ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

日本旅行記1 蝉の声

2018-09-07 08:42:36 | 旅する
 
 荒魂を 封じて石寺 蝉を聴く

日本旅行記 1 

2年前の里帰り旅行記も終えぬ間に今年の里帰りから早や1か月以上も経ち遠く感じられる。思い出すままにメモ程度に記しておこうと思う。

成田空港から東京で一泊することなく山形に向かう。芭蕉が「見るべし」と記した立石寺がお目当て。山形新幹線の車体が古く狭く感じられた。翌日、仙々線で20分、山寺駅到着。

芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」から想像していた静かなたたずまいの寺のイメージを裏切る、秘めたる激しいエネルギーを感じた。そそり立つ岩壁が、あたかも荒魂を封じ、封じても、霊気が山全体から底知れなく湧き立ってるように感じた。私は山頂まで登ったが夫は中途挫折。小雨そぼる日で、マラソン姿の男性が、結構な数の石段をひょいひょいと飛ぶように登っていた。

平泉の中尊寺もそうだが、東北の寺院には何か原始的なエネルギーを感じる。かつて平泉博物館の学芸員さんに、鎌倉以前まではこの地も蝦夷地だったんですよねとたづねると面白いお話をしてくれました。「いまだに縄文土器が出土しており、昔から地元の人が祀っている祠が、実は縄文時代からの信仰の場所だったんですよ。保管庫にはたくさんの縄文土器もあるのですが、平泉の売りは藤原3代なので、、、」と。

里帰りごとに芭蕉をたづねながら、私にとって、芭蕉の句は実際彼の足跡をたづねなければぴんと来ないと思った。現地を訪れると、句ががぜん生き生きと息を吹き返す感じがする。

先日、日本から送った本が届いた。古本で手に入れた飯島耕一著「虚栗の時代 芭蕉と其角と西鶴と」。芭蕉は、清廉潔白な聖人君子のようなイメージ無きにしも非ずだが、私はそうは思わない。歴史に残るひとかどの人物というのは人間臭さが半端じゃない。酒、女がつきまとう幇間俳人と見做された其角を一番認めていたのが芭蕉だった。

この本をめくりながら、もしいきなり読んでもちんぷんかんぷんだったろうなと思った。100句を収めた一冊の其角本から始まり、牛の歩みで俳句への世界が拡がってゆく。ほんの少しづつ発見しながらの其角と芭蕉に出会う旅は人生の楽しみでもある。






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