6月1日から脳内はコロナヴァカンス終了、以前のようなリズムに戻ります。交換日本語授業はないけれど、あたかも毎週あるかのように準備し、今年いっぱいは無理と言われてる介護施設でのボランテイアの代わりに別なボランテイア探します。レストランはまだオープン許可が下りずオーナーが続行するかどうかわからないけれど肉体的にすぐ戻れるよう体力作り、とにかく身体が鈍ってます。
夫が出張中一人での散歩は野良猫のように気の向くまま足の向くままフラフラ散歩。決まったコースを決まった時間に歩くのと違っていろいろ発見することあり。新しいお寿司やさん見つけました タコもイカもあり平日の食べ放題ランチはお一人様1500円ぐらい こんなとこにこんなちっちゃな雑貨店がと夏らしいマグカップが目に留まりました あらまあ自然食品の店がいつオープンしたの 毛糸屋さんも今週から再開嬉しいなー 野良猫散歩は楽しい。
お隣さん、夫に出張前に私に何かあったら遠慮なく声かけてほしい、いつでもお手伝いしますから伝えてほしいと話したそうです ありがたいです。いろいろお世話になりっぱなしなのになんのお礼もできないのですが新聞や雑誌を購読されてないとのことで数年前から読み終わると夫が井戸端会議ついでに届けてます。夫の不在中は私が届けます。私は見だしだけざっと目を通し後は興味ある記事だけ読みます。
モントリオール交響楽団の常任指揮者だったケントナガノ氏が6月いっぱいで退任します。アメリカでもヨーロッパでも一蹴にされただろう彼のビジョンを実現させてくれたケベックに深い感謝の礼を述べました。閉鎖的なブルジョワのコントロール下にあるクラシック演奏会を市民に開かれた演奏会にしようとあらゆる実験と努力をされました。そして彼のビジョンを支えてくれた州政府、理事会、様々なコミュニテイー、市民が一丸となって応援してくれたことにも感謝を伝えました。北モントリオールで黒人や移民による反人種差別暴動があった時、いくらかでも音楽が荒れた人心を慰めればと有志を募って無料のコンサートを開いたりしました。
夫がケントナガノのファンで聴かない割には応援したいからとCDを沢山買ってあります。その中からベートーヴェンの交響曲第八番を聴きました。20代の時、職場で激しい苛めにあい毎日毎日辛い思いをしてた時、それこそ毎日毎日職場へ行く前と帰ってから聴き、今日1日だけの辛抱と思って暮らしていた時期があります。いまだにこれを聴くと涙が滲みます。と同時に狂気の目というものがどんなものであるか浮かびます、どす黒く憑依された様な底知れぬ色。あの時目にした人間模様、我が身さえよければという小狡さ、卑怯さ、知らぬ存ぜぬの見て見ぬ振り、集団ヒステリー。数十人で一人を血祭りにあげ破滅するまで容赦しない残虐さ。あなた達は私がいなくなれば満足なんでしょう、じゃさらばと辞めた。退職後にわかったあれこれは仰天するものだった。やめたが故に自分の身を守ったことも知った。
私はどうしようもないポンコツ人間なので人を憎んだ時も恨んだこともあるが、そんな時、音楽はいつも荒んだ私を救いだし穏やかにし、良いにつけ悪いにつけ降りかかる全てを受け入れる覚悟を与え、再び生の喜びと美しさを取り戻させてくれる。音楽のみならず本でも舞台でもいわゆる文化と呼ばれるものにはそういう力がある。まだコロナ感染拡大の前に ある指揮者へのインタヴューがありました。質問は今の時代をどう見るのか、そして音楽はなん役に立つのかという質問でした。老齢ゆえか、こう答えました。「自分は今の社会を見るにつけペシミストです 音楽は何もできないけれど慰めになればと思ってます」
ちょっと過激になった今日のブログ、ランチは増えた体重を元に戻すべく豆乳ポタージュ。
夫が出張中一人での散歩は野良猫のように気の向くまま足の向くままフラフラ散歩。決まったコースを決まった時間に歩くのと違っていろいろ発見することあり。新しいお寿司やさん見つけました タコもイカもあり平日の食べ放題ランチはお一人様1500円ぐらい こんなとこにこんなちっちゃな雑貨店がと夏らしいマグカップが目に留まりました あらまあ自然食品の店がいつオープンしたの 毛糸屋さんも今週から再開嬉しいなー 野良猫散歩は楽しい。
お隣さん、夫に出張前に私に何かあったら遠慮なく声かけてほしい、いつでもお手伝いしますから伝えてほしいと話したそうです ありがたいです。いろいろお世話になりっぱなしなのになんのお礼もできないのですが新聞や雑誌を購読されてないとのことで数年前から読み終わると夫が井戸端会議ついでに届けてます。夫の不在中は私が届けます。私は見だしだけざっと目を通し後は興味ある記事だけ読みます。
モントリオール交響楽団の常任指揮者だったケントナガノ氏が6月いっぱいで退任します。アメリカでもヨーロッパでも一蹴にされただろう彼のビジョンを実現させてくれたケベックに深い感謝の礼を述べました。閉鎖的なブルジョワのコントロール下にあるクラシック演奏会を市民に開かれた演奏会にしようとあらゆる実験と努力をされました。そして彼のビジョンを支えてくれた州政府、理事会、様々なコミュニテイー、市民が一丸となって応援してくれたことにも感謝を伝えました。北モントリオールで黒人や移民による反人種差別暴動があった時、いくらかでも音楽が荒れた人心を慰めればと有志を募って無料のコンサートを開いたりしました。
夫がケントナガノのファンで聴かない割には応援したいからとCDを沢山買ってあります。その中からベートーヴェンの交響曲第八番を聴きました。20代の時、職場で激しい苛めにあい毎日毎日辛い思いをしてた時、それこそ毎日毎日職場へ行く前と帰ってから聴き、今日1日だけの辛抱と思って暮らしていた時期があります。いまだにこれを聴くと涙が滲みます。と同時に狂気の目というものがどんなものであるか浮かびます、どす黒く憑依された様な底知れぬ色。あの時目にした人間模様、我が身さえよければという小狡さ、卑怯さ、知らぬ存ぜぬの見て見ぬ振り、集団ヒステリー。数十人で一人を血祭りにあげ破滅するまで容赦しない残虐さ。あなた達は私がいなくなれば満足なんでしょう、じゃさらばと辞めた。退職後にわかったあれこれは仰天するものだった。やめたが故に自分の身を守ったことも知った。
私はどうしようもないポンコツ人間なので人を憎んだ時も恨んだこともあるが、そんな時、音楽はいつも荒んだ私を救いだし穏やかにし、良いにつけ悪いにつけ降りかかる全てを受け入れる覚悟を与え、再び生の喜びと美しさを取り戻させてくれる。音楽のみならず本でも舞台でもいわゆる文化と呼ばれるものにはそういう力がある。まだコロナ感染拡大の前に ある指揮者へのインタヴューがありました。質問は今の時代をどう見るのか、そして音楽はなん役に立つのかという質問でした。老齢ゆえか、こう答えました。「自分は今の社会を見るにつけペシミストです 音楽は何もできないけれど慰めになればと思ってます」
ちょっと過激になった今日のブログ、ランチは増えた体重を元に戻すべく豆乳ポタージュ。
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