息子を塾へ迎えに行く途中、時間があったので久しぶりに本屋へ行った。
本当に久しぶりだった。本屋が近所にあることもあって以前は毎週のように行き、休みの日なんて2時間以上いるなんて当たり前だったなと思いながら何か自分を元気づけてくれるような本がないものかとウロウロした。
いつもの私ならすぐにいろいろなことに興味を持って手に取りたくなるのに全くそそられるタイトルがない。
星のコーナーに行く。
それはすぐに気になって、次の日食が9日だったこともあって時間など確認した。
携帯の天気をみると全然良くなかったこともあり、みられるか厳しいような感じがしたのですぐまたほかの本を探した。
結局30分くらいぐるぐるして最後にえほんのコーナーへ行ってみた。
「世界で一番貧しい大統領のスピーチ」
妙に気になって実在する人の話だったこともあり開いてみた。
自分の給料の半分を寄付にまわし、お屋敷にも住まず、車も長年の愛車を自分で運転する。
出かける前、鶏に餌をやって大統領の仕事に向かう。
その大統領のスピーチのストーリー2ページ目くらいから目頭が熱くなるような気持ちになった。
ページをめくる度に涙目になりながらこれまでの私自身の辛さや悲しさを理解してくれる人に出会ったような気持ちで感動しながら読んだ。
私はこれまでこの経済の歯車としてのロジックをただひたすら残す為に働いているのではない。
悪循環をやりたくない。つなげたくない。でもそこを含む全てが循環なのだとしても自分も家族にも積み上げてきたものを泥水の上で転んで真っ黒になったことを仕方ないみたいに諦めさせたくもない。いつもいつもそんな風になんとなく感じていたから、このスピーチが大統領のスピーチであってうれしかった。そんな大統領を選ぶ立派な国もあってホッとしたようなくらいだった。
本の内容は子ども向けに訳されていたので、本人が話している動画を探した。
私は地元の環境問題を考える団体のメンバーをしている。
その活動の中で山の清掃活動についての講演に参加したとき話の中で「環境問題は人間社会を相手にすると言うことです。動物が山や川を汚しませんよね。だから人間社会を考えると言うことなんです」という話しがあって、このスピーチを聞きながら思い出した。
自然をテーマに仕事をしていると、結局そこに行くのだ。子どもだとかそういうことを抜きにできなくなる。
この大統領がそういう環境で生きてきた人で、競合せず共存していることを知っていて、幸せの定義は何かを苦しめて奪って集めることじゃないし、人の努力で自分を飾り立てることでもないし、そんな風に年を取って振り返ってこれが求めていたことか?と思う日が来ることを恐ろしいと思っているのだろう。
息子のことを思った。「お母さんやってるよ。」
ばあちゃんのことも思った「ばあちゃん。私、まだ生きれてるよ」
本屋へ行ってよかった。アマゾンで買ってばかりいたけど、たまには本屋へ行ってみるものだとしみじみ思う。
もともとかなあ。似ちゃうのかなあ。
あ、昨日ありがとうね。みかんをたくさんとったから酸っぱいけどもらってくれる?酸っぱいのは大丈夫だよね。
小さい国だと言ってたけど、その小さい国も困っていて先進国への精一杯の訴えなんだろうなと思いました。