ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

カーデイガン

2018-12-21 06:44:22 | ハンドメイド
 でこぼこに仕上がれど嬉しカーデイガン

 今年の課題、カーデイガンが出来上がった。あちこち間違ってデコボコで模様編みも不揃い。でも、とにかくあったかい。編み物クラブのメンバーも、下手でも自分が編んだかと思うと愛着が湧き人様がどう思おうと着てて幸せなのよねと同感。あきらめづに最後まで丁寧に教えて下さったMさんにありがとう。でなければ不器用な私には無理と諦めてた。

 ラジオで、面白いこと言ってた。ひと昔前のケベックはヴァカンスというと冬のことだった。春から夏に大いに働き、秋の収穫を終えたら保存食作りなど冬支度をすませ、春まで家にいて機を織ったり編み物したり昔話をしたり3か月ほど冬を楽しんだと。これは日本でも宮本常一のみならず、いろいろな方が昔を回想して話していることで、特に日本独特と思ったのは農民俳句が盛んだったということ。俳句のみでなく、農民歌舞伎とか能とか、芸能活動が盛んだったことに驚く。農社会の生活サイクルから工業社会へのサイクル移動は、退職まで「お勤めに出る」「雇い雇われる」世界。真冬,零下20度まで下がるケベックでも、仕事に出かけ、休日と夏のヴァカンスがお楽しみ。

 農生活はそんなに過酷なものだろうか。年貢を納めなくて良いし、地主もいない。なのに、農業の後継者は激減するばかり。アメリカ人の可愛らしい女性が日本の里山に惚れ、日本の農家に嫁ぎ子供を4人産み育て生活しているルポルタージュを見た。家の中は賑やかで、ごちゃごちゃで、昼食は自家製の味噌煮込みうどんを食べていた。職場は建物の中でなく外の自然。夫に「いい若者が、ごちゃごちゃ社会に不平不満ごたくならべんで帰農という道があるんじゃないか」と言うと、「ネット社会で何不自由なくものが手に入り快適に育った若者には無理だし強制できないよ」とのこと。

 大学でビジネスを学んだ甥が年収400万で社会人スタートをきったが半年もせず辞めた。理由は、人出不足であれこれ下っ端がする雑用をいいつけられたから。自分はこんな最低の雑用をするために勉強したんじゃないからと言うのが理由。親が買ってくれたシェアハウス(といっても借りは返すけど)の家賃収入があり生活に困らないが、内心「いつまでもあると思うな親と金、ばっきゃやろー」と思う。また一方、空気や人心を読み、ビジネスの才知にたけた、こういった若者が金満家になるのかなとも頭をよぎる。仕事での最初の研修会はトロントで「いかに組合結成を阻止するか」だったという。

 編み物を始めてからお金を使わなくなった。なんでも自分で作れるんじゃないかと思ってしまう。また、その方が楽しい。洋服もだんだんに手縫いしようと思う。来年から夫の年金が万単位で下がることになったから昔の知恵を頼りにいろいろ工夫しながら暮らそうと思う。

以下、生まれて初めて編んだカーデイガン。似合おうと似合わなかろうと、お気に入りのレトロなワンピースにあわせた。


 
あらためてMさんありがとう。



 

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