友達がお兄さんと二人で会社をしています。
彼は言います「2代目の社長に何がわかるんだ。俺は兄貴と苦労してここまで来たんだ」と。
もう必ず二言目にはそんな言葉が出るんです。
そしてお兄さんはなくなりました。ひとりぼっちになってもやっぱり言います。
「親の財産で生きていけるやつと一緒にするな」と。
でもどうしてそんなに目の敵にするのでしょう。
私には「俺だって甘えたかった。俺だってラクしたかった。たいした苦労もせずにすんで俺と同じや俺より上なんて許せない」と聞こえます。
自分がなしえていないから、自分が理想としているところにいないから、低い次元とチューニングがあってしまっているような気がします。
そうして自分が悪いとか自分がまだ足りないとかそういう心は本心の中にはまだ生まれていないのか、それとも「これでもまだわからないのか!」と促されているのに気がつかないかなのでしょう。
自分が選んでしまってる。祈っても本を読んでも縁起を担いでも、要は自分のことを許せない自分がいるものです。
本当にやりきれていると言えるのかとか、弱さや誘惑とかに負ける自分。
楽しいことばかり選んだり、ラクをすることばかり選ぶ自分。
人の粗探しをして難癖をつけて逃げる自分。
本当はそんな自分を良心や高い次元の自分が許してないはず。
もし、自分が思っているとおりになしえていたらどんな相手が来ても大きな気持ちで見られるはず。むしろ可愛いやつだと思うはず(口に出すと嫌みですが)
イライラすることを通り過ぎれば投げやりになってきます。
そう感じたらいっそ旅行にでも出かけて見たり、尊敬する人と話をしたりしてやる気の補充をほかの何かに依存してもいいかもしれない。
物欲の奴隷になって目先の地位やお金を追いかけるのはむなしい気がします。
実は何でもバランスよく持ち合わせているのですよね。
心は錦。ですね。
最新の画像[もっと見る]
僕は創業社長です。
兄は親父の会社を大きくして名をなしました。
僕は相変わらず貧乏社長で今日の支払にもキュウキュウしています。
昔、兄は自分に相応しいと思いそれなりの車を買いました。僕も兄に相応しい車と思いました。しかし親父と何かあったのでしょう。それ以来車を変えるときには親父に気づかれないよう同じ車種を通しました。(グレードの変化には親父は気づかないようでした)
晩年、兄は僕にいつも言っていました。「お前は幸せだな~」
僕はいつも言っていました。「おかげ様で」
兄には四人の子供がいます。
僕にも四人の子供がいます。
贅沢に慣れた兄の子達は、兄の死後何かとトラブっています。
僕の四人の子供たちは当てに出来ない親元を離れそれぞれの道を歩いています。
皆それぞれの行き方があるのです。
自分の生きる道を堂々と生きていけないのなら、その方は社長を辞めて早くどこかにお勤めになったほうが幸せと思います。
お邪魔様でした。
甘えているとも見えます。
だから余計努力して頑張っていらっしゃるかたや、私から見ると「あなたの進む道じゃないんじゃないの?」といいたくなってしまいます。
よく喧嘩しますよ。みんないろんな問題を抱えているものなのにと思います。
そしてかわいそうな人だなとも思いますね。