趣がある。
歩くにつれて景色はゆっくり変わる。体を動かしているので脳の活性化が行われる。視覚だけに頼る脳の活性化とは違った種類のものである。
6月は初夏で、線路両側には映える緑が目にしみる。



幼女誘拐殺人事件

2014年06月05日 | Weblog
幼女誘拐殺人事件

犯人が逮捕されるまでに約10年かかった。まるで神隠しのような行方不明事件だった。個人的にどのような複雑な家庭事情があろうとも、女児誘拐殺人が許されるわけがない。法の裁きを受けて服役し、立ち直れ、更生しなさいというのが世間の常識だ。

しかし僕は違う。自分の感情をセルフコントロールできなくて、
この容疑者が犯人であるならば、女児を殺害したのと同じ方法で即殺せと叫びたい。
こーゆー人殺しのケースをいくら詳しく調べたところをで次の犯罪の抑止力になるとは思えない。だとすれば一刻も早く人間社会から追放して死刑にすることによって社会から葬ってしまう方が大切だ。

鉄は熱いうちに打て と言う諺通り捕まった段階で処刑するのが良い。
被告人の人権を擁護する人がいるが、被害者は殺された時点で人権をなくしたわけだから、犯人の人権なんてその時点でなくなっている。つまりまともな人間でない。野獣に成り下がった人間である。
単に人食い狼になり下がっている。どうして人権があるのだろうか。
他人の人権を奪ったものはその時点で人権喪失、それが当然だろう。社会はそれに従って粛々と行動すれば良いだけの話である。

無期懲役なんて野獣に通じるはずもなく効果は無いに等しい。とにかく恣意的に他人の命を奪ったものは己の命でしかあがなう事が出来ない。
即刻処刑。
これはある意味、見せしめ的な要素がある
この見せしめが次の犯罪の抑止に少しでも役立つようになれば良いと思う。これこそが社会防衛だ。



牛や馬の姿が見えなくなった

2014年06月04日 | Weblog
牛や馬の姿が見えなくなった

大阪から近鉄電車に乗って1時間も走れば、緑が青々とした田園風景が広がる。田園風景といっても、わらや萱でふいた屋根の百姓風の家は探すのに苦労する。昭和、平成の風に吹かれて、一掃されたみたいだ。

住宅メーカーの規格品のようなサラリーマン風住宅の、住宅が増えた。
そういえば牛山の姿はとっくの昔に消えている。その代わりに耕耘機や軽トラックが置いてある。農業のあり方が変わり、それが住宅様式にも影響を及ぼしている。これが時代の流れあるいは風と言うものだ。

。これからもっと現代分を受け入れよう。


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神秘体験の研究6-58

2014年06月01日 | Weblog
神秘体験

人に見えないものが見え、聞こえがはずもない音が聞こえるといて体験。

外界と人間の感覚はほとんど遮断された状態におかれるとどうなるのだろうか
脳は様々な刺激を組み合わせて現実感を作り出す。外部からの刺激やストレスが加わると、脳が過去の記憶などをもとに、現実感を作ろうとして幻覚が起きるのだろう、大学ではこのような実験を続けている。

幻覚が生まれるときに脳はどんな変化が起こるのか。
広島大学のグループでは修験者の修行に同行し4人の修験者のうち3人に幻覚が現れたと言う。
寒さや断食、不眠などのストレスを加えるとこのような状態に脳が適用しようとして一時的にセロトニンを大量に増やしたのだろうと指摘した。
幻覚剤エルエスディーはセロトニンと構造がよくにている。

同じ行為を繰り返すと知性を働かする脳の前頭葉が働きを停止し、自分が何者かに動かされているような感覚になる。

神秘体験は脳科学者から見れば単なる感覚異常と言うことになりそうだ。
外界から遮断され睡眠不足や疲労などの強いストレスにさらされたら、自分がしていないことでもやったとも思うかもしれない。
こーゆー働きを悪用してmind controlをした、典型的な例はオーム真理教である。
置かれた環境に人間の脳がどのような反応を示すのかについての研究の一端が報告されているのを読んだらの様なことが書いてあった。

ちょっと注意深く自分を含めて周りを観察していると、われわれは以上の説明に基づくようなことが、身の回りの日常生活の中に、起きてくるのを経験することがある。
筆舌に尽くしがたいシビアな環境に対して、人間はこのような適応能力も持っている。人間という動物は素晴らしい能力を持っているものだと感心した。