ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

2017-12-30 07:48:26 | 読む
 酒ゆえと病を悟る師走かな 其角

半藤一利さん解説の「其角俳句と江戸の春」から、酒と女のイメージがつきまとう其角像は表層的なものとの思いがあり、酒飲みでつとに知られる中島らもの「異人伝」と、其角と言うと即浮かぶ幇間について知りたく、江戸末期の芸人と直に接した悠玄亭玉介の「幇間の遺言」を読んだ。今年の素晴らしい出会いだった。二人のような人間にはもう本の中でしか出会えないのかもしれない。私たちは賢く用心深くなった。其角学会というのがあり、「其角生誕三五0年記念集」を取り寄せて読んだ。二上貴夫さんの其角についてのガイドが其角に深く迫ってると思った。

「、、、其角は芸術至上主義ではないと知るべきです。作品に執着する勿れ、作品と心中する勿れ、作品表出の為にいきてるのではなく、生きるために人間に付与された機能として言語表出がある、それを弁えろと。しかし、句は言い捨てとばかりに、質のままで良いのではありません。」

もしかして其角が現代に生きていたら中島らものような生き方をしたのだろうか。酒故、妻にも見放された其角の最期の顔は中島らものようだったのだろうか。

中島らも(2冊しか読んでません)に、無頼派というより其角についても同じだが、むしろ健全なものを感じる。

酒は呑むほどに意識が冴えわたるというのは中島らも同様吉田健一も語ってる。

自分がひそかに好きなものは実は誰にも明かしたくなくて、それは愛する人を悪口にさらしたくないから奥に隠してるような心境に似ている。そんな作家のひとりが吉田健一。若い時夢中で読みまくったが、其角から思い出し再読し始めた。吉田健一はかなり過激なことを言っている。だが、内心、誰でも、もしかして心の深いところで思ってることかもしれない。極端な例では、人生一冊の本を読まなくてもりっぱに生きてる人間はざらにいるということかもしれない。吉田健一が何回も繰り返して言うのは、観念にやられた時代に私たちが生きており、生きるという自然なありようが歪められているということ。

私は読書家ではなく、どちらかというと同じ本を何度も何度も繰り返して読むほうで夫から最新作も読んだらとすすめられる。日本の新人作家の仏語訳を夫の方がはるかに読んでて私はついてゆけない。たまたま総合文学ネット金魚というサイトを見つけて目を通して、日本語が難しくてわからなかった。なんだか日本人の脳が異常に進化して宇宙人みたいに思えた。



今年の思い出 NO3は 中島らもと悠玄亭玉介との出会い。ちなみに私の新しいメールアドレスに其角らも(中島らもと好きな作曲家ラモーと二人の名前をひっかけて)kikakurameauとしアルファベットで入れたんです。ふふふ、ひそかな遊び。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
酒ゆえと (二上貴夫)
2019-08-08 18:15:07
酒ゆえと病を悟る師走かな
を偶々検索していたら、二上の名前にぶつかりました本人です。

『其角抄ー月花ヲ医ス』というテキストを所望でしたらお送り致します。
ご連絡ください。
http://kikaku.boo.jp/haikai/toukuform/postmail.html
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