伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

小説を発信中

  
  
  
  

  

ステキな100歳

2018-03-21 12:30:49 | ちょっといい話
 昨日の昼のテレビ

 「昼めし旅」初めて観た

 この時間帯はめったにテレビはつけないのだが

 たまたま・・・

 100歳のキヨ子おばあ様にはたまげた・・・

 とんでもない お歳には見えない とっても美しい

 肌はすべすべ しわもなし

 これでは長男さんと夫婦に間違えられるわぁー


 食事も私達よりも量が多いのにこれまたびっくり


 私もあやかりたい・・・。


 


 

 
 
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私は裏切らないょ

2018-03-20 16:18:18 | 山野草
 昨年より少し遅れて福寿草が咲いた。

 とってもめんこい

 「ぼくは裏切らないよ・・・」

 という声が聞こえてきそう・・・

 今年も春の日差しを浴び可憐にたくましく凍土から

 自己主張している福寿草に癒される。


 札幌のMさん宅に伊達からお嫁入りした福寿草は咲いたかな。

 



 盆栽の五月

 今年は家に入れたところもう咲いてくれた。


 


 気持ちが弱くなっている時は生命力のある花に癒されますぅー。


 花力・・・・ナンテネ
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ジャコシカ14

2018-03-19 22:59:55 | ジャコシカ・・・小説
 高志は朦朧とした眼で、それ等の様子を眺め、一瞬ここは何かの秘密基地ではないかとさえ思っ

た。

 もしかしたら自分は、とんでもない所にまぎれこんでしまったのではないかという不安に襲われた。






 一週間後の開店を控え、店内は足の踏み場もなかった。

 渋谷の表通りから路地を入って直ぐにある、7階建てのビルの1階の店は、30坪とさして広く

はなかったが、入口には大きなショーウィンドゥがあり、周囲の店と比べても見劣りしない。

 ブテイック「フローラ」の名は、社長の桐山の命名だが、店長の佐々木優美も気に入っていた。

 誘われて入社した杉野あやも悪くはないと思っていた。ただ一つ彼女には気がかりな点があった。

運びこまれた商品はともかく、既に仕上がっていた店内のデスプレイが重た過ぎると思ったのだ。

 優美からはあらかじめ話は聞いていたが、社長の桐山が扱う輸入アンテイク家具をデスプレイと

して配置していて、それが多過ぎると思った。

 だから初めて店内に足を踏み入れた時は思わず「紳士物も置くのですか」と訊いた。

 「案内通り婦人物専門よ」

 優美は力をこめて言ったが、あやの違和感は拭えなかった。

 優美の力の入った断定的な言い方も少し気になった。しかしこれもまた新しい時代感覚かも知れ

ない。まずは異質なものでも拒絶せずに慣れることだ。

 とやかく言って批評できるほどの知識や経験がある訳でもないし、自信がある訳でもない。

 そう考えたらアンテイク西洋家具との組み合わせも、悪くないと思えた。

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いじけていたのに・・・

2018-03-19 16:39:51 | ガーデニング
 昨年はとっくに咲いていたのに、今年は一鉢も咲かない。

 あきらめていたらあれー二つの鉢に蕾が・・・嬉しい

 暗い部屋の隅に置かれていじけていたクンシラン

 さすがに春の日差しに、ニッコリ顔を出してくれた

 早速 特等席に移動・・・。

 めんこいねぇー


  


 

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私の北の桜守

2018-03-18 19:54:00 | 樺太
 今朝新聞を読んでいたが、シズ子さんが書いた文章かと思った・・・

 と驚いて見せてくれた。道新の読者の声欄で「「北の桜守に人生重ねる」と

 いうエッセイで、5歳の筆者が樺太の大泊港で迷子になったという内容。

 昭和20年8月22日に大泊で緊急疎開船3隻が留萌沖などで潜水艦の攻撃

 を受け、約1700人が犠牲となり、その直前に別の船で疎開したとのこと。


 


 私たち一家は幸い3隻に乗れなかったが、3年後の昭和23年の夏に引き

 揚げてきた。当時の筆者と同年齢で末っ子の私だけは大泊に出るのに知人の

 馬車に乗せてもらった。

 私は大泊の港でここで待っていなさい・・・と言われるまま母たちの来るのを

 何時間も泣きながら待っていた。もう自分の人生はこれで終わりか・・・と思

 うほど悲しくて辛い長い時間だった。

 綿糸で編んだリュックの中に自分の小さな人生をぎっしり積み込み、胸には布

 で住所・本籍・親の名前・生年月日と自分の名前を大きく書かれた名札がしっ

 かり縫いつけられていた。が誰も私のことなど気にもとめていなかった。

 大泊はすごい混雑で、主のいない馬が沢山走っていたらしいが、小さな私には

 そんなことは目に入らなかった。ただひたすら身も世もなく泣き続けていた記憶

 だけが鮮明に残っている。父の遠縁を頼って伊達の地に降りた時は、ここは別世界

 天国か・・・と嬉しかった。

 亡き母にも当時のことは辛くて聴けなかったが、あの時のことは、自分の心の

 中に葬っていたように思う。8歳上の姉に聴いても、みんな忘れていたと言っ

 て多くを語らない、彼女もまた自分の中に封印しているのかも知れない。

 私も「北の桜守」を観たいと思っているが大泊港の映像では号泣してしまうか

 も・・・。


  この文章を縮小して道新の「いずみ」に応募したが多分

  載らないでしょう・・・ふっふ


  でもここからコピーする方法を知ったので一つ利口になった。
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