ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

子どもためと言ったって

2009-06-13 | 子育て日記
地区の総会や学校の役員、公民館のことなどと子どもが少ないこともあって、大体親は2種類以上の係を引き受けていることが多い。

そのせいで、準備だのといろいろ夜に出かけることが多い。
仕事も遅くなることがあって、子どもが留守番をしてくれていることがとても気になる。

学校は役員に結構平気で「当日は会社を休んで来てくださいね」などと理不尽なことをあっさりという。

心からがっかりしてしまう。

公民館は「育成会はもっと公民館に協力するべきだ」とこれまた当たり前のようにいうが、いろいろ掛け持っている方にすれば子育ての第一線で忙しく働く親をなんだと思っているんだとため息がでる。

市の子育連は、よくわからない会合やイベントをやたらと開いては役員だからとかり出す。その費用は税金でまかなわれている部分もあるというのに、昔からのことという理由でそのまま続ける。

いろいろみていると、子どもや親より、子育てをしていない人の方がやたらと口を出しては親を使おうとする。

それで生まれる結果は、子どもが寂しい気分になるだけのような気がする。

結局親を連れて行かれる子どもは、一緒に振り回されるかつき合わされるかどちらかで、肝心の家庭はそっちのけになっていく。

子どもためだと言っても、予算消化や、ごく一部の役員の体裁を守るために振りかざしている口実だと見えるようになった。

それは実際、地区に代わり者の子どもがいて変態的な発言をしたり、2歳児が朝6時頃から外を一人でうろうろしたり、夜中まで見つからなかった子どもが公民館で寝ていたり、そんな信じられないような事件が起こっているのにそこには向き合わず力を注がずほったらかしにして、お利口さんの子どもには家で留守番をさせ親を働かせては子どもの付き合いをおろそかにさせているように思う。

地域が大切というやり方をはき違えているんではないだろうか。
自分の家族に負担をかけてまで地域のために働かせようとする姿勢。
半強制的に時間をボランティアなのに拘束される。それを何とも思っていないし、拒否すれば悪者のような目で見る。
私は、子供会の会長になってこんな思いをするのは私まででいいじゃないかと思うようになった。

この土地に来なければ良かったと思って欲しくない。

協力というのは、公民館や育成会に入っていることとは関係なく「近所付き合い」の中から自然と生まれるものが本来の形だと思う。

「学校が見守れというからやっているんだ。だから公民館に協力して」と館長に言われたときには思わず「言われたからやるんなら別に結構です。大体思っていてもそんなこと口に出さないでください」とキレてしまった。

私のようなことを毎年歴代の会長は味わったのかと思うと もうやめにして欲しい。

昨日公民館長に「御神輿活動の寄付金を、年金収入しかないお年寄りばかりにさせるくらいなら御神輿をやめます。子どもも灼熱の中 鼻血を出した子どももいたので責任を持てません」と言うと誰からも文句を言われなかったので「育成会で決めてくれたらいい」と言われた。

その後、アンケートを作ってその結果を館長に見せようということになった。

私はこの土地に住んで3年目で、今年の会長は言うことを聞いてくれないと思われているだろうと思うけれどよそ者だから慣習を知らないということを逆手に、何か一つでもきちんとやって、必要ないことにまで流されるのはやめようとみんなと話した。

おかげで親の団結は強くなり、それぞれのうちに遊びに行ってはカフェをしたりお昼にランチをみんなで行くようなそんな仲の良い状態になって来た。

子どものためということを振りかざして、それが結果本当にそうなのかもう一度ちゃんと考えるべきだと思う。
コメント (2)
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