昼休みに友だちとミルクハウスでお昼ご飯を食べていた。
彼女とは最近仲良くなってよく話す。
二人でこれからの仕事を話しをしていた。
彼女には痴呆のお姑さんがいる。
お姑さんはよく徘徊をして、近所みんなで探し回ったりしていろんなことが大変そうなことを言った。
私にもそういう過去がある。私の場合祖母だった。
自分が誰かもわからない。まわりの人を忘れていく・・・
徘徊とトイレの失敗で母は仕事との両立に苦労していた。
私と弟はというと意外にそんな祖母のことを嫌いになんてならなかった。
むしろ一緒にいるのが楽しくて、母子家庭でいつも二人きりで留守番の家にやって来たばあちゃんがたとえ呆けていてもうれしかった。
徘徊してしまっても「よし。捜してくるわ!」と元気よく出発。
ばあちゃんを見つけると「どこ行くの?送っていこうか?」と声をかけてはまた自分の家に連れて帰り、何事もなかったようにしていた。
同じ肌着を7枚も着ていてあせもだらけの体なのをみて、母はよく嘆いていたけれど私は「どれも捨てがたかったのよね。え~い全部着てやれって思っただけよね」といいながら笑ってごまかした。
ひいばあちゃんの葬式ではカルピスと麦茶を混ぜ始めて、親戚のおばさんがビクビクしながら見ていた。
またなんかやらかすんだと早くばあちゃんを止めろ!みたいな話し声が聞こえてきた。
私は「ばあちゃん。なにしてんの?それおいしいの?ちょっと飲ませてん。」といってみんなの前で飲んで見せた。
そして「まずいじゃん!失敗作だわ。普通に飲んだ方がおいしいって」と言って麦茶だけと交換した。
そんな私とそんな感じの弟に母は救われたようで、呆けたばあちゃんとそんな風につきあうこの家族を自慢のように思っていたらしい。
ばあちゃんは私と母の区別がつかなくなった。
私を母の名前で呼ぶようになり、晩婚気味だった母のせいでまだ学生だった私に「お前も早く嫁に行け」と言っていた。
そのうちばあちゃんと呼んでも振り向かなくなった。
それで「お母ちゃん」と母たちが呼ぶのと同じようにすると普通に返事をしてくれた。
ばあちゃんは次第に相づちすらできなくなり、意味もなくニコニコと笑っているだけになっていった。
ある日、じいちゃんのアルバムを二人で見た。
じいちゃんの若い頃で、赤ちゃんの母が写っていた。
写真の中のじいちゃんは若くて凛々しくて、映画の俳優のようだった。
この当時、なんていい男だっただろうとそう思った。
だから私は何もしゃべれないばあちゃんだったけど、思わず「ばあちゃん。じいちゃんってすごいよかにせだったんやね」と言った。
するとばあちゃんは、それまで話せなかったのがフリだったのかと思ってしまうほどものすごくハッキリ「じゃっどが!」っと言った。
許嫁を振り切りばあちゃんと駆け落ちしたじいちゃん。
家族はいないと二人だけで気づきあげた生活で、お互いにこの人だけだと思っていたんだろう。
ばあちゃんは全て忘れ、子供も忘れ、自分を忘れてしまっても「じいちゃんが好き」ということだけを覚えていた。
じいちゃんのことだけを記憶したまま亡くなった。
どんなに痴呆で見ていられないことをやらかしてしまったとしても、実際当時の私たちは確かに大変だったんだけど、女に生まれてこんなに幸せな人生があるだろうかと私は思う。
そんなばあちゃんの人生を私はうらやましいと思う。
この話を友人にした。
友人は涙を目にいっぱいためて「幸せだったんだね」といった。