嫌なことがあるってことは、心が傷つくと言うより私の場合、私という水の中に毒を混ぜられるようなそんな感じがする。
だから世間一般に言う傷が治るということが 嫌なことを克服すると言うよりも 私にとって心が癒えるというのは、混ぜられた毒を外には出せないから必死でもっと綺麗な水や分解する微生物や栄養になるミネラルとかを取り込んで無害にする。
そんな感じを繰り返して私が受けた傷が癒える。
私は受けた毒を外に出せない。出せないから無害になるようにいっぱい考える。
その間、毒は私の中で暴れて苦しむ。
なんどもなんども私の中で頭をもたげては悲しみや怒りなどになって現れてくる。
それでも本を読んだり空を見上げたり、子供を抱きしめたり猫の頭を撫でたりしながら毒の症状をがんばって抑える。
そんなことを繰り返しながら、私の治癒力は毒を中和する。
そしてその毒は記憶の一部になって、学習という形になってそのうち毒はワクチンに変わることがある。
次の毒が来たときに、ワクチンに変わった私の毒は私の心を守ってくれる。
「2度同じことは通用しない」となる。
昨日、私のワクチンが働いた。「やばい。信じられるのは自分だ」と働いた。
私はそれまですごく傷ついた。だからそこから学習している。
このまま行けば私はシャッターを下ろすように毒の本体を遮断する。そう言う人間だ。
私がそうすれば壊れる事柄がすぐに思いつく。
だから「この人間を理解しているなら対策ができるはず」
で、思いついた。ワクチンが働く前にまず予防。
危うく毒を受けるところだった。と言うかちょっと受けた。でもまだ少し。
今のうちに手を打つ。じゃないと悲観してもう自分でも中和しきれなくなる。
まずは心当たりに電話。で、みんなの確認も取った。
私は間違ってなかった。
今度は今後のために手を打っておく。