私のバンドに兄さんから聞いた。
共通の友達が私のことを「あの子は、すごくまじめな子だよ」と言ったらしい。
私は自分中心に生きてきた。
自分以外を中心にしようと思ったことはない。
今は会社で一応肩書きもあるし、母でもある。
その責任を果たしていて、それは逃げては行けない私の義務だ。
それを全うしようとやっているだけで、それが私の生きるエネルギーの一つでもあって、そうすることが当たり前だと思っているだけだ。
例えば家族が死んだら葬式をするし供養をする。
それはあたりまえじゃないか。
そう言う感覚なんだ。
しないでいられる方が不思議なくらいだ。
バンドの楽曲が渡れば練習する。みんなに迷惑をかけたくないし音あわせくらい楽しみたいなら練習したい。
それがまじめに見える人もいるんだろう。
まじめってなんだ。
ちゃんとやらないこともある。でも結構後悔する。
それが嫌い。失敗するより後悔する方が嫌い。
理由があってちゃんとやれない人は仕方がないと思う。
でもこれは誰かのためにやるんじゃなくて、結局自分が後悔しないようにしたいだけ。
子供のことも仕事のこともバンドも私でないといけないことで 自分のいい加減さが理由で後悔したくないだけ。
まじめっていうのだろうか。
違うと思う。
だって人間としてどうなのとか親としてどうよとか娘としてどうよって言う客観的な判断ってある。
結構ちゃんとやってない。
ただ自分が許せないことがあるってだけだ。
最近妙に危ないような夢を続けてみる。
昨日津波に襲われる夢だった。
でも何度おそわれても私は特にダメージもなく、ただ猛烈にビックリするだけで隙を見て逃げ出した。
次の波が来る前に息子を見つけ出して二人で手をつないで学校の階段を上って届かないところまで逃げた。
遠くから波が押し寄せてくるのが見えたけど私たちのところへは届かなくなった。
今日見た夢はわら人形だった。
私はなぜか駅伝のランナーで、おばちゃんたちに応援される中をいろんな人と走っていた。
途中水を飲もうと思って自動販売機にお金を入れると、おつりが出てこなかった。
でも水は出て来たので取ってまた走ろうとすると、自動販売で売られている水以外がわら人形のパーツだっだ。
ワラとか、束ねるヒモとか。
すぐ横に大きな山があった。
「ああ。ここにはそういう人がたくさん来るんだ。だからって自動販売機でばら売りしなくたって・・・なんて気分の悪い場所なんだろう。水を知らずに買っちゃったけどどうしよう」と水を見ると、まるで下水の水のようにペットボトルの水が濁って見えた。
気持ち悪くてすぐ捨てた。
そのままいろんな山道を走ったりしていると可愛いお店で男の人が一人で店番をしていた。
メニューにクリームソーダとあったので寄り道して「クリームソーダをください」といった。
すると男性のお客さんが入ってきて「この店のクリームソーダはおいしいんだよ」といった。
だから「うん。だから今頼んでみたんだよ」といった。
そのお客さんは私の友達にそっくりで、二人でクリームソーダを待った。
お店の人は「今日、僕は奥さんの代わりに店番しているんだよ。うちのクリームソーダはアイスから手作りなんでこだわっているんだ。入れ物も可愛いでしょ」と凝った感じのコップに入っていた。
私はそれをもらってまた外へ出て走った。
なんだか足が急に重たくなっていた。
「クリームソーダのせいじゃない。お店の人はいい人だった。私が寄り道したから悪いんだ。」と思った。
それでも沿道の人が手を叩いて応援してくれた。
重たくなってしまった足でまだ頑張るからと走っているところで夢が覚めた。
私の母と弟は凄く太っているから、毎年暑いほうがダメらしくて寒い方がまだいいという。
でも私は動けない。暑くたって動くことはできる。
私は東京で40℃くらいになった年に、しばらくそこにいた。
まわりがあまり汗をかかない私を見て「暑くないの?」と言った。
「暑いけどふつうかな」と言うと、宮崎人は違うね~と感心された。
たぶん宮崎生まれだからじゃないんだろう。
奄美の血がそう言う体質にしてくれているんだろう。
今日はホントにつらい。
ブログに書きたくなるくらい辛い。
脳の構造の違いか。男女の差みたいなものも見た。
ツボが浅いというか、言っちゃえば短気というのか。
言葉には裏があって、人にも発言にも大なり小なり背景がある。
ある人が「もうやめた!」と怒った。
それを聞いた別の人が「お前はそんなに適当な人間か!」と怒った。
そこを拾っちゃダメなんだ。
要はやめたと言いたくなるほど残念な気持ちになったと言うことで、やめたいからやめると言ったんじゃないということなんだ。
適当な人間だからやめると言ったんじゃない。
まず、本当の友達ならどんな人間かと理解しようと思う方がいい。
自分の責任を簡単に放り出すような男かどうか。
私はこう思った。
その人は広い視野を持ってたくさんの人と関わって生活している。
将来のことを思って今を過ごしているし、だから強い責任感を持っている。
その彼がもうやめたと言ったのは相当傷ついたからだと思う。
だから今自分は何をしてる?本当は何をしなきゃ行けない?そんなことを思った。
そんな考え方をするのは女性だからなんだろうか。
頭の良さとかそう言うことじゃない。
私もちょっと思った。
もういいじゃないかそんなに喧嘩するならもう関わらせなくたって・・・という気持ちになった。
それを「そうじゃいかん。そんなことして喧嘩して楽しいか?」と言われた。
要は自分の気が済むから関わらせないようにしようと思ったわけではない。
顔を合わせればいがみ合う姿を隠せずに、優しい人が心を痛めているのを見て「もうこんなことやめてやってくれ」という気分になった。
だから関わらせないようにしようと言った。
安易な、とても浅い判断をしてしまった。だけどそれほど自分の心が疲れていた。
夜中まで八つ当たりの電話が来て、朝一番だったり仕事中だったりと自分たちの後始末をできずに自分の身方を作ろうという人に振り回されたようで、子供のご飯を作ったりお風呂に入れたり私じゃなきゃ行けない仕事がたくさんあるのに何日も振り回された。
それが疲れた。
だから二人を引き離せばいいと言った。
浅い考えだったと今ならわかる。
合い言葉は「みんな仲良くしようだ」と友人と話した。
そんな小学生のようなスローガンを立ててしまった。
あほな大人だ。
マツコデラックスとか戦場カメラマンとかあとゾマホンなのかな。
すごいっていうかキャラが凄いんだけど、じわっと「時代はやっぱり38歳でしょ。」と思っている。
ちょうどいい感じの年なんだろうななんて思っている。
今年はある意味自分のみの振り方を腹くくって準備しなきゃ行けないような気がする。
私が望んでいたものをいよいよ手に入れなきゃ行けない気がする。
まだ時期的に早い。
来年だと思っているから今年は真剣に準備しなきゃいけない。
私は長生きするのかもわからない。
私が唯一神頼みすることがあるとしたら、息子が成人するまで私の寿命を守ってくださいと言うことだけだ。
息子がいるから私は自分の軸を持っている。
人の軸のぶれを見て取れる。
今年が始まってしまった。あっという間に過ぎて何も残さないでやり過ごしてまた来年を迎えてしまうなんてイヤだ。