ウチの時代を拒否する夫は、すこーしの間ブログというものをやってみた。
まあなんちゅーか、使命感みたいなものに少しの間、駆られたのだろう。
で、おりしもあの日本を震撼させた大震災が起こり、
技術者としての責任を負い、しばしの間、真面目に善後策の解決に
勤しんだ・・・
のだが・・・
このような類のものには全く向かないので休止状態
で、ですね、いろいろな事があの震災以来、変わりまして・・・
良い方に向かったものもあれば、それはどうなのと思うこともありまして・・・
ワタクシ的にも「どうなの~」と思う事などを本日は書いてみようと思います。
結論から書くとあの震災以来、日本中が神経質になりすぎているのではないかと。
人間というものは、やはりリスクを取りたくはないという性質を有しているもので、
それを良い事に、新たな税金の無駄使いをしているような気がする昨今です。
昨日の産経新聞に「防潮堤も活断層調査」との記事がありました。
これは各電力事業者が原発敷地内に建設している防潮堤の直下に
活断層があればその原発の再稼働は認めないという事なのですね。
ここで立場をクリーンにしておきたいと思います
私は、今現在において原発を必要と考えているわけです。
福島第一の原発事故に対しては、もちろん憤りを感じ、起こってしまった事実に
無念さと、それによって人生をめちゃくちゃにされてしまった方々には
かける言葉もないと心から思っています。
だからこそ、日本の技術を結集してより安全に近い原発の実現を願っているのです。
もちろん、クリアーでより安全なエネルギーが開発され実用化される努力を
怠ってはいけません。
将来的には原発は廃止すべきだと固く思っていもします。
原発は当初から利権が絡んでいろいろなお金が動いていました。
まずそこから脱却すべきという事はいうまでもありません。
今回の震災の影響が余りにも大きかった為、慎重になるのは当然でしょう。
しかし日本全国の原発下の活断層調査が行われている中、専門委員は
批判をあまりにも恐れ、世論へとなびき過ぎています。
あれは科学者の取るべき態度なのかと疑問に思わざるを得ません。
原発の設計思想は40年前後です。
日本の構造物はだいたい50年持たないという考えの元にあります。
日本の科学的な地震の影響評価(津波含む)は明治以降のデーターしか残されていません。
後は、古文書、地層の堆積物からの類推でしかないのが実情です。
40万年に一度動くかどうか?という活断層に対して耐久力40年前後の原発がNOと
言われているのです。
国は今回の震災に於ける原発に対しての津波、地震の物理的影響の解明に
全く至っていません。
その解明なくして、活断層のみの有無で判断するというのは無理があるのではないでしょうか?
活断層の全くない区域など存在するのでしょうか
そしてまた、40年の稼働期間にどのくらいの確率で被害を及ぼす活断層の動きが
あるのでしょうか
この世界に「絶対安全である」などという事はあるのでしょうか
今年になってロシアで隕石の落下で、おびただしい被害が報告されました。
これはどのくらいの確率で起こるのか・・・0%でない限り、外にはでるなと?
車によるアクシデントは高確率だから、車は害である、車の通る場所には
出るべきではない、いや家の中にいても、アメリカで起きた事故のように
地下水が地盤を侵食して床を陥没させ、そこに出来た空洞に家主が落ち
水死するかもしれないから、家の中も安全ではないので宙に浮いておけとでも言うのでしょうか
この40万年に一度動く活断層とはそのくらいの確率よりもっと低いのです。
しかも、地震が原発破壊に及ぼした影響の検証は確立してもいない。
活断層調査には時間とお金がどれだけかかるか。
そして存在が認められれば、即停止。
全てがオーバーデザイン。
オーバーデザインにはお金がかかりますから、それによって利益を得る
業界も存在するという事です。
このような事がまかり通れば、日本ではこれからは重要構造物の建設など
不可能だという事になります。
まず国がやるべき事は福島第一原発事故の検証です。
古い原発が建設当初から設計基準を満たしていなかった可能性もあります。
立地評価の不透明さも疑われます。
また東電の隠蔽体質も事を重大にしてしまった可能性もります。
これらの検証を明確に行う事が、これからの安全に結びつくのです。
あのようなあまりにも代償の大きかった事故を無駄にすべきではなく、
そこから貪欲に学び取るべきでしょう。