ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

ちょっと遅いって。

2011-05-16 | 雑談

ずいぶん昔のことだけど、高校生くらいの頃に母がたまに行ってたなんでも当ててしまうおばさんがいた。

そこに行ったのは、母の用事で私はついて行っただけだった。

それなのにそのおばさんは「車の中で待っている人を連れていらっしゃい」と私がいることを教えていないのに言い当てて、私はまずおばさんの旦那さんのところへつれて行かれた。

おじさんもまた姓名判断をする人で、後に私が姓名判断に興味を持つきっかけになった人だ。

私の名前を見て、「金を3つと木を1つだとおばさんに言っておいで」と言った。

自分の名前と生年月日を書いた紙と、伝言を持って行くとおばさんはいろいろ言い当てた。

私に「お母さんの言うことは聞きなさい。あなたはどこかとんでもないところへ行ってしまう」と言った。

多分それはアメリカへ行ったことなんだろう。

「私結婚しますか?」と聞いた。

おばさんは「うん。結婚する。こんなに大好きな人と・・・と思うような人に嫁ぐから。ちょっと晩婚かな」

現実になった。私はそのときこの世で一番好きだと思っていた人と結婚したからだ。

別れてしまったけど、幸せな結婚をした。もちろんちょっと晩婚というのも当たっている。

「私は長生きしますか?」と聞いた。

そこには触れず「あなたは大きな病気にはならないよ。絶対に克服する。辛いことになってしまっても必ず助かるから。あなたに生きて欲しいと思う人がたくさんいて、天国からも現世からもその念があなたを守ってくれている。あなたもどうしてそう思われるのか自覚する日がくるから」

それもわかる。おばさんにはどうしてそれがわかるのかもわかる。

おばさんは「あなたは男の人として生まれるはずだった。3代前の人が守りについてくれていて、おでこに現れてるね」

と言った。

そばにいた母と、親戚のおばちゃんが「やっぱりね。あんたのおでこにひいばあちゃんが見えてた」と言った。

感激して泣きそうだった。

だって一度もあったことなんてないからだ。見たこともない私のために、亡くなってからも守ってくれる魂があることがどんなにありがたいか。

でもそれだって今なら理解できる。

だって我が子はかわいいから。ひいばあちゃんにとって一人息子で可愛くて仕方のなかったじいちゃんが、一番可愛がってくれたのは私だった。そして命をかけて病気だった私を助けてくれた。

自分の我が子が命をかけるほど愛情を注ぐ存在なら、私だって体が亡くなったって守ってやりたい。

だからひいばあちゃんが私についていることが理解できる。

 

ところで話がずれるけど最近、結婚しないで40歳前になっても女同士で楽しんでいる人が多い。婚活だってやってるみたいだ。

それでも彼氏ができないからそういうパーティーに参加をつづけてしているらしい。

そんなことを思うと、私は昔「ちょっと晩婚だね」と言われたけれど、全然晩婚じゃないじゃないか。だって20代で結婚したし。と、そんなことを思う。

 

昨日、障がい者の恋愛の映画を見ていて ハッピーエンドに終わらなかったことがなんか不愉快で でもそれだってそんな形もあるのだろう言う気もして無理矢理納得しながら「一人」って状況があんなにも寂しそうに見えるのかと思うと、私は恵まれているのだとつくづく思った。

私はずいぶん恵まれている。思ってくれる存在が結構いたりする。

それがありがたいと思うなら、どんなにまわりに愛情を持っているのかたまには表現してみなきゃとか思った。

コメント (2)
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