ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

2018-01-15 06:51:06 | 暮す
 見渡せば アラ還アラ古希 餅つかえ

ひさびさに友達と長電話。還暦過ぎたアラ還婆ちゃん集まって日本レストランで忘年会か新年会をと思っていたのが様々な事情でお流れ。春まで待ちましょうということになった。お互いの会話はぎっくり腰の痛みの具合やいかにして良い先生と出会ったか、その後の経過はなどなど治療話で盛り上がる。まだ歩くこともままならず、フィジオの先生がお家まで出向。買い物は近くに住む息子さんや娘さんがお手伝い、初孫さんを抱くことすらできないとのこと。エネルギッシュな方だが心身とも酷使したのが原因。

日本の友達とは恒例の元日おしゃべり電話が通じず、あわや一大事かと遠くに住む娘さんに連絡したら、身内の方の急遽入院で病院に泊まり込みとのこと。落ち着いた頃をみはからっておしゃべり。彼女の言葉に失礼ながらふきだした。自称「私の人生介護人生」とのごとく見事に古希を過ぎてからも次から次と介護の日々。そして最近なんて呼ばれてるかというと「看取り人、あるいは送り人」だって。ごめんね笑ってしまって。

子供もいないし、だんなに寄り掛かってお気楽に生きてる私にお二人とも「あなた、子供さんいないからわからないわよ」なんてこと言ったことないです。夫さんに先立たれたり、離婚されたり、それはそれは人に言えないご苦労もおありだろうに、いつも口癖は「落ち込むこともあるけど暗くなってもつまんないじゃない」。そうなんです、お二人とお話しするたび笑ってばかり。古希を過ぎた友達は、優雅に暮らしてた日々もあったけれど、今は二間の町営住宅住まい。ある日「低所得者層として町営住宅に入れることになったの、もう嬉しくて」との連絡。爪に火をともすような生活からお小遣いを貯め大好きな観劇にお洒落してゆくのがお楽しみ。

いつの間にか連絡が途絶えたある女性は上級国家公務員として勤め上げ、一人娘さんゆえ、ご両親の残した遺産だけでも悠々自適な生活をおくれるのに何もかもが気に入らない。レストランにご一緒してもなにかしらアラ捜し。毎年、外国旅行に出かける。それもアマゾンをバードウオッチングしながらの川下りとか、北極旅行とか、場所によっては個人ガイドを雇っての旅行。お仕事で世界中を旅し、余生はかつて訪問した国を旅行者として再訪するとか。彼女をうらやましいと思ったことない。むしろ外国旅行をたくさんしてもそれが人間性の豊かさにつながらない残念なモデル。

思うんだけど、ある日私にも、傍目に可哀そうで落ちぶれて見える日が来るかもしれない。先のことは誰にもわからない。でも二人の友の生き方は私にとっていつどんな状況に置かれても機嫌よく生きるモデル。